「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

4、バルセロナ ③

2022年09月27日 08時50分12秒 | 田辺聖子・エッセー集










・バルセロナは古い、
有史以前からの町、
ということであるが、
高台から見ると、なるほど、
人間が住みつきたくなるようなところである。

この町は日本の奈良や京都より古いのだ。
まして開港百年の神戸など、
足元へも寄れない。

ここから町を見ると、
ひとところ、針の山といった、
先の尖った建物のブロックがあって、
そこがいわゆるゴシック街区で、
観光客の必ず行くところである。

バルセロナは、
旧市街と新市街がくっきりしていて、
ゴシック建築は、旧市街にかたまってある。

夕方に、ゴシック街区を訪れたら、
まるで中世に迷いこんだよう。

バルセロナ大寺院(カテドラル)を中心に、
教会や王宮がぎっしりかたまっていて、
急速に現代の匂いは消えてしまう。

「王の広場」の石段に若者たちが腰かけていて、
これらはヒッピーや観光客らしい。

ゴシック建築の威圧感というのは、
たいへんなもので、日本では想像しにくい。

どんなに大きな、
たとえが奈良の東大寺の「大仏さん」の入れものでも、
五重の塔でも、姫路城でも、
威圧感を与えられることはない。

東西本願寺、岡山の金光教会、天理の本部でも、
木造建築としては大きいが、
みなどことなくはかなげで、
木のテント、という感じである。

都心のビルの谷間を歩いていても、
うっとうしさはあるが、威圧感はない。

我々は近代ビルが、
いかにもろいものであるかを知っているので。

ちょっとした地震でかたむき、
ガラスやタイルが粉々に崩れてしまうから。

私はマンションの六階に住んでいるが、
こんな、宙に浮いた空間で暮らしているのは、
「諸行無常」の諦観なくてはかなわぬことである。

究極のところ、
宙で暮らして安心立命できるはずがない。

いまできの、何ヶ月かでできた建物など、
信じていられない。

背が高ければ威圧感を覚える、
というものではないのだ。

木のテントや張りボテの高層建築の国から来ると、
中世の石造りの建物、その石の厚みのすごさ、
そうして天を刺す尖塔群の目もくらむ高さ、
頭上を圧して支えられる石のアーチをくぐる時の畏怖感は、
はかりしれぬものである。

教会と王の権力の前に、
人間は卑小にちぢこまり、
恐れつつしんでいたのだろうなあ、
そういうのに関係なくなった今も、
充分、想像できようというもの、
あたり一帯は、普通の家も中世風で、
カテドラルの横丁へ入っていくと、
古びた石造りの家が細い路地の両側に並び、
突然、小さい石畳の広場にゆきあたった。

たそがれがきて、
広場の街灯に灯がつき、
勤め人らしい男たちが広場を横切って帰ってゆく。

広場の四方は、石造りの三階建ての家である。

てっぺんの部屋に灯りがついたりして、
中世の小説の中の世界みたい、
広場のまん中には木が二本、
小さい噴水があり、
端の家の壁に「プラザ・デル・サンフォリペネル」
という標識がうちつけてあった。

ヴェニスの街にも似ている、
路地の雰囲気。

ここにはピカソ美術館や、
このあたりのカタルニヤ地方の中世美術を集めた、
カタルニヤ美術館があるのだが、
もう閉館してだめだった。

しかし、ゴシック街区のあたりを歩くだけでも、
値打ちのあるところである。

小さい石畳みの広場からは放射状に路地が続いて、
その路地の曲がり角にマリア像が、
祀ってあったりする。

色ランプがつき、造花が飾ってあって、
湿った石畳の路地は、冷えて寒い。

その路地を挟む家は、
もう閉めた商店もあるけれど、
たとえば、アイアンレースの門があって、
その向こうに灯が小さくついている。

しんとして音もせず、
この町はモザイクタイルがあちこち貼ってあるのが多い。

そういう家の二階に灯がつき、
窓から見ろしてる人がいて、
ひそやかに猫が横切っていったりする。

ヴェニスの中世的な裏路地は、
洗濯物がひるがえり、
子供たちがどこにでも遊んでいて、
イキイキしていたが、
バルセロナの旧市街、ゴシック街区の裏通りは、
石のカビと共によどんで、
それは見る人間が勝手に、
「歳月のなまめかしさ」を、
たのしむところである。






