本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

秋刀魚の味再び。

2015-06-06 20:44:13 | 
 小津安二郎監督作品《秋刀魚の味(1962年)》は観たけれど、「映画の中に鱧(はも)料理は出て来たが秋刀魚料理は出て来たかどうか?」自信がない。零落した恩師の長屋住まいに秋刀魚が出されていたようにも思うのであるが・・。

 そんなことよりも、ビートルズが数々のヒット曲を生んだ同じ年に《秋刀魚の味》が製作されていたというのは私には驚きだった。私の勝手な印象を述べるならば、「ビートルズはつい最近の出来事であり、小津安二郎作品は大昔の映画」なのである。

 ☆$¥125台後半(6/2.22:02時事通信。12年ぶりの安値水準。)

 ☆若い世代に拠る殺人事件が相次ぐ。「焼死体を見たかったからだ」などと訳のわからないことを警察に対して供述した👩女性もいる。警察が無理矢理供述させたのだろうか?
 「殺人」は今殊更頻発しているわけではないだろう。江戸時代にも恐らくは頻発していたのだろうが、「科学的捜査」が十全では無かった時代には「神隠し」などと称されて曖昧模糊のまま処理されてしまったことも充分思慮されて然るべきだ。殺人事件は今に始まった「事件」ではないのである。筒井康隆ではないが、人は有史以来ずっとずっと「殺し殺される関係」を維持し続けて来た。「平和」が中断されることはあっても「戦争」が中断されたことはない。それを考えるならば、人類は元々殺し合いが大好きなのかも知れない。「世界の憲兵・平和国家=アメリカ」はどうか?
 第二次世界大戦後世界を股にかけて席巻したアメリカは常に「戦争常戦国」ではなかったか。「軍・産・学」が一体となったコングロマリットが黒人・有色人種を主体とした国家総動員的体制を敷いていないと、一体誰が言い切れるだろうか?


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