本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

ホームレスの生存権?

2006-02-09 09:10:30 | 社会
*以下は毎日新聞からの引用です。

     <高松市>日本テレビに抗議文 (毎日新聞)

 高松市は8日、日本テレビ制作のドキュメンタリー番組「NNNドキュメント’06 ニッポン貧困社会~生活保護は助けない~」で市の生活保護行政をわい曲して放送され、信用を失墜させられたなどとして、同社に訂正放送などを求める抗議文を送付し、今月中に回答を求めた。

 番組は今年1月16日に放送。市は「市議が同行すると職員の態度がひょう変し生活保護がおりた」など、「事実に反するナレーションがあった」と抗議。野宿者の受給などに関し市福祉事務所は取材を受けておらず、事実確認を怠っている、などと指摘した。【内田達也】

 日本テレビ総合広報部の話 放送内容に関しては自信を持っている。抗議文が届き次第、対応させていただく。[毎日新聞2月8日]

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*最近顔を見ないが、かつて街のあちこちでしばしば見掛けたあるホームレスのオジサンは「自分たちは鳩である」というのが口癖だった。「鼠でもいいが不愉快に感じる人もいるだろうから鳩にする」と彼は言った。

 彼は公園の一角を占有するようなバラックやテント小屋は持たず、その日その日で勝手気ままにダンボール等で即席のネグラを作って夜を過ごしていた。「厳寒の冬も極暑の夏も、探せばそれなりのスペースはあるものだ」と、そういう楽観的な処生観を彼は示した。衣食住の衣は着の身着のままである。慈善団体等から貰い物があればそれをずっと着ている。食は炊き出しやパンの支給があるし、そういう場所から遠くまで来てしまった場合は「カラスのように」(←彼はそう言った)ゴミ箱を漁る。

 ところで、彼らのことを考えるとき私がいつも思い出すのは、高校の教科書に載っていた安倍公房の短編『赤い繭』の冒頭である。以下孫引きですが引用してみます。

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 日が暮れかかる。人はねぐらに急ぐときだが、おれには帰る家がない。おれは家と家との間の狭い割れ目をゆっくり歩き続ける。街じゅうこんなにたくさんの家が並んでいるのに、おれの家が一軒もないのはなぜだろう?……と、何万遍かの疑問を、また繰り返しながら。

(以上引用終わり。)

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 大阪に6,600人(←全国の四分の一)いるというホームレスのどれだけの割合が彼のような文字通りの「ホームレス」なのか、私は知らない。また、嘘かほんとか知らないが、1万とか2万とかのお金を出せばバラック小屋やテント小屋を(公園や河川敷に、だが)請け負って建ててくれる人もいると聞いたこともある。

 今南極大陸や月面を除いて、誰の土地でもない場所というのはあるのだろうか?と、ふと思う。鳩やスズメが(あるいは鼠でも?)人家や公園に営巣したからと言って、そんなに目くじら立てて怒りまくる人もいないだろうが、人間がそういうことをすると途端に大問題となる。夕暮れどき、カラスたちには帰るネグラがあるが、彼らにはない。そう考えると、彼のような放浪のホームレスは「人間を捨てた」どころか、『鳩』でさえないようにも思われて来るのだが・・。



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