          


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4、バルセロナ ②

2022年09月26日 09時02分57秒 | 田辺聖子・エッセー集










・むろん、みんながみんな、
赤でも青でもおかまいなしに渡る、
ということはないのであって、
大部分の人は青になるまで待っている。

しかし、
待ちきれなくて渡る気短かの人や、信号無視の人を、
ののしったり、非難の目で見たり、
しないわけである。

人は人、自分は自分、
赤で渡ろが、それで車にハネられようが、
こちゃ知らん、という顔である。

そこも日本と違う。

日本では交差点で、
信号無視して渡る人間を見ると、
一斉に人は憎しみの目を向けたり、
子供の手をひいた母親は、

「ああいうことする人、アホ」

と教えさとす。

日がさしてきて、
きれいな街をぶらぶら歩く。

ホテル瓜ッツの前の大通りをのんびり歩いていると、
百貨店があったり、大きい商店が並んでいたり、
ほどよく人がぱらついていて、
およそ、人波打ってまき返すということは、
日本を離れて以来、お目にかかったことがない。

ちょうど正月の都心のビル街くらいの閑散とした風景。
日本は人が多すぎるなあ。

おっちゃんが靴を買うというので入ってみた。

地下一階の紳士靴のところで、
型をいうと、いくつもサイズがあって、
長身の男と女が二、三人、ささやきながら、
山のように靴の箱を持ってきて、
次々とはかせてくれる。

三千七百ペセタというのは、
日本では一万円ちょっと、
そこそこの値というべきであろうか、
何となく鈍重なデザインで、
しかし、かっちりしている。

イタリアの靴みたいに、しゃれた感じはないが、
実用的かもしれない。

そうしておっちゃんは、
質朴でがっちりして、安けりゃいい、という。

早速はいて、金を払って出口まで歩き、

「あかん、あかん、これあきませんわ」

とまた戻った。

うしろの丈が高くて、
くるぶしに当って痛いのだそう、
靴売り場の主任はディズニーおじさんのような中年男、
じーっと聞いていて、すぐうなずき、
カーテンのかげの女の子に渡した。

トントンという音が聞こえるので、
今から靴を作っているのかと心配したら、
修理しているのは女の子であった。

踵の敷皮を剥いで、
皮を入れて少し高くしているのであって、
理屈には合っているわけである。

そうして女の子三、四人がその靴を中に熱心にしゃべり、
おっちゃんが穿くのをじーっとみつめた。

女の子の靴工というのは日本では珍しい。
それに敷皮を剥いで修理してくれるのも手工業的。

「もう、これでええわ」

と物臭なるおっちゃんはいいかげんにいい、
歩きかけると女の子たちは口々にしゃべるが、
スペイン語だからわからない。

(大丈夫?)

(具合はどうですか?)

といっているらしく思われる。

ディズニーおじさんだけ英語がしゃべれる。
どうも様子では、
(なんぼでも修理しまっせ)といっている感じ。

町の人ざわりはいいようである。

すごい巻き舌のスペイン語にも慣れ、
無邪気なあつかましさというような、
強烈な視線にも慣れると、
バルセロナの町は、
少なくともマドリッドよりは居心地よい。

マドリッドの喧騒や活気はないが、
しゃれていて、どこか物淋しい町で、
へんな魅力があった。

港町のせいかもしれないが、
どことなく神戸に似ている。

モントヒッチという丘の公園をタクシーで廻ったら、
チューリップの花畠やサボテン畠がつづいて、
丘の上には十七世紀のお城があり、
いまもそのまま要塞に使われていた。

兵隊が一人、
大砲の横に立って見張っている。

目の下はバルセロナ港で、
地中海が広がり、客船が一そう入っている。

ここでは兵隊の足元の広場は展望台になっていて、
望遠鏡が四、五基据え付けてあった。

人っ子一人いず、
高台の兵隊は私たちを穴のあくほど、
ながめていた。

ここはバルセロナの「港の見える丘」である。

地中海を渡ってくる風はまだ冷たく、
空は薄青く広がり、
高台から海際まで町はなだれ落ちて、
美しい港町であった。






          


