1.王将
1962年に三国連太郎主演の「王将」があるが、今回私が見たのは1973年の勝新と中村玉緒の共演の方である。西条八十作詞・船村徹作曲の主題歌『王将』が劇中思い出したように全編流れる。映画は実録モノと言うよりはかつて大ヒットしたこの歌をそのまま映画にしたような印象だった。あと、藤田まことが同じ貧乏長屋の隣人として、三吉にいろいろアドバイスする屋台のうどん屋の役で出演している。
囲碁は「打つ」と言い将棋は「指す」と言う。だから、将棋の駒は後ろから押して滑らせるようにして移動させるのが正しいのだと、昔「髭の先生」=故・升田名人が薀蓄を語ったことがあったが、そういう先生自身、実戦の勝負どころでは盤側で何回も空打ちをくれてから「盤も砕けよ」とばかりに駒を打ち下ろすことが常だった。
私も昔は多少将棋を指した人間だから、坂田翁役の勝新や関根名人役の仲代達也の将棋を指すときの『手つき』が如何にも素人っぽくて「話にならねえよ」という感じだった。笑。
映画と史実を比較しても始まらないが・・。
実力名人制の初代名人に推挙されたのが、八段で向かうところ敵無しだった関根で彼こそが「近代将棋の祖」である。坂田三吉は晩年大阪朝日新聞に推されて勝手に「関西名人」を名乗ったが関根には分が悪かったようで、格付けは七段格だった。映画でも関西に出張って来た関根との手合いは「角香換わり」と言って「角落ち」と「左香落ち」を交互に指す手合いだった。三吉はこの勝負で香落ち二番を勝ち、間に挟まった角落ちを破れるという奇妙な結果に終わった。確かこれは史実通りで、実力以上に格式を重んじる時代だったとは言え平手で指して貰えなかったのだから、三番勝負は勝ったとは言うものの第一人者を自認する将棋指しにとってこれ程の屈辱はなかっただろう。
いわゆる『関西将棋』というと、関根名人に代表される理論重視の関東の将棋に比して、定跡に捉われない捩じり合いの『力将棋』というカラーが強調されるのであるが、今は情報が広く共有されている時代だから昔ほどやれ関東だ、関西だと強調されることはない。ちょっと昔の「升田・大山」の時代にはいわゆる「名人位の箱根越え」が関西将棋界の悲願達成として喧伝されていたのである。
でも淡路九段とか福崎九段とか或いは新鋭の山崎七段とかの棋風を考えると、やっぱり関西は一種独特な感じがして来るから不思議だ。ぁそ。
将棋界というところは現在はともかく「群雄割拠」という現象が起こり難い世界のようで、『第一人者』として将棋界に君臨するのは常に一人だけなのである。
関根金次郎十三世名人の後は木村義雄十四世名人の時代になり、その木村に「良き後継を得た」と言わしめて引退に追い込んだのが大山康晴十五世名人、その次に一世を風靡したのが今年三月に現役を引退した中原誠第十六世名人である。
以下は:
十七世名人 谷川浩司(引退後に襲位予定)
十八世名人 森内俊之(引退後に襲位予定)
十九世名人 羽生善治(引退後に襲位予定)・・となっているが、「大山時代」や「中原時代」はあったとしても「谷川時代」や「森内時代」があったとするのはやや苦しいから(!)中原以降は基本的には「羽生名人の時代」が今尚続いていると言えるのかも知れない。羽生さんは「全七冠奪取」を達成してからはどんどんタイトルを失って一時無冠だったこともあるが、今は盛り返して「四冠」を保持している。総合力で一番強いのはやはりこの人だろうか。その人の挑戦を受けて三連敗からひっくり返した渡辺竜王も並の棋士ではない。是非とも他の棋戦でも頑張って頂戴♪
将棋の哲学というか価値観は時代と共に変遷する。
�私が子供の頃は何よりも「手得」優先だったように思う。
例えば、当時既に現役を退かれて大橋巨泉の『クイズ・ダービー』の準レギュラー解答者をしていた故木村十四世名人は、担当する読売『十段戦』(←これは現『竜王戦』の前身である)の総評でしばしば『振り飛車批判』を繰返していた。それも大山・升田クラスをこき下ろすのだから凄い。(←今の渡辺竜王みたいだ。笑。)
