本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

万波医師の病腎移植。

2008-02-14 17:30:13 | 世界
*さて今日は臓器移植の問題を少しだけ考えてみる。ご案内のように我々は個々体内に様々な臓器を持っているが、そのうちのどれ一つとっても不要なものはなく、うち一つでも機能不全に陥ると直ちに生死に関わって来る。そこで考えられたのが、自分の不具合な臓器に換わって他人から臓器を貰い受けて来ることであり、その究極が心臓移植であり、これは言うまでもなくドナーの死を前提とした移植である。
 今腎臓が足りない。決定的なドナー不足である。腎臓移植を望む人の方が、二つある腎臓の一方を提供しても良しとする人を遥かに上回っているというのが全世界的傾向である。腎臓を病んでいる人には他に体外の人工腎臓によって血液を浄化する『人工透析』という手段も広く行われているが、これは隔日通院して長時間ベッドに横たわる必要があって非常に効率が悪い上精神的にも肉体的にも多大の苦痛を伴う治療である。腎臓移植にはこれまで1.生体移植と2.死体移植があったが、第三の道が万波医師らの取った3.病気腎移植で、これに対する評価は賛否両論、真っ二つに分かれている。日本の行政と移植学会は万波医師と病院を厳しく糾弾する態度、一方慢性的な臓器不足に悩むアメリカでは万波論文を高く評価して今年1月には、学会に呼びTop10の一人に選んで表彰までした。オーストラリアでは病腎移植は既に合法化され広汎に行われているということである。一医師の医療行為を巡ってこれだけ評価が割れるのも珍しく、ことの是非は個々人の判断に委ねるとして、この問題でも我が国は世界の大勢に遅れをとっているとしか言いようがない。

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*臓器移植と聞いて私が真っ先に連想するのが『エホバの証人』のことである。聖書の原典に忠実なこの教団信徒は『輸血』は『他人の血を食べてはならない』という教えに背くものとしてこれを拒否し、みすみす助かる命を助けない信教として世間の注目を浴びた。
 
 『心臓移植』には私はどちらかと言えば否定的である。助からない命を一秒でも早く絶ってしまい(!)代わりに助かるべき命を助けるという考え方には付いていけないというか抵抗があるわけだが、これも合理主義というのだろうか、アメリカではあっけらかんとドライに割り切ってこの方法をとっており、人種や国籍に関係なく金さえ出せば手術してくれる傾向にある。これは言ってしまえば『人命救助ビジネス』である。
 この『金さえ出せば』というところが味噌で、日本でもしばしば『xxちゃんを助けよう』というキャンペーンが張られ大概は必要な金額も集まるし、闇の世界では半ば公然と臓器売買が行われている。『金で命が買える』時代へと、我々は着実に一歩踏み込んでいるように思われる。

 さて、この万波医師だけれど、『患者優先』『移植優先』で突っ走って来た人である。 当然個々の途中経過では強引な側面も多々あったため、軋轢も大きく、テレビや週刊誌等メディアの袋叩きに会うこともしばしばだった。ただ彼らの情報源は厚生労働省主体であり、この官庁をして万波医師や当該病院への攻撃に駆り立てたのが『移植学会』の独断専横であるから、どこまで公正な報道が行われたかは甚だ疑問である。ここでも一列横並びのマスコミは得意の『狂乱報道』に走ってまた一つ汚点を残したと言っていい。

 『魔女狩り』のようにまるで犯罪者扱いされ、厚生労働省の出方によっては医師生命まで危ぶまれる万波医師だが、仮に彼を犯罪者と呼ぶなら彼は『確信犯』そのものであり、自分は少しも悪いことをしたとは思っていないだろう。臓器移植はどこまでなら許されるのか、そのガイドラインを示して国民的合意を取り付けることが今の不祥事続発の霞ヶ関官僚に果たして可能かどうかということである。

cf.万波誠←このウィキペディアの記述は賛否両論について詳しい。
cf.万波誠医師のチャレンジとヘルシンキ宣言
cf.万波誠医師を支持します!
cf.ヤフーニュース『病気腎移植問題』
cf.日本透析医学会病腎移植に関する声明(2007/05/29)
cf.病腎移植に関する日本腎臓学会の見解(平成19.5.2)
cf.移植への理解を求める会公式HP←ムービー。
cf.腎臓ネット
cf.全腎協
cf.厚生労働省


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