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4、バルセロナ ①

2022年09月25日 08時23分46秒 | 田辺聖子・エッセー集










・タルゴ号の旅客はサラゴサでおびただしく下車し、
マドリッド・バルセロナ間を八時間かけて行こうという客は、
少ないようであった。

ことに観光客は、
たいてい飛行機を利用するだろう。
飛行機だと一時間ぐらいで行ってしまう。

東京・鹿児島間を汽車でゆくようなもので、
旅を楽しむ心がなくては乗っていられない。

雨は降ったり止んだり、
スロープの牧草地帯があらわれたかと思うと、
赤土の原野が続いたりして、
窓外の景色は飽きない。

私は新幹線に乗っても、
外を見て飽きない人間で、
私は、おでこを窓ガラスにくっつけて、
スペインの原野を眺めて飽きないのであるが、
サマータイムでいつまでも明るい。

時計は七時を指しているが、
四時くらいの明るさ、
それでも小雨のせいで、
ようやく薄暗くなる。

形ばかりのビュッフェがあって、
コーヒーやビールを飲める。

女が一人でコーヒーを飲みにきたり、
男たちが安ワインを前にしゃべったり、
していた。

自由席のほうはそれでも、
かなり混んでいるようであった。

夜十時、バルセロナ駅に着く。
雨は降ってたいそう寒い。

四月のはじめでもオーバーがなくてはいられない。

ここでも「ホテル瓜ッツ」である。

夜のバルセロナは灯が少なく、
がらんどうにすうすうしている感じで、
(愛想のない街・・・)という印象。

南スペインの方がよかったかもしれない。

どうして南スペインへ行かなかったかというと、
このあと、パリへ飛ぼうという気があったので、
そこに近いバルセロナで一泊しようということになったのだ。

別にどうしてもバルセロナという期待はなかったので、
雨の暗い街に出たときは、心細いばかり、
ホテル瓜ッツは、
ここも上品で格式ある高級ホテルである。

しかし一夜明けたバルセロナは、
明るくモダンな町で、
マドリッドよりずっと垢ぬけていた。

私はいっぺんに気に入った。

地中海に面する港町で、
ここからヨーロッパへの各首都へは、
いくらでも飛行機が出ている。

パリまではほんのひととび、
垢ぬけた風は、
まっすぐバルセロナに吹き付けてくるわけである。

バルセロナというと、
スペイン戦争の連想で、いかにもスペイン風な、
まじりけなしの血の熱さを連想するが、
現実の町は、瀟洒で落ち着いて典雅な気分であった。

マドリッドの猥雑さはなく、
公園には鳩が群れ、街路樹に舞う。

道路は広くゆったりとして、
車も多いが、道幅が広いので目立たない。

近代的なビルが並んでいて、
商社のディスプレイがすっきりと、
いいセンスである。

これがマドリッドであると、
ショウウインドウーいっぱいに、
ごてごてと並べ立て、日本ならさしずめ、
「棚卸し一掃大安売り!」とでも書いてある感じ。

そういう店がバルセロナには見当たらなかった。
そして街の色がベージュとかセピアとか、
渋い間色なのである。

人々の格好もマドリッドより洗練された印象であるが、
やっぱりスペイン人にはちがいないと見え、
信号なんか無視して、どんどん渡ってしまう。

無視するといっても、
東京や大阪の都心みたいに人は多くないので、
収拾つかない混乱になるということはない。

車が通らないとみきわめると、
赤信号でも横切ってしまうが、車も、
(しゃあないな)という顔で、停車したりしている。






          


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3、マドリッド ⑩

2022年09月24日 08時42分56秒 | 田辺聖子・エッセー集










・さて、今度の旅行中、
たったいっぺん、列車に乗るスケジュールがある。

マドリッドからバルセロナ行きのタルゴ号である。

列車の中で食事が出るというので、
駅弁好きの私はご機嫌である。

小雨のマドリッドを午後一時五十五分に出発して、
バルセロナへは十時に着く、八時間の汽車旅、
この列車は新幹線のグリーン車風で、
青灰色のインテリア、藍ネズミ色の椅子、
落ち着いた色合いである。