振り飛車というのは攻撃の主力たる飛車という駒を最初に置かれた筋から他の筋へ移して使う戦法のことで、木村名人の主張は、最初の位置にあっても使える飛車を序盤早々わざわざ一手をかけて他所へ移動するという、その一手がまるまる無駄で『棋理に反する』というものであった。(尤もこれはあくまで平手の場合であって、『左香落ち』というハンデ戦で上手の左端に最初から欠陥がある場合は名人だって堂々と振り飛車をしたわけである。ぁそ。)
�(序盤の)『一手の価値』が最重要視された時代には「横歩三年の煩い」という格言もあって、その意味は、飛車で筋の違う歩兵を獲って実利に走ったりすると飛車を元の位置に戻すのに多くの手数がかかって大勢に遅れるということである。
これがいつの頃からか、突如として(かどうか)価値観が180度反転して「実利主義」そのものの世知辛い価値観が主流となって行ったのである。例えば歩兵を1つ損するということは本来9対9だった筈の歩兵の勢力関係が8対10に変化してしまうことになり、「手損」は局面が推移するうちに解消されることがあっても「駒損」は強奪し返さない限り解消され得ないという理屈である。
�現在もこの「実利第一主義」の考え方がプロ間では主流のようで、その典型として森下卓九段の「駒得は裏切らない」という名言がある。
一方「手損」「手得」については、序盤研究の深化に伴い革命的な変化が到来しているようで、先手の勝率も下がっておりその好例として『後手一手損角換り』戦法などがプロ間では定着してしまっている。プロが恒常的に採用する戦法はアマ高段者も当然採用する。これは後手からわざわざ一手損して角交換に出る戦法で、(序盤のある局面を想定した場合「この歩はもう一つ後ろにいた方がいい」といったように)都合二手遅れて指す方が勝るという考え方によるものなのである。故木村名人が聞いたらひっくり返ってしまうかも知れない。w
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『王将』
作詞 西条八十・作曲 船村徹
唄 村田英雄
一番
吹けば飛ぶよな 将棋の駒に 賭けた命を 笑えば笑え うまれ浪花の 八百八橋 月も知ってる 俺らの意気地
二番
あの手この手の 思案を胸に やぶれ長屋で 今年も暮れた 愚痴も言わずに 女房の小春 つくる笑顔が いじらしい
三番
明日は東京に 出て行くからは なにがなんでも 勝たねばならぬ 空に灯がつく 通天閣に おれの闘志が またもえる
王将(1973)(1973) - goo 映画
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2.陽炎4
この映画については特に言いたいことはない。上映されるから見て来るだけ。w
陽炎4 - goo 映画
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3.男はつらいよ(第37作)幸福の青い鳥
*三船敏郎の出た第38作はなぜか飛ばされてしまって、今回はそれより一作前の第37作で、マドンナ・志穂美悦子 (田舎芝居の故・座長の娘=島崎美保役)と長渕剛 (画家を志す看板屋の住込み店員=倉田健吾役)が絡む作品である。かつては石炭の集積所として栄えた九州の筑豊地方・田川伊田の地区がご当地になっている。
「何か困ったことがあったら東京は葛飾柴又のとらやという団子屋を訪ねたらいい」などと甘言を弄して若い女性を誘うのは寅の常套手段であるが、これにまた全てのマドンナたちが例外なく、ダボハゼのように直ちに食らい付くのである。食いついて貰わないことには映画にならないってか、あちゃ、筑豊で芸者のコンパニオンをしていて寅の突然の訪問を受けた美保も、後先考えずすぐに上京してしまう。
