鳩山首相の『5月末決着断念』を非難するのは自民党・守旧派ベースの議論である。小沢さんへの金権批判集中は相変わらずであるし、こういった『ためにする』『小鳩批判』は今ノータリン=アホダラメディアの奏でる主調音になっている。なんでもかんでも『小鳩が悪い』という単純化が愚民政治・テレポリティックスには好都合なのだろう。かつて小泉ポチにあれだけ迎合した者たちが何の反省もなく今そんな偉そうな態度をとっていていいものかどうか、ちょっと彼らと距離をおいて見ていれば答えは明瞭だ。*この中央政界への『陰謀報道』と呼応して、龍馬龍馬とテレビは今NHK民放入り乱れて朝夕騒がしい限りだが、なんで彼一人を突出した幕末のヒーローに祀り上げなければならないのか、暗殺されたから英雄なのかと、私は正直不満である。海外貿易で金儲けをしたかったという彼が幕末の英雄だったというなら、昨年夏、わけのわからない有象無象どもを率いて戦後半世紀以上に亘ってこの国を牛耳って来た自民党支配を現実に打倒した小沢さんだって相当な人物である『筈』である。龍馬はあれこれぶち上げただけでそのうち殺されてしまったが、小沢さんは現実に旧政権を転覆するまでに至ったのである。龍馬がもし仮に暗殺されずに明治期まで存命だったなら、彼も数ある『明治の元勲』たちの一人に過ぎなかった『筈』である。そして彼ら『明治の元勲』たちは誰一人とってもどれもこれも一長一短の、所詮は『極東離れ小島』の田舎者・能書き垂れに過ぎなかったわけである。一方で龍馬を神の如く崇め奉ったかと思えば、他方では小鳩をまるで極悪非道の亡国の徒ででもあるかのように叩きまくるという、この支離滅裂な自家撞着に気づかない(或いは気づかない振りをしている)のが我々のメディアなのである。いったいどっちが極悪非道な亡国の徒か、ということなのである。今は小鳩を叩いて飯の種にしている同じ連中が、数年後には(その頃には既に失脚している?)『小鳩の見直し』を高らかに謳い上げ『彼らは実は偉大だった』云々の反吐が出そうなキャンペーンでまた飯を食うという可能性は大きいのだ。w . . . 本文を読む