定刻、音もなく出発する。
ポッともピーッとも鳴らない。

「当然とちがいますか、
オトナやったら、時間きたんわかるやろし、
日本みたいに、やれ発車しますの、
見送りの人は下りて下さいの、
小学生みたいなことはいわんでもええと思いますが」

おっちゃんは満足げであった。

「大体、日本は世話やきすぎ。
忘れ物のないように、白線内に下って下さい。
前の車両が停車中です。
しばらくお待ち下さい。
そんなん、いちいちいわんかてええねん。
日本人みな小学生なみに世話焼く。
けしからん」

「しかし煙草買いに下りるとか、
駅弁買いに下りてる間に、
音もなくドアがしまって発車、
ということもありますから、
油断なりませんな」

とホトトギス氏。

「そういうノンビリしたのはおいてゆく。
自然淘汰ですなあ。
文字通り、落ちこぼれはおいていかな、
しょうないでしょう」

おっちゃんは乗り込んでるものだから気が大きい。

乗ってすぐ、昼食になる。
座席の手すりにさしこんでテーブルを前につけてくれる。

列車に乗り込んだ給仕が、
テーブルをつけ終わると、
次々料理が運ばれてくる。

機内食のようにコンパクトなものではなく、
ちゃんと暖められた陶器の皿に料理が出てくる。

赤ワインにパン、
前菜はハムとじゃが芋サラダ、
ごはんの横に半熟卵、
チキン、そのあとチーズ、
アイスクリーム、
コーヒーとフルコースである。

卵ごはんのごときものは、
日本風味付けで、かなりいける。

たっぷりとレストランで食べた感じで、
これで三、四千円ぐらい。

それで思い出したけれど、
ミラノの空港には、セルフサービスの食堂があり、
ここの食事は美味しかった。

マカロニのトマトソース、
肉のボイル、
前菜に野菜の酢漬け、
デザートにオレンジケーキ、
チーズにワイン、
つまりイタリア式フルコース、
うんと取って二千円ほどであった。

怱忙のうちに食べる料理としては、
たいそう美味であった。

タルゴ号は、
ゆっくりと落ち着いて食事を取れるので、
食堂車より気分がよろしく、
女の声の車内放送を聞きながら、
スペインの野に降る雨を見ているのも、
よいものであった。

ボーイがあとで、食事のお金を集めにくる。

車内放送はスペイン語、フランス語、ドイツ語、英語の順、
ここも当然ながら日本語放送はない。

雨が止んで薄日がさし、
荒野はしっとりした色になっている。

いちめん赤土、
木らしいものは一本もなく、
ブッシュのはげ山がところどころ、
遠くの山のふもとに赤壁の村が点在している。

山のてっぺんには、
村々と教会の尖塔が日に輝いている。
ヘミングウェイの小説を思い出したりする風景。

「なぜ教会は、
村の中にあるのですかねえ」

「悪いことをしても、
教会に一歩でも入ったら助けてもらえる、
というようになっていたのではありませんか」

おっちゃんは考えを述べた。

「どこからでも公平な距離であるように、
村のまん中に作る」

「そういえば、
そんな田舎の村に泊まりたくなってきたなあ」

「下りますか」

その町は山上に古城も見えた。
ホテル、駅前レストランもある。

「どうしますか」

「突然行ってもホテルは取れないかもしれません」

「教会で泊めてもらうという手もある」

「村はずれで野宿はどうです」

「家なき子の爺さん婆さんみたいです」

ホトトギス氏は苦々しそうであった。

「おっちゃんがクサリを切って、
私が太鼓を叩いてまわる、というのはどうですか。
ホトトギスさんに『ザンパノがきたよ!』と、
怒鳴っていただいて」

「なんでスペインくんだりまで来て、
ジェルソミナごっこをせにゃならんのですか」

ホトトギス氏が泣き声を立てている間に、
タルゴ号はまたもや音もなく、
ビュッと発車してしまう。






          


(了)

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3、マドリッド ⑨

2022年09月23日 08時13分07秒 | 田辺聖子・エッセー集










・マドリッドの商店は、