「今の時代、若い女性がみんなこんなふうだったら命が幾つあっても足りない」と思う向きもあるだろうが、毎度言うようにこのシリーズはリアリズムを追求した映画ではないのである。
*冒頭タコ社長の印刷工場では「余剰人員」が話題になっている。2年前にオフセットを導入して以来どうしても人員が一人余っていたところへ、一人の工員の実家で家業のクリーニング店の後継者が必要となり、結局彼は田舎へUターンして行く。
キャスト(役名)
渥美清 アツミキヨシ (車寅次郎)
倍賞千恵子 バイショウチエコ (さくら)
志穂美悦子 シホミエツコ (島崎美保)
長渕剛 ナガブチツヨシ (倉田健吾)
下絛正巳 シモジョウマサミ (車竜造)
三崎千恵子 ミサキチエコ (つね)
前田吟 マエダギン (諏訪博)
太宰久雄 タザイヒサオ (社長)
佐藤蛾次郎 サトウガジロウ (源公)
吉岡秀隆 ヨシオカヒデタカ (満男)・・相変わらず複数の女生徒にモテモテで、ラヴレターを江戸川土手であけみに見せて対処法の相談をする。
美保純 ミホジュン (あけみ)
笠智衆 リュウチシュウ (御前様)・・何回目かの誕生日を迎えて境内でお祝いする。
すまけい スマケイ (嘉穂劇場の男)・・見せ場は一回だけ。
イッセー尾形 イッセーオガタ (車掌)
関敬六 セキケイロク (ポンシュウ)
不破万作 フワマンサク (キューシュー)・・紅テント出身。
笹野高史 ササノタカシ (葛飾区結婚相談所係員・近藤)
有森也実 アリモリナリミ (温泉場の娘)・・もったいないがちょい役である。
桜井センリ サクライセンリ (来々軒の親父)・・マドンナを雇って店は繁盛する。
男はつらいよ 幸福の青い鳥(1986) - goo 映画
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1962年に三国連太郎主演の「王将」があるが、今回私が見たのは1973年の勝新と中村玉緒の共演の方である。西条八十作詞・船村徹作曲の主題歌『王将』が劇中思い出したように全編流れる。映画は実録モノと言うよりはかつて大ヒットしたこの歌をそのまま映画にしたような印象だった。あと、藤田まことが同じ貧乏長屋の隣人として、三吉にいろいろアドバイスする屋台のうどん屋の役で出演している。
囲碁は「打つ」と言い将棋は「指す」と言う。だから、将棋の駒は後ろから押して滑らせるようにして移動させるのが正しいのだと、昔「髭の先生」=故・升田名人が薀蓄を語ったことがあったが、そういう先生自身、実戦の勝負どころでは盤側で何回も空打ちをくれてから「盤も砕けよ」とばかりに駒を打ち下ろすことが常だった。
私も昔は多少将棋を指した人間だから、坂田翁役の勝新や関根名人役の仲代達也の将棋を指すときの『手つき』が如何にも素人っぽくて「話にならねえよ」という感じだった。笑。
映画と史実を比較しても始まらないが・・。
実力名人制の初代名人に推挙されたのが、八段で向かうところ敵無しだった関根で彼こそが「近代将棋の祖」である。坂田三吉は晩年大阪朝日新聞に推されて勝手に「関西名人」を名乗ったが関根には分が悪かったようで、格付けは七段格だった。映画でも関西に出張って来た関根との手合いは「角香換わり」と言って「角落ち」と「左香落ち」を交互に指す手合いだった。三吉はこの勝負で香落ち二番を勝ち、間に挟まった角落ちを破れるという奇妙な結果に終わった。確かこれは史実通りで、実力以上に格式を重んじる時代だったとは言え平手で指して貰えなかったのだから、三番勝負は勝ったとは言うものの第一人者を自認する将棋指しにとってこれ程の屈辱はなかっただろう。
