私が赤ちゃんの頃 両親が離婚して父が引き取りましたが
仕事があるので 祖父母に育てられました。(祖父は私が小1の時に他界)
父の弟妹にあたる叔父や叔母にも可愛がってもらいました。
共に40代でガンで亡くなりましたが今でも毎日手を合わせてます。
これからのお話は私が30代前半で娘たちは小学生 祖母は80才頃の事です。
私が結婚して祖母の家から出て社宅に入るまで近所に住んでました。
よく子供達を連れて遊びに行ってました。
大好きなボルシチを食べに(ウクライナ生まれだったんです)
子供達も曾ばあちゃんが大好き 懐いてましたね。
80才近いのに いつも身ぎれいにして ブラ、ガードルは勿論
ラメ入りのセーターやスカートをはいて オシャレな祖母でした
目も見え耳も聞こえるし計算も出来る 会話も若いし面白い
寝る時間も遅く 海外ドラマが大好きで 花をいつも綺麗に育ててました。
私が子供の頃は明治生まれでしたので 躾けに厳しくて怖い祖母
怪獣みたいに口応えしたらデレキ(火バサミ)で叩かれましたよ
私達が社宅に移ってからは 離れてしまったので
私が車の免許を取るまでは なかなか遊びに行けませんでしたが
叔父がいつも祖母の面倒を見てました。その叔父が46歳の若さで
白血病で亡くなると 祖母の嘆きようは後追いをするのでは?と
思うほど深く悲しんでました。これがきっかけになったかも・・・
年金はかけてなかったので生活保護を受けました。
祖母1人で質素に暮らすなら十分食べていけました。
私も働きながら子育てに追われ(30代前半でした)
夜はママさんソフトバレーもやってたので
祖母の家に行くことや電話も あまりしてなかったかもしれません
ある日 祖母から電話が来ました。近所の人がお金を盗んだと言うではないか
そんな人ではないと思ったので もう1度探すように言い
人を泥棒扱いしたら大変な事になるんだよ!と話しましたが
優しかった祖母とは違い 人の悪口を言い続けてました。
単純に喧嘩でもしたのかと思ったんです。
その頃 神戸の叔母に(父の妹で祖母には大切な一人娘です)
毎晩 何時間も祖母から電話があったそうで 叔母も最初は
そうなんだと真剣に話を聞いてましたが 毎晩同じ話を聞くうちに
叔母の方の神経がまいってしまい
留守電で居留守をするようになってたそうです。
数日後 お金があったと電話が来て歳も歳だし物忘れかと思いました。
すると今度は父が家に来て帰ったらお金が無くなったと騒いでます。
父は かなり怪しい人物なので 父に聞いたら俺は取ってないと怒るし
それでも祖母は頭が しっかりしてると思ってたので父が嘘をついてると思ったほど
でもまた勘違いしたのかと思って もう1度探してみてと お金は見つかり
あ~~やっぱり 祖母の物忘れだったんだと あまり深く考えませんでした。
そうしたら またもお金が無くなった 見つからない 探してくれとが
家族総出で祖母の家に行き探しましたよ。何時間も・・・・
二間しかないボロアパートでしたが なかなか見つけれませんでした。
1回目 祖母の身に着けてた腹巻の中にありました。
2回目テレビ台の下に隠してあるのを発見
3回目 砂糖入れの下で発見
4回目 ベットと寝具の間にありました。
5回目 玄関前の灯油タンクの間から次女が発見
それは その後何度も 何度も続きました。
この頃には寂しくてワザとに無くなったと言って私達を呼ぶのかな?と
まさか認知症なんて まったく考えてませんでした。
休みには家に呼び泊まって行ってと言っても自分の家が1番いいと帰ってしまう
その内 通帳も印鑑も 財布もない 探しても見つからないから
買い物に行けないので ご飯も食べてないと電話が・・・
慌ててお弁当を作り祖母の家に持っていきました。
そして数時間かかって探し出した通帳と印鑑を今度は私が預かる事に
もう昼夜かまわず毎回呼ばれ 何時間も探すのに疲れ果ててましたから・・・
言葉は はっきり話すし まさか軽度認知障害(まだマダラボケでしたが)とは
他人には解らなかったと思います。 私でさえ まだ半信半疑でしたから
毎日仕事に行く前と帰りにお弁当を届け 欲しいものがあると言うと
一緒に買い物へ行き その他に無くしてもいいように千円づつ渡しました。
やっとお金が無くなった~探してくれ~から解放されたと思ったら
ある日銀行から私に電話が来ました。 おばあちゃんが あなたに通帳と印鑑を
取られたと言われて騒いで今銀行に来てます。銀行まで来てくださいと
本当でしょうか?ともう~~びっくりですよ なんで?どうして?
