豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2015年03月20日 07時47分22秒 | 日記
 ( Vol 1245 ) チュニジアで 博物館襲撃事件が起きた 憤りを覚える

地中海周遊を 楽しみにして 旅に出た人々を 悪夢が襲った

この観光客達は なんの恨みを買ったのだろう

それは 見あたらない

武装グループは イスラム過激派グループという

いま イスラム過激派の行動は 無作為的な 武装攻撃を仕掛けている

これは イスラム教にとっても 信頼の大きな損出になる

自分たちの存在を 効果的にアピールする という目的に 関係ない民が犠牲になることは 問題である

どこに この旅行者達に 問題があったのか

どこにもないはずである

イスラム過激派に賛同し 行動した武装集団 彼らは 主義よりも 日頃の不満のはけ口の場として いるのではないか

このような はけ口の仕方は 人道的に見ても 問題である


武装集団の博物館襲撃により 観光客は 19人が死亡

この惨事を起こしたことは 許されない


家族の怒りは 怒っても 怒っても 心はおさまらない

この怒りを 武装集団に参加した者は どう思っているのだろう

なにも感じないとするなら それは もう人間ではない 獣である

正気を失った としか言いようがない


人間としての心を 取り戻して欲しい

日頃の不満のはけ口を求めて 過激な集団に参加する というのは 軽率である


関係のない民の 日常生活を 脅かして良いのだろうか

関係のない民の 安全を 脅かして良いのだろうか


人としての 心を持って欲しい 取り戻して欲しい


今回の 襲撃事件で 犠牲になった人たちを 悼む










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豊前善三のつれづれ日記

2015年03月19日 16時52分45秒 | 日記
 ( Vol 1243 ) 小学校における 道徳教育の教科化は 社会も伴う必要がある

子どもたちへの 道徳観の欠如から 小学校から 道徳教育を教科化しようという

それは 否定しない

人間社会における 最低限の規律 は必要である

現代社会では 目に余る行動が 目につく

まず 子どもから ということだが 子どもだけで良いのだろうか


学校教育で 道徳教育を 受けた子どもたちが 実践社会で 通用しなければ なんにもならない


子どもへの 道徳教育とともに 子どもにとって 先達である大人が 模範を示す必要がある

学校の先生は 学校だけのみの先生であってはならない いつも子どもたちに見られている ということを 意識する必要がある

家庭では 親たちは 学校任せではなく 子どもの受けている 道徳教育を 取り入れた生活態度を とる必要がある

子どもは 親の行動 言動を 見ている


家庭で 街中で 交通機関の中で いたるところで 子どもたちは 先達である大人の行動を見ている

学校での 道徳教育が 活かされる 行動 言動 を意識してもらう必要がある


道徳教育は 学校だけでは 成り立たない

社会も含めて 取り組む必要がある


 






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2015年03月19日 11時38分25秒 | 日記
 ( Vol 1241 ) 戦後処理における ドイツと日本には 違いがある

ドイツを戦争へと 突入させ 先頭に立ったのは ヒットラー ナチスドイツ
日本を戦争へと 突入させ 先頭に立ったのは 天皇 日本帝国軍

戦後処理において ドイツと日本では 違いがある


ドイツは ヒットラーおよびナチスの幹部の 制裁
日本は  天皇は除外 日本帝国軍の幹部の 制裁

その中で ドイツは 首謀者は制裁を受けたが 日本は除外者が出た

そこに 違いがある


日本の天皇は 世界に対して 戦争の責任を どうとり 謝罪表明をしたのか

残念ながら 未だに 完全なる表明行動には 出ていない

本来であるなら 他国の国民を 自国民を 大量に犠牲に導いた責任をとり 天皇の処分 天皇制の廃止 が行われるべきであったのではなかったか

国民の政府に対する 憤りを 出せない状態にした

政府は 戦後日本の 混乱を回避する行動に出たが それは 妥当だったのだろうか


日本の政府の 曖昧な戦後の始末 が 戦後処理を 混乱させてきた

日本政府による 戦争被害にあった国の 国民感情を どう考えたのか


旧帝国憲法では 主権を天皇 現憲法では 主権は 国民(在民) 天皇は象徴
という扱いになっている

そのことからすると 旧憲法下における 戦争の責任者は だれか 
それは 天皇である

天皇を動かした 側近達も 同様である

だが 戦後 憲法が改正され 責任の所在を はっきりすることをしなくなった

新憲法下における政府閣僚 政治家たちは いかに天皇を 利用するかに終始

天皇の利用価値を 真の終結ということに 見いださず 象徴という中に 押し込めてしまった

天皇自身の 本心をも示すことができない 状況を生んだ

今日 日本は 真に戦後を終わらせるには 天皇の戦後処理を しなければならない のではないか

天皇自身の 考えによる 行動 が必要ではないか

現憲法は 天皇は 象徴 政治に関与は できない

その中で 戦争の当事者であった 天皇は どのような 行動をすべきか

いまこそ 考えなければならない のではないか

それには 現政権閣僚が 天皇の意思をくんだ 行動を とるべきではないか

靖国問題 慰安婦問題も 根底には 首謀者が 戦争責任を いまだ 処理されていないところにあるのではないか


現日本政府として 旧憲法下における政府を糾弾し 清算することではないか

清算には 天皇の責任糾弾は 必要不可欠なものである








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2015年03月18日 10時50分56秒 | 日記
 ( Vol 1240 ) 相次ぐ廃炉の決定は 新たな産業を生むのではないか