いわゆる『関西将棋』というと、関根名人に代表される理論重視の関東の将棋に比して、定跡に捉われない捩じり合いの『力将棋』というカラーが強調されるのであるが、今は情報が広く共有されている時代だから昔ほどやれ関東だ、関西だと強調されることはない。ちょっと昔の「升田・大山」の時代にはいわゆる「名人位の箱根越え」が関西将棋界の悲願達成として喧伝されていたのである。
でも淡路九段とか福崎九段とか或いは新鋭の山崎七段とかの棋風を考えると、やっぱり関西は一種独特な感じがして来るから不思議だ。ぁそ。
将棋界というところは現在はともかく「群雄割拠」という現象が起こり難い世界のようで、『第一人者』として将棋界に君臨するのは常に一人だけなのである。
関根金次郎十三世名人の後は木村義雄十四世名人の時代になり、その木村に「良き後継を得た」と言わしめて引退に追い込んだのが大山康晴十五世名人、その次に一世を風靡したのが今年三月に現役を引退した中原誠第十六世名人である。
以下は:
十七世名人 谷川浩司(引退後に襲位予定)
十八世名人 森内俊之(引退後に襲位予定)
十九世名人 羽生善治(引退後に襲位予定)・・となっているが、「大山時代」や「中原時代」はあったとしても「谷川時代」や「森内時代」があったとするのはやや苦しいから(!)中原以降は基本的には「羽生名人の時代」が今尚続いていると言えるのかも知れない。羽生さんは「全七冠奪取」を達成してからはどんどんタイトルを失って一時無冠だったこともあるが、今は盛り返して「四冠」を保持している。総合力で一番強いのはやはりこの人だろうか。その人の挑戦を受けて三連敗からひっくり返した渡辺竜王も並の棋士ではない。是非とも他の棋戦でも頑張って頂戴♪
将棋の哲学というか価値観は時代と共に変遷する。
�私が子供の頃は何よりも「手得」優先だったように思う。
例えば、当時既に現役を退かれて大橋巨泉の『クイズ・ダービー』の準レギュラー解答者をしていた故木村十四世名人は、担当する読売『十段戦』(←これは現『竜王戦』の前身である)の総評でしばしば『振り飛車批判』を繰返していた。それも大山・升田クラスをこき下ろすのだから凄い。(←今の渡辺竜王みたいだ。笑。)
振り飛車というのは攻撃の主力たる飛車という駒を最初に置かれた筋から他の筋へ移して使う戦法のことで、木村名人の主張は、最初の位置にあっても使える飛車を序盤早々わざわざ一手をかけて他所へ移動するという、その一手がまるまる無駄で『棋理に反する』というものであった。(尤もこれはあくまで平手の場合であって、『左香落ち』というハンデ戦で上手の左端に最初から欠陥がある場合は名人だって堂々と振り飛車をしたわけである。ぁそ。)
�(序盤の)『一手の価値』が最重要視された時代には「横歩三年の煩い」という格言もあって、その意味は、飛車で筋の違う歩兵を獲って実利に走ったりすると飛車を元の位置に戻すのに多くの手数がかかって大勢に遅れるということである。
これがいつの頃からか、突如として(かどうか)価値観が180度反転して「実利主義」そのものの世知辛い価値観が主流となって行ったのである。例えば歩兵を1つ損するということは本来9対9だった筈の歩兵の勢力関係が8対10に変化してしまうことになり、「手損」は局面が推移するうちに解消されることがあっても「駒損」は強奪し返さない限り解消され得ないという理屈である。
�現在もこの「実利第一主義」の考え方がプロ間では主流のようで、その典型として森下卓九段の「駒得は裏切らない」という名言がある。
一方「手損」「手得」については、序盤研究の深化に伴い革命的な変化が到来しているようで、先手の勝率も下がっておりその好例として『後手一手損角換り』戦法などがプロ間では定着してしまっている。プロが恒常的に採用する戦法はアマ高段者も当然採用する。これは後手からわざわざ一手損して角交換に出る戦法で、(序盤のある局面を想定した場合「この歩はもう一つ後ろにいた方がいい」といったように)都合二手遅れて指す方が勝るという考え方によるものなのである。故木村名人が聞いたらひっくり返ってしまうかも知れない。w
