*『渥美清フィルモグラフィー』はここ→です。ここへ行くと『男はつらいよ』の主演を張る前に、彼は既に多くの映画に主演して来たことが今更のようによくわかる。
*30年前の人気TVドラマシリーズ『泣いてたまるか』から「おお独身くん!」(松林宗恵監督)を見た。相手役は若かりし頃の中村玉緒で和服姿がとてもきれいだった。話もきれいにまとまっていた。
*この『泣いてたまるか』のシリーズも、TV・映画の『男はつらいよ』のシリーズも、当たり前だが看板たる渥美清のテレビドラマであり映画である。
暴論かも知れないが、彼は「今度はどんな役作りかな?」などどファンに興味を抱かせるタイプの演技派役者ではなかったし、相手役によって微妙に芝居を変える技巧派役者でもなかった。言わば自分の強烈な個性をアピールすることに全力を尽くすだけの、ワン・パターンで不器用な役者であった。もっと言ってしまえば相手構わぬ『一人芝居』こそが彼の真骨頂だったのである。
駅前シリーズだったか、深夜酔っ払ったサラリーマン(←無論演じているのは渥美清)が公園の遊具で遊びながら繰り広げる文字通りの『一人芝居』は抱腹絶倒ものだった。
*では彼とコンビを組んで48作ものシリーズものを作り続けた山田洋次監督とはどういう監督なのだろう?
好評だったTVドラマに応える形で、一作だけのつもりで映画『男はつらいよ』を始めたらしい。途中何度も「もう止める」「これが最後」と言いながら続けて来て、結局渥美清が亡くなる寸前まで、この松竹のドル箱シリーズを作り続けた。寅さんが来ないと日本の正月もお盆も来なかった。
「松竹が止めさせてくれなかった」と言っても決して言い過ぎではないだろうが「ファンが止めさせてくれなかった」と言ったらそれは全然違うと言うしかない。晩年の彼が、起きているだけでもしんどいような状態のまま、厚塗りでロケに参加していたのはよく知られた事実である。
*山田監督はしかし監督としての手腕・能力は一流である。仮に彼が渥美清と出会うことが無かったとしても良い仕事を残せただろうと私も認める。
ここで山田監督作品の一例として『俺たちの交響楽』(79年)を挙げようとしたら、これは彼は発案しただけであり、長い間彼と組んで脚本を書いてきた朝問義隆の監督デビュー第一回作品だということがわかった。
何故これを選びたかったかというと、論証抜きに断定すると、これは労音の映画と言うよりは共産党の映画(?)だからである。(笑)
*昔太田竜という面白い左翼評論家がいて、彼はこう断言して私たちを笑わせた。
曰く「論証抜きに言う。山田洋次は日共である。」
太田竜らは『トロツキスト』と呼ばれて日本共産党の不倶戴天の敵だったが、だいたいが『トロツキスト』などという用語は、あの悪名高きスターリンの造語であるし、それに日本のトロツキスト系左翼の草分けはみんな「トロツキーにカブレテ『世界革命』などというけしからんことを主張する輩がいるから、ここは一つ敵のネタ本でも読んで一刀両断にしてくれるわ!」と出掛けて行って文字通り「ミイラ取りがミイラになってしまった」ものである。
*作家埴谷雄高は所謂トロツキストではなかったが、フルシチョフのスターリン批判が出る遥か前からスターリン批判の急先鋒だった。本人は「レーニンの『国家と革命』を批判しようと試みて『革命と国家』を著述しようとしたが挫折した」と言っている。文革時代の中国の接待外交も強烈に批判した。
*埴谷さんは「文学はその著者の政治的立場を超越している」と言い、その例としてゲーテは鼻持ちならない王党派官僚だったことをよく挙げていた。
私たちもこの尊い教えを肝に銘じて「三島由紀夫は天皇制国粋主義者だから彼の文学なんて認めない」とか「山田洋次は共産党だから寅さん映画は嫌いだ」とかいうことのないようにしたいものだが、現実にはこういうレッテル貼りは陰に陽に頻繁に行われているような気がする。
*吉本隆明曰く、政治の幅より生活の幅の方が広いと。政治などというものは単に手段であって、政治のために我々は生きているわけではない。声高な政治的発言ばかりが鳴り響く時代など来て貰わなくても結構だと私は思う。
*30年前の人気TVドラマシリーズ『泣いてたまるか』から「おお独身くん!」(松林宗恵監督)を見た。相手役は若かりし頃の中村玉緒で和服姿がとてもきれいだった。話もきれいにまとまっていた。
*この『泣いてたまるか』のシリーズも、TV・映画の『男はつらいよ』のシリーズも、当たり前だが看板たる渥美清のテレビドラマであり映画である。
暴論かも知れないが、彼は「今度はどんな役作りかな?」などどファンに興味を抱かせるタイプの演技派役者ではなかったし、相手役によって微妙に芝居を変える技巧派役者でもなかった。言わば自分の強烈な個性をアピールすることに全力を尽くすだけの、ワン・パターンで不器用な役者であった。もっと言ってしまえば相手構わぬ『一人芝居』こそが彼の真骨頂だったのである。
駅前シリーズだったか、深夜酔っ払ったサラリーマン(←無論演じているのは渥美清)が公園の遊具で遊びながら繰り広げる文字通りの『一人芝居』は抱腹絶倒ものだった。
*では彼とコンビを組んで48作ものシリーズものを作り続けた山田洋次監督とはどういう監督なのだろう?
