本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

551蓬莱の豚マン。

2015-04-09 06:21:37 | 
 大阪名物551蓬莱の豚マンというのがある。関東ではどうなのか知らないが、例えばJR天王寺駅では実演販売を毎日やっている。作っているところを見せながら、売っているのだ。狭いスペースであるが客はよく並んでいる。私も時々並んで買う。コンビニの肉マンより倍近い値段で2個箱入りで340円する。4個入りとか8個入りとかあるが、私には2個入りでも多過ぎるくらいで、2個が限度だ。家族持ちのおばさん達は大量に買って行く。他にもシュウマイとか餃子とか肉団子とかも売っているが、セットで買うと結構なお値段になってしまう。
 私は癖で注文するとき《肉マン》とつい言ってしまうのだが、すると販売員は怪訝そうな顔をして「豚マンですね?」と聞き返して来る。まるで「ウチでは肉マンなどは扱っていませんよ!」とでも言いたげである。コンビニでもスーパーでも事情は同じで、アメリカンドッグだとかビッグドッグだとかをその店固有の呼称で呼ばないと許して貰えないのだ。まさに「老いては子に従え」的心境に陥るのはそんなときかと思う。

 ☆イスラム教の教えでは「豚は糞尿よりも汚れた動物だから決して食べてはいけない」ということらしい。私はイスラム教徒ではないが、何故か「豚マン」という呼び方には抵抗がある。毎日のように食べさせて頂いている《豚》さんやその他の鳥獣類に対して不遜で思い上がった態度がそこにはあるようにすら感じられてしまうのである。我々日本人一般も「あのブタ野郎!」とか「あのメスブタが!」とか、とにかく《豚》という言葉が日常的にはあまりいい意味で使われることはないが、その由来を私は知らない。

 晩年の埴谷雄高は少量の鳥獣類の肉を(⇦と言っても独身生活の長かった彼は一部屋を小鳥たち専用の部屋にあてがっていたから鶏肉を食べていたかどうかは私は知らない。)自分でソテーして食べていたという。所謂《菜食主義者》に対しては一言あったようで、植物であれ動物であれ他の生命を日々殺して食べていることに違いはなく、彼の代表作『死霊』の中ではそれをもって釈迦やイエス・キリストを(人類の代表として呼び出し裁きの場で)断罪していた。彼は他の生命を殺して食すること無しでは一日たりとも延命出来ないという、この星の存在様式がそもそも大いに不満だったのである。彼が『敵は制度』というとき、この存在様式をも含めての話である。


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