百歳に向かってもう一度世界一周

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2.26事件を想う

2012-02-26 17:12:43 | 自分史

 2月26日 (日)  平成17年1月1日より 2,622日目
        歩いた歩数        その距離
本日      14,847歩       10,393m
総計 36,529,074歩 25,570,352m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツベルリンを経てハノーバーに向かう、後 14,498m

 2.26事件が起こってから75年が経った。私は西神田小学校の5年生だった。雪の日だった。教室には何人も居なかった。居なかったと言うより来なかったのだ。何でも総理大臣が殺されたと誰かが言った。そんな酷いことをと思ったが、後でそれは間違いだと判った。その日は大変なことが起こったので休校と言われて家に戻った。もうこんな事件に出会した老人は数少なくなってしまったろうから、思い出したまま記録して置こうと思う。

 家に帰ると、大渕菓子屋の兄さんが【近衛兵が土嚢を積み上げて宮城を守っている。見に行かないか】と誘われ竹橋へ行った。土嚢の上には機関銃が据え付けられていて、兵士に帰るよう怒鳴られた。殺気立って居た。夕方には駿河台の方にも軍隊がやって来て戦いが始まるかもしれないからコンクリートのビルの裏に隠れるような事も言われた。えらいことになったとは思ったが何か心は躍っていた。これが2・26事件の思い出だ。

 2.26事件を検索すると「反乱軍となった青年将校率いる近衛兵の行動を善とする見方と悪とする考え方が錯綜していて、当時軍部の皇道派と統制派の争いであるとか、新興財閥と三井三菱ら大財閥との闘争であるとか、いう議論もあって真相や正邪は未だ霧の中のようである。ただ言えるのは皇道派の青年将校らが【昭和維新】を唱えてクーデターを起こして、当時の政治を司どっていた指導者や財閥を排除して天皇親政の理想国家を興すことを目指したが、逆に天皇から反乱軍と認定されて挫折し、処刑されたのが実情のようだ。

 今また大阪で【維新の会】が政治の変革を目指して立ち上がった。昭和初期の日本は貧しく、血気盛んな青年将校らは政党政治に飽きたらず、理想に燃えて起ち上がった姿は、今の政局の混乱と似通っているように思われてならない。

 民主党はマニフェストが現実的ではない、将来の日本を考える時、社会保障と税の一体化を図るべきと舵を切ったことに対し、党内からマニフェスト尊重こそ大義だと異論を唱え、野党はこれを口実に政策協議にも入らず、国家国民をないがしろにして党利党略にうつつを抜かす中、国民は【維新の会】の「船中八策」に関心を動かしつつあって、正に政局は維新があってもおかしくない様相だ。