百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

Kさんが来てNさんが来て

2009-12-26 18:01:25 | Weblog

  12月26日  (土) 
            平成17年1月1日より 1,821日目
                                      歩いた歩数       その距離    
            本日     13,601歩         9,521m
            総計   25,642,768歩  17,949,938m
   パキスタン・アフガニスタンからイランの首都テヘランに向かう。後586,849m

               
                    葉のついた蜂屋柿 (Kさんより)

  挿し歯が入る日。治療が終わった後、ウォーキングで汗をかいて帰宅するとKさんが来ていた。Kさんは私のりんご移出商としての駆け出し時代に私の片腕となって東奔西走活躍して呉れた番頭さんだった人だ。時移り日変わって彼も傘寿。昨年は胃と胆嚢をとるという大手術で若き時代の面影はないが、手八丁・口八丁の口の方だけは今も達者、今を説き、昔を語って厚い情を披歴する。そして話は訪中に及んだ。

 今度は私の独壇場。10月訪れた写真帳を解説しながら中国の発展振りを説く。一度も中国を訪ねたことも無い彼は「ホ~ホ~・・・」と身を乗り出して乗って来る。こちらも雰囲気に乗って来て、時間の過ぎるのも忘れて話し込む。見れば4時。妻に帰り車を出して欲しいと言う。妻が承知して玄関を出ようとした時、Nさん夫妻がにこやかに登場。再びリビングへ。旧宅の片付けの終わった事・息子さんが入試に向えて挑戦して居ること事など謝辞を述べられ、斑尾の話になった。

 ケーブルテレビを入れたとメールのアドレスを示され、メール交換を約束。斑尾訪問を促される。私も『春の竹の子・秋のキノコ狩り』には是非と答えて四方山話。話は弾んでお酒の話に・・・。

 年末を控えて気忙わしさもさることながら楽しい一日となった。一年を振り返り、人生を省みて、何一つ困ったことも苦しみもなく順風満帆の人生に只々感謝あるのみ!


日中友好協会の理事会で

2009-12-26 08:44:56 | Weblog

 12月25日  (金) 
            平成17年1月1日より 1,820日目
                   歩いた歩数       その距離
            本日       13,731歩          9,612m
             総計   25,629,167歩  17,940,417m
   パキスタン・アフガニスタンからイランの首都テヘランに向かう。後596,370m

              

  飯山市日中友好協会の第二回理事会が開かれた。正式議題が終了した所で、会長より育英基金についての発言を求められた。私は中国の貨幣の単位が元でありながら札には『円』で表示されている事の疑問について問題提起した後訪中に同行した島崎理事に発言を求めた。隆化での各学校の育英事業に対する評価と期待の大きさを知り、育英基金の拡充と充実が日中友好に貢献すると確信したと語られた。

 この後、わたしは中国は世界経済の不況の中で、揺るぎない発展をしつつある現況を見て来たが、その中にあっても父母を失った者・父母が病気・事故などで収入の道を断たれて、就学不能の児童や生徒の存在も見逃せない事実で、この子供たちに愛の手を差し伸べることが友好運動にとってたいへん重要な任務と考えると訴えた。

 そして現在に至るまでの基金活動の経過を報告し、育英基金の事業の拡大充実のためにNPO組織を立ち上げたいので役員の皆さんのご賛同とご協力を得たい。ここに頂いた『一灯照隅』の酒がある。この酒を呑んで「一灯照隅 万灯照国」の志をくんで頂きたい。私もあと5年で90歳になる。それまでに組織を確立して次代の後継者に引き継ぎたい。と結んだ。

 舞台変わって忘年会の中、「日中友好育英基金の趣旨に賛同し協力する』という書類を持って回り、署名をお願いした。皆さん夫々激励の言葉をもって気持よく署名して呉れた。


クリスマス・イヴ

2009-12-24 17:26:42 | Weblog

 12月24日  (木) 
            平成17年1月1日より 1,819日目
                    歩いた歩数       その距離
             本日         15,875歩         11,113m
               総計   25,615,436歩  17,930,805m
   パキスタン・アフガニスタンからイランの首都テヘランに向かう。後605,982m

                 
                                             飯山の教会

   クリスマスイヴで思いだすのはいつも『救世軍』だ。神田のすずらん通りに「慈善なべ」を下げ、何人かの軍服を着た楽隊が太鼓を叩いて人を集め、困っている人に恵みを呼び掛けたり、自分の行為を懺悔して神に救いを求めたりしていたことを忘れられない。

 今から七拾数年前のイヴの夜、寒い空っ風の中、私は着るオーバーもなく救世軍の楽隊の前に立っていた。そして『信ずる者きたれ!」と楽隊は集まった人達を引き連れて救世軍の本部に向かった。私もその中に居た。