============
『王将』
作詞 西条八十・作曲 船村徹
唄 村田英雄
一番
吹けば飛ぶよな 将棋の駒に 賭けた命を 笑えば笑え うまれ浪花の 八百八橋 月も知ってる 俺らの意気地
二番
あの手この手の 思案を胸に やぶれ長屋で 今年も暮れた 愚痴も言わずに 女房の小春 つくる笑顔が いじらしい
三番
明日は東京に 出て行くからは なにがなんでも 勝たねばならぬ 空に灯がつく 通天閣に おれの闘志が またもえる
王将(1973)(1973) - goo 映画
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2.陽炎4
この映画については特に言いたいことはない。上映されるから見て来るだけ。w
陽炎4 - goo 映画
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3.男はつらいよ(第37作)幸福の青い鳥
*三船敏郎の出た第38作はなぜか飛ばされてしまって、今回はそれより一作前の第37作で、マドンナ・志穂美悦子 (田舎芝居の故・座長の娘=島崎美保役)と長渕剛 (画家を志す看板屋の住込み店員=倉田健吾役)が絡む作品である。かつては石炭の集積所として栄えた九州の筑豊地方・田川伊田の地区がご当地になっている。
「何か困ったことがあったら東京は葛飾柴又のとらやという団子屋を訪ねたらいい」などと甘言を弄して若い女性を誘うのは寅の常套手段であるが、これにまた全てのマドンナたちが例外なく、ダボハゼのように直ちに食らい付くのである。食いついて貰わないことには映画にならないってか、あちゃ、筑豊で芸者のコンパニオンをしていて寅の突然の訪問を受けた美保も、後先考えずすぐに上京してしまう。
「今の時代、若い女性がみんなこんなふうだったら命が幾つあっても足りない」と思う向きもあるだろうが、毎度言うようにこのシリーズはリアリズムを追求した映画ではないのである。
*冒頭タコ社長の印刷工場では「余剰人員」が話題になっている。2年前にオフセットを導入して以来どうしても人員が一人余っていたところへ、一人の工員の実家で家業のクリーニング店の後継者が必要となり、結局彼は田舎へUターンして行く。
キャスト(役名)
渥美清 アツミキヨシ (車寅次郎)
倍賞千恵子 バイショウチエコ (さくら)
志穂美悦子 シホミエツコ (島崎美保)
長渕剛 ナガブチツヨシ (倉田健吾)
下絛正巳 シモジョウマサミ (車竜造)
三崎千恵子 ミサキチエコ (つね)
前田吟 マエダギン (諏訪博)
太宰久雄 タザイヒサオ (社長)
佐藤蛾次郎 サトウガジロウ (源公)
吉岡秀隆 ヨシオカヒデタカ (満男)・・相変わらず複数の女生徒にモテモテで、ラヴレターを江戸川土手であけみに見せて対処法の相談をする。
美保純 ミホジュン (あけみ)
笠智衆 リュウチシュウ (御前様)・・何回目かの誕生日を迎えて境内でお祝いする。
すまけい スマケイ (嘉穂劇場の男)・・見せ場は一回だけ。
イッセー尾形 イッセーオガタ (車掌)
関敬六 セキケイロク (ポンシュウ)
不破万作 フワマンサク (キューシュー)・・紅テント出身。
笹野高史 ササノタカシ (葛飾区結婚相談所係員・近藤)
有森也実 アリモリナリミ (温泉場の娘)・・もったいないがちょい役である。
桜井センリ サクライセンリ (来々軒の親父)・・マドンナを雇って店は繁盛する。
男はつらいよ 幸福の青い鳥(1986) - goo 映画
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