好評だったTVドラマに応える形で、一作だけのつもりで映画『男はつらいよ』を始めたらしい。途中何度も「もう止める」「これが最後」と言いながら続けて来て、結局渥美清が亡くなる寸前まで、この松竹のドル箱シリーズを作り続けた。寅さんが来ないと日本の正月もお盆も来なかった。
「松竹が止めさせてくれなかった」と言っても決して言い過ぎではないだろうが「ファンが止めさせてくれなかった」と言ったらそれは全然違うと言うしかない。晩年の彼が、起きているだけでもしんどいような状態のまま、厚塗りでロケに参加していたのはよく知られた事実である。
*山田監督はしかし監督としての手腕・能力は一流である。仮に彼が渥美清と出会うことが無かったとしても良い仕事を残せただろうと私も認める。
ここで山田監督作品の一例として『俺たちの交響楽』(79年)を挙げようとしたら、これは彼は発案しただけであり、長い間彼と組んで脚本を書いてきた朝問義隆の監督デビュー第一回作品だということがわかった。
何故これを選びたかったかというと、論証抜きに断定すると、これは労音の映画と言うよりは共産党の映画(?)だからである。(笑)
*昔太田竜という面白い左翼評論家がいて、彼はこう断言して私たちを笑わせた。
曰く「論証抜きに言う。山田洋次は日共である。」
太田竜らは『トロツキスト』と呼ばれて日本共産党の不倶戴天の敵だったが、だいたいが『トロツキスト』などという用語は、あの悪名高きスターリンの造語であるし、それに日本のトロツキスト系左翼の草分けはみんな「トロツキーにカブレテ『世界革命』などというけしからんことを主張する輩がいるから、ここは一つ敵のネタ本でも読んで一刀両断にしてくれるわ!」と出掛けて行って文字通り「ミイラ取りがミイラになってしまった」ものである。
*作家埴谷雄高は所謂トロツキストではなかったが、フルシチョフのスターリン批判が出る遥か前からスターリン批判の急先鋒だった。本人は「レーニンの『国家と革命』を批判しようと試みて『革命と国家』を著述しようとしたが挫折した」と言っている。文革時代の中国の接待外交も強烈に批判した。
*埴谷さんは「文学はその著者の政治的立場を超越している」と言い、その例としてゲーテは鼻持ちならない王党派官僚だったことをよく挙げていた。
私たちもこの尊い教えを肝に銘じて「三島由紀夫は天皇制国粋主義者だから彼の文学なんて認めない」とか「山田洋次は共産党だから寅さん映画は嫌いだ」とかいうことのないようにしたいものだが、現実にはこういうレッテル貼りは陰に陽に頻繁に行われているような気がする。
*吉本隆明曰く、政治の幅より生活の幅の方が広いと。政治などというものは単に手段であって、政治のために我々は生きているわけではない。声高な政治的発言ばかりが鳴り響く時代など来て貰わなくても結構だと私は思う。
禿同
トロツキスト、レーニン、三島、吉本、埴谷などという言葉は消滅したと思っていたので妙に懐かしい。