10月16日 (火)
平成17年1月1日より 1,019日目
歩いた歩数 その距離
本日 10,861歩 7,603m
総計 14,232,690歩 9,962,883 m
北京より石家荘・邯鄲・洛陽・三門峡を経て崋山に向かう。後 86,267m
1990年9月20日 晴れ 気温 15℃~24℃
河北省でのお別れパーティも済んで、今朝北京へ発つ日だったが、彼女たちのすすめで女々しくももう一日石家荘市に泊ることになってしまった。
邢春さんと陸麗麗さんが急遽役所を休んで、観光サービスをしてくれることになった。午前7:40ホテルを発って臨城県の白雲洞へ向かった。梁君を前の席へ坐らせ、私は邢春さんと陸麗麗と後ろに席をとる。楽しいドライブ、梁君いわく。「両手に花ネ!」と。
臨城県は石家荘市より60km先で、刑台地区の県。気づいたことだが、この地は未解放区の筈。不安に思っていると、邢春さんは勿論百も承知、「アナタはダマッテイテ」と。無断で未解放区へ入ることは許されない。尋問されれば、私ばかりか彼女たちも同罪の筈。彼女たちの度胸の良さと好意には頭が下がる。
臨城県で公安官に道を尋ねると、車を止め白雲洞へ勤務している女性を探してきて強引に車に押し込め、案内役にしてくれる。この間、随分ハラハラさせられる。白雲洞は大行山脈に属して石灰岩に覆われた地でセメント工業の中心地である。近づくにつれて、カルスト台地特有の羊の群れが放し飼いされているような風景が見えてきた。秋吉台と似た風景だ。
1988年、石灰石の採掘中、偶然に発見され、今年の7月、ヤット公開に漕ぎつけたという開店早々の鍾乳洞だ。それにしては案内ガールの堂々とした説明は見事。邢春さんは「アナタはダマッテいて」と私に釘をさしたにもかかわらず、私に日本語で訳して聞かせてくれる。それが洞窟の中で反響して不気味。
ここで捕まったらと思うと気が気でない。中程の明るい場所があり、ここで記念写真を撮ろうという。未解放区の証拠写真まで残そうと言うのだから。3人で肩を組み仲良く撮ってもらう。イヤ、邢春さんはその瞬間、肩から手を外していた。「アナタは家庭を大切に!」と言った。
帰途、車上の回転灯をつけ、サイレンを鳴らし、梁君が赤旗を振って、他の車を抑えて超スピードで戻る。邢春さんいわく、「あれはいたずらです」と。ホテル着は0:12。昼食は再び二人に囲まれてビールを飲む。マズイビールも今日だけは弾む。またまた両手に花!
昼食の後、梁君と石家荘駅前の商店街へ出掛ける。商店街は延々として続き、電気製品・音響製品を扱う店の多いのに驚く。以外に(と言っては失礼だが)商品は潤沢で、衣料品・靴などは好きなタイプのものが手に入りそう。小生も今晩キットやってくると言う二人の為にと、テープを買う。4巻で13元なり。
歩道橋を渡ると衣料品を扱う店が軒を並べ、駅周辺に近づくと薬屋も何軒かある。この通りで「検察」という腕章をつけた軍人たちが兵隊を捕まえては虱潰しに服装検査をしていたのが印象的だった。日本にあった憲兵のようだった。
夕食後、邢春さん夫婦と陸さん親子がお別れの挨拶にやって来た。邢春さんから絨毯と観音様、菲菲ちゃんから貴ちゃんと真ちゃんに小箱が贈られた。初めから最後までお世話になった上、お土産まで頂いて、その好意に感謝すると共に二人の出会いを作ってくれた天の神に感謝しなければならないとしみじみ思った。
麗麗さんは私の今回の訪中に感謝してと前置きして、私の為に西蔵民謡を歌ってくれる。それがきっかけでみんなで合唱。 邢春さんも歌ってくれる。このテープは爪を切って永久保存とする。午後10:20名残を惜しみながら帰っていった
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