慌てて銀行へ 今までの事情を説明して何度も何度も紛失して 探すのに
何時間もかかり大変だった事などを説明しました。 祖母は知らんぷりして
私の方を見ようともしません。祖母からお前が持っててくれたら安心だと
言ったのに・・・・どうして腹立たしい気持ちや恥ずかしさで一杯でした。
そして突然記憶が戻ったのか そうだ!お前に預けたんだと言ってくれて
無事帰って来ましたが 泥棒扱いされて悲しいやら悔しいやら情けないやら
あの気丈で しっかり者だった 祖母はどこへ行ってしまったの
落ち込んでいた所 夜の9時ころに 銀行員と名乗る中年女性から
電話がありました・・・おばあちゃんに通帳と印鑑を返してあげて下さいと
おばあちゃんの大切なお金です。あなたのではないでしょうと・・・
まだ銀行の人は私を疑っていたんだ・・・あれだけ説明したのに
もう説明する気力もなくしてしまいました。確かに他人から見たら
祖母が軽度認知症初期とは思えないでしょうね。私がお金を取り上げ
虐待してると思ったでしょう
何日もご飯を食べてないと言ってましたよと銀行員の方が
いいえ 毎日 食べ物を届け一緒に買い物へ行き食べてます
食べた事も忘れたんだろうか まさか よく喋るし明るいし
物忘れがひどくなっただけなんだと でも・・・でも・・・
今なら解る 祖母は わかりづらい軽度認知障害になってしまったんだと
軽度認知障害は認知機能が低下しているが認知症までにはいたってない
正気とボケが交差して現れる まさにグレーゾーンにいる患者の事です。
でも祖母がアルツハイマー型認知障害だと認めたくなかった認めるのが怖かった
次の日 祖母に印鑑と通帳を返しましたが 現金は預かりました。
毎日 千円づつ渡すからと約束して・・・・
それから 長い間 軽度認知症の祖母との戦いになるとは
思ってもいませんでした
あんなに気丈で しっかり者の祖母の頭の中が壊れていくなんて
信じたくなかったんです。母さんと呼んでましたから・・・
80才の母と慕う祖母が壊れていくのを見るのは恐怖でした。
将来の私の姿?今なら いろんな情報も入り
すぐに病院へ連れて行ったでしょう・・・でも頑固でプライドの高い祖母は
拒否したかもしれませんね
その頃はパソコンもやってなくて どこに相談していいのか?
誰に話せばいいのか? まったく解りませんでした。
神戸にいる叔母も体調不良で 相談にのってくれないし
私1人で これからどうしょうと不安と戦ってました。
もう20年以上前の話しです。
次回に続く・・・・
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お祖母ちゃまの認知症、大変ですね。
怪獣君にお祖母ちゃま。おかあちゃんの身体の休まる暇が
ないと思いますが、頑張って看てあげて下さいね。
私の書き方が悪くて・・・今から20年上前のお話です。
まだ私が若くて元気いっぱいな時でした。
仕事を始めたばかりの時期です。
自分の家族の面倒を見るので 精一杯の時でした。
考えたら 今なら解ります。 祖母は もう80才
身体は健康でも アルツになる可能性があった事を
私の母も(生みの親)来年80才になります。
あちこち手術してますが 大きな病気もなく
90才になる義父と仲良く田舎で暮らしてます。
ボケたら老人ホームに入るんだと言ってます。
田舎にも いい施設が出来たそうです。
いつか 皆さんが通る道 私もですが
長女には言ってます。ボケたら施設に入れるように
手続きしてねと・・・通帳 印鑑 保険証券のある場所
家の鍵も渡してます。 暗証番号も教えてるし
父みたいに いきなり死なれたら そりゃ~もう大変な
事になり 山のような手続きや後始末が待ってます。
経験してるからこそ 娘には延命措置はいらない
お墓は 次女と一緒にとか 全て話してます。