*今日は昔故灘蓮照九段に教わったことがあるという話をします。(但し指して戴いたわけではありませんが・・。)
→http://www.shogi.or.jp/syoukai/index.html・・ここから『物故棋士』へ。
灘九段は力戦型の独特の将棋を指される方で日蓮宗の僧侶でもありました。
NHK杯等での優勝経験が6回、お弟子さんには神崎健二七段がいらっしゃいます。
============
*三十年も前のことである。
京都伏見街道にある灘道場へ行く機会があった。
灘九段はステテコ姿だったから盛夏のことだったと思う。
「うちは厳しいで」と九段は笑って私がどのくらい指すのか聞いて来た。
私が「他所では初段でやっている」と答えると、「ほなうちでは六級くらいかな・・」そう言って師範代(?)みたいな青年に私の相手をするよう指示した。と言っても他に客がいたのかどうか、まったく記憶がない。仮にいたとしても、もう一人いたかどうかという程度だったろうと思われる。
*で、出来上がった局面が凡そ今日の写真のようなものである。(但し端歩の関係はこうではなかったように思うが手数を合わせるため便宜上こうしておいた。1筋の端歩も突き合っていたと思う。)
先手の私が左美濃に囲い、相手は四間飛車アナグマで、局面は後手側が:
▽6五歩
▲同歩
▽同銀
と仕掛けて来たところである。
以下私が:
▲6六歩
と謝り、
▽7四銀
▲3五歩
▽同歩
▲3八飛車
・・・という展開になった。
結果は取られた桂香を玉頭に集中された私の完敗で、感想戦が始まると早速灘九段は私たちの間に割って入って来て、写真の局面で私の▲6六歩が弱腰だったと指摘した。「6六」の地点は(角金銀と3枚も利いていて)強いところなのだから歩を打って謝ったりしてはいけない、直ちに▲3五歩と行けというのであった。
(後註:今思うと私はこの将棋は後手だったように思う。私より遥かに強い相手が事前に何の相談も無く勝手に第一手を指してしまったのである。そうすると、基本図の不自然な端歩の関係は消滅し普通に両端を突き合っていたことになる。)
そしてそれからが大変である。私をそっちのけで(!)師範代(←もしかしたら奨励会員だったかな?)の彼と灘九段との間で、その場合の変化手順(の一例!)が延々と繰り広げられたのである、しかも『1秒将棋』と言いたいくらいの猛烈なスピードで!
私が驚いたのはその後何十手進んだかわからないが、優劣不明の中盤の捩じり合いが最後まで続いたことで、更に言えば途中疑問手を咎められて(?)『待った!』をするのはむしろ灘九段の方だったから、今思い出してもおかしくて笑ってしまう。
============
その後のことは記憶にない。私はただただ圧倒されただけでその場を辞したのかも知れない。
私は京都に住んでいたわけではなかったので、灘道場へ行ったのはそれが最初で最後のことである。連盟の記録によれば九段は57歳で他界されている。きさくで楽しい人だったようだ。合掌。
→http://www.shogi.or.jp/syoukai/index.html・・ここから『物故棋士』へ。
灘九段は力戦型の独特の将棋を指される方で日蓮宗の僧侶でもありました。
NHK杯等での優勝経験が6回、お弟子さんには神崎健二七段がいらっしゃいます。
============
*三十年も前のことである。
京都伏見街道にある灘道場へ行く機会があった。
灘九段はステテコ姿だったから盛夏のことだったと思う。
「うちは厳しいで」と九段は笑って私がどのくらい指すのか聞いて来た。
私が「他所では初段でやっている」と答えると、「ほなうちでは六級くらいかな・・」そう言って師範代(?)みたいな青年に私の相手をするよう指示した。と言っても他に客がいたのかどうか、まったく記憶がない。仮にいたとしても、もう一人いたかどうかという程度だったろうと思われる。
*で、出来上がった局面が凡そ今日の写真のようなものである。(但し端歩の関係はこうではなかったように思うが手数を合わせるため便宜上こうしておいた。1筋の端歩も突き合っていたと思う。)
先手の私が左美濃に囲い、相手は四間飛車アナグマで、局面は後手側が:
▽6五歩
▲同歩
▽同銀
と仕掛けて来たところである。
以下私が:
▲6六歩
と謝り、
▽7四銀
▲3五歩
▽同歩
▲3八飛車
・・・という展開になった。
結果は取られた桂香を玉頭に集中された私の完敗で、感想戦が始まると早速灘九段は私たちの間に割って入って来て、写真の局面で私の▲6六歩が弱腰だったと指摘した。「6六」の地点は(角金銀と3枚も利いていて)強いところなのだから歩を打って謝ったりしてはいけない、直ちに▲3五歩と行けというのであった。
(後註:今思うと私はこの将棋は後手だったように思う。私より遥かに強い相手が事前に何の相談も無く勝手に第一手を指してしまったのである。そうすると、基本図の不自然な端歩の関係は消滅し普通に両端を突き合っていたことになる。)
そしてそれからが大変である。私をそっちのけで(!)師範代(←もしかしたら奨励会員だったかな?)の彼と灘九段との間で、その場合の変化手順(の一例!)が延々と繰り広げられたのである、しかも『1秒将棋』と言いたいくらいの猛烈なスピードで!
私が驚いたのはその後何十手進んだかわからないが、優劣不明の中盤の捩じり合いが最後まで続いたことで、更に言えば途中疑問手を咎められて(?)『待った!』をするのはむしろ灘九段の方だったから、今思い出してもおかしくて笑ってしまう。
============
その後のことは記憶にない。私はただただ圧倒されただけでその場を辞したのかも知れない。
私は京都に住んでいたわけではなかったので、灘道場へ行ったのはそれが最初で最後のことである。連盟の記録によれば九段は57歳で他界されている。きさくで楽しい人だったようだ。合掌。