40年を経過した原発の廃炉が 発表された

原発神話から 現実に戻される 感がある


原発再稼働が これで絶たれたわけではない

電力会社は まだ 原発を保有し 再稼働させようと行動している


この原発廃炉決定は 原発再稼働に向けての 経営の合理化の一環ともとれる

また違った見方をすると 廃炉産業の 創出ということにもなる


いままで 原発の稼働が 主体になって生きたが

これからは 原発の廃炉のための 技術が必要になってくる


原発は 廃炉決定したから 終わるものではない

とても 膨大な時間と 膨大な資金が かかる


核燃料の搬出 保管 原発建物の解体 と作業は 必要になってくる


原発設置自治体とその周辺自治体は 予断を許さない


どのように 生態系 環境に 影響なく 廃炉を進めていくか

その方策は いまだ闇の中 暗中模索


これから 廃炉作業技術は 日進月歩の研究を つづけなければならない



どう 原発と向き合うのか


稼働 廃炉 どちらを選んでも 前途は多
難である


どう 企業は 向き合っていくのか
どう 関係自治体は 向き会って行くのか







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豊前善三のつれづれ日記

2015年03月16日 10時14分58秒 | 日記
 ( Vol 1239 )  トップに立つ者は 自信過剰から暴走 このことを イギリス政治家 デビット・オーエン氏は 警鐘を促している このことを真剣に トップは 考えなければならない


2015/03/16付の朝日新聞から 興味深い記事を見つけた

日頃 私が 感じていた トップの傲慢について 取り上げていた

昨今の経済の変動から 傲慢は経営のリスクと捉えられようとしている傾向が ビジネス界に見られるという

紙面の記事によると オーエン氏は 

約50年の政界生活で「権力と人格」に密接な関係があることに気づいたという

 過信や高慢は人格を変え 傲慢人間をつくりだす 
 助言は求めず まわりに耳もかたむけなくなる
 万事につけ おおまかなことに目が向いてしま い
 ことの細部を気にしなくなる 
と 指摘している

この言葉を聞くとき 耳が痛いと 思う人は多いいのではないだろうか


この状態が長びくと 過失が増え とりかえしのつかない失敗に突き進む危険性がある

とも言っている




このような傲慢を人格障害の一種と捉え 「傲慢症候群」と名付けた

いま オーエン氏は 研究会を 立ち上げ活動を し始めている

特に 指摘の傲慢症候群の 14の症例は 注視に値する



「傲慢症候群」の14症例



① 自己陶酔の傾向があり 「この世は基本的に権力をふるって栄達をめざす劇場だ」と  思うことがある


② 何かするときは まずは自分がよく映るようにしたい


③ イメージや外見がかなり気になる


④ 偉大な指導者のような態度をとることがある
  話しているうちに気がたかぶり 我を失うこともある
 
⑤ 自分のことを「国」や「組織」と重ねあわせるようになり 
  考えや利害もおなじだと思ってしまう

⑥ 自分のことを王様のように 「わたしたち」と気取って言ったり 
  自分を大きく見せるため 「彼は」「彼女は」などと三人称をつかったりする

⑦ 自分の判断には大きすぎる自信があるが 
  ほかの人の助言や批判は見下すことがある

⑧ 自分の能力を過信する
  私には無限に近い力があるのではないか とも思う

⑨ 私の可否を問うのは、同僚や世論などのありふれたものではない
  審判するのは歴史か神だ  と思う

⑩ いずれ私の正しさは歴史か神が判断してくれる  と信じている

⑪ 現実感覚を失い ひきこもりがちになることがある

⑫ せわしなく むこうみずで衝動的

⑬ 大きなビジョンに気をとられがち。
  私がやろうとしていることは 道義的に正しいので 実用性やコスト 結果について  さほど検討する必要はない  と思うことがある

⑭ 政策や計画を進めるとき 基本動作をないがしろにしたり 詳細に注意を払わなかっ  たりするので ミスや失敗を招いてしまう




症候群にかかりやすいのは
年齢を問わず 権力の座 についてからも 成功をおさめてきた人

発症する時期は 実権をにぎってからある程度の年 数がたってから まわりにごますりの「茶坊主集団」が出没しはじめると要注意だ という

また 在任中に大きな難局を乗り切り、自信を肥大化させた人も発症しやすいとも言っている

過去の歴史から見ても 政権を追われた独裁者ともとれる人たちは これにあたることに気がつく

このことは 歴史書などの人物でも 取り上げられている


14症例は トップに立つ また 上に立つ 者に対する 警鐘でもあるのではないか

格差の広がる社会において 特に トップを走ろうとする 者は 考えなければならない

また リーダとは 何が求められるのか ということも 指摘されていると思う

この14症例は とても耳の痛いことであるが

軽くあしらわず 重く扱って 誰でもが 考え行動していく 必要があるのではないか



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