本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

ヒドリノトキハ・・・。

2005-05-03 02:42:13 | 
*最近宮沢賢治関連のメルマガ購読を開始して、彼のあの有名な「雨ニモマケズ」の一節が今尚論議を呼んでいるのを知った。研究者でも何でもない私が口出し出来るような話題ではないが、論議のあらましだけなら紹介しても構わないと思ったわけだが、賢治研究もついに《聖書学》のように(?)重箱の隅を突付くような《文献学》になりつつあるのかと、一種感慨を禁じえない。

*問題となっているのは後半部の次の2行である。

ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ

 手帳に鉛筆書きされた原文の写真はよく知られているが、
「ヒデリ」はノートには実は「ヒドリ」とはっきり書かれているため紛糾しているのである。
 私は学校では誤記などは何の説明も無く、日照り=ヒデリ=旱魃(かんばつ)と教わった。が、今は諸説入り乱れているようである。どちらでも意味が通じるから困るのである。
 学問には多数決民主主義はないし、私にはどの説が有力なのか見当もつかないから、以下へ代表的な説を少し並べてみる。

1.ヒドリはヒデリの誤記である。
2.原本はヒドリだったが、出版に際し賢治自身がヒデリへの変更を認めた。
3.ヒドリには日取り=日雇い労働(者)の意味がある。
4.ヒドリは岩手の方言でひとり=一人の意味である。

 ざっと、こんなところだろうか?
 そして、日照りでも一人でも意味するところ(即ち吉本隆明言うところの《喩》)は大差ないじゃないかと言う人と、いやいや全体の構想・構成が大きく異なって来ると言う人にまた分かれる。 というわけで、以下は全文ですから、みなさんも少し考えてみて下さい。 

「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチテ
慾ハナク
決シテイカラズ
イツモシズカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

*そこで学会の顧問をしておられる入沢康夫氏の説はここ→ここ→にあります。

*Mr.KEI氏の説はここ→から《たわごと》へ行って下さい。

*《ヒドリ=肥取り》説のささやまたつお氏の田園コラムはここ→です。

*手帳(原本)の写真があるページ(宮沢賢治七不思議の七)はここ→です。写真は必見と思います。

この方は《ヒドリ=お葬式》説です。カテゴリーから「言葉」へ行って下さい。

こちらは新聞社でしょうか、盛岡弁から類推した《ヒドリ=目の炎症》説です。

*《宮沢賢治イーハトーブセンター》は(重複しますが)ここ→です。

*最後に宮沢賢治のメルマガを発行していらっしゃる渡辺宏さんのHPはここ→です。今回のネタ元です。

*あ~あっと。リンク貼るだけでも馴れない者には大変な作業でした。w



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