本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

文明の衝突?

2006-02-08 14:39:31 | 
ムハンマドの風刺漫画抗議デモ、中東からアジアへも (読売新聞) - goo ニュース

*偶像崇拝は禁止ということで、絵も像もいけないというのはわかる。アフガンでは仏教寺院の石窟遺跡も爆砕されてしまったくらいだ。
 例の風刺漫画はTVでチラチラ見ただけだが、レベルも低いし、論じるに値しない駄作というのもわかる。「社会の公器(鏡)」と言うにはあまりにも愚劣でお粗末な『表現の自由』である。

 だが反面私には「その絵をよく見てみたい!」というげすな気持も実は少なからずあるから困ってしまう。

*元々ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も根は同じで、互いに親戚みたいな関係の宗教であるが、先の世界大戦の戦後処理を巡ってイギリス帝国主義が二枚舌を使い、ユダヤ人とアラブ諸国の双方に甘言を用いたことに端を発し、唯一の聖地《エルサレム》を非和解的に奪い合う両者の間では、のっぴきならない椅子取りゲームが今に至るも続いているのである。

 そう。「近代」というのは椅子取りゲームであって、Aという椅子を私が占有している間は余人は決してその椅子にはすわれないのである。

*『文明の衝突』ということで言えば、中世の十字軍は両者傷み分けだったし、もっと遡ればイスラムの勢力がスペインの南端までをも支配下に置いたこともあったが、これは原則「強い方が勝ち残る」というものであって、仮にイスラエルが核兵器を無制限に使用出来るという環境がもしあれば、周辺のアラブ諸国は瞬く間に全滅させられてしまっても不思議はない。何せ超強大なイスラエルはかつて三日間でアラブ諸国を降伏させた経験の持ち主である。何回戦っても圧勝である。これに本国イスラエル以上のユダヤ人人口を国内に抱えているアメリカの事情も加わって、事態はますます複雑化している。
 が、繰り返すが、原則は「弱者必衰」である。

*世界には様々な宗教があって、それら個々を信じるも信じないのも各人の自由であり、これを信教の自由というのだが、他者が一番の心の拠り所としているものなり聖者なりを辱めて良い権利は誰にもない。と私は思う。



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