 本部の中は明るく温かく賑やかでしかも豪華な飾りで驚くばかりだった。イヴの行事が荘厳に行われるのを見て、わたしもその雰囲気にのまれクリスマスカードなどを貰い、楽しい一夜を過ごして帰った。

 それからは日曜日になると救世軍の本部に行くようになった。何時しか父の知るところとなって厳しく諌められた。父は板金の職人で、生真面目な性格の人だったので、賭け事をやってはいけない・口笛を吹く奴は不良だ・毛唐の真似するななど保守的な躾方針だったので、遂に救世軍行きは禁足された。

 その後、日本は支那事変から太平洋戦争となって『鬼畜米英』となって行ったのですっかりイヴのことなど忘れて居たが、戦後60年、あちこちにイルミネーションが輝きジングルベルの音楽が流れる時代となって、今の豊かな暮らしの中であの貧しかった寒々としたイヴの夜を思い出す度、今の世の中の幸せをしみじみと感じている。


天皇誕生日

2009-12-23 17:24:54 | Weblog

 12月23日 (水)  ①
           平成17年1月1日より 1,818日目
                 歩いた歩数    その距離
           本日       14,627歩       10,239m
              総計   25,599,561歩   17,919,693m
  パキスタン・アフガニスタンからイランの首都テヘランに向かう。後617,094m

              
                   綿帽子被って温かそうな福の神

  天皇誕生日は国民の祝日だ。私たちの子供の頃は学校の校門に日ノ丸の国旗が交差して立てられ『我が大君の生まれ給いし佳き日なり…』等と唱って紅白のまんじゅうをもらってお祝いしたもんだ。その日を“天長節”なんて言って居た。

 今上天皇が誕生されたのは、私の小学校2年の年、昭和8年12月23日だった。それまで生まれた方は皆内親王で、この日皇太子が生まれ国民は喜びに沸いた。「鳴った、鳴ったサイレン・・・』学校のサイレンが鳴らされ、皇太子殿下誕生の歌を歌ったことを覚えている。そして今日、76歳の誕生日をお迎えになられた。

 朝のウォーキングで回って見たが、何処にも日の丸の旗を掲揚してる家に出くわさなかった。なんとも寂しい限りだ。それにしても「天皇は内閣の助言と承認に基づいて国事行為をやると憲法に書いてある。」なんておっしゃる方には総理大臣にはなって欲しくないネ。

 これに刺激されたかどうかは判らないが、ニュースによれば午後3時現在で過去最高の3万人を超える国民がお祝いに駆けつけていると報じている。

 


スポーツ吹き矢忘年会

2009-12-22 21:05:35 | Weblog

 12月22日  (火)  ①
            平成17年1月1日より 1,817日目
                                       歩いた歩数       その距離
            本日 1      5,822歩         11,075m
            総計  25,584,934歩   17,909,454m
  パキスタン・アフガニスタンからイランの首都テヘランに向かう。後627,333m

      朝のウォーキングは快晴で寒気の厳しい中、白銀の世界を眺めながら千曲の堤防を行く。除雪してあるとはいえ、スニーカーの私には歩き難いので中央橋から本町のアーケード街に出て秋津に向かう。大型店で柿酢を漉すネットを買い、プリンターのインクの値段を調べて帰る。

 帰途、社協に立ち寄り、育英基金の飯山式NPOの相談をする。設立の届け出と義務と特典を聞く。現在38の登録があるが、半数は休眠状態と言う。育英基金の設立を期待している姿勢に年明け出来るだけ早く立ち上げる事を話す。

 夕方まで駐車の出来るよう除雪してスポーツ吹き矢の忘年会場に向かう。会場にはM会長一人のみ。会長は女性はご主人の晩酌の用意まで済まさなければ家は空けられないだろうから仕方が無いと呟いていた。案の定、男性が揃い講師先生が来て定刻過ぎてやっと女性陣が席についた。

 宴に入っても講師先生に対する感謝の言葉が出ないので先生の経歴を披露朗読をして、改めて先生が単なる吹き矢の講師でなは無く、理学博士であり中医医師でありヘルスケアートレーナーである先生の講演料はなんと15万円、それを毎回タダで聞いて来た。先生に巡り合えた事はたいへん有り難いことであり、案謝しなければならない。厚くお礼を申し上げます。今後ともよろしくお願い申し上げますと述べた。

 それから宴は沸き上がったが、8時Yさんの締めくくりの言葉があり指名されて私が〆て解散した。凍てついた道を酔いながらふらつきながら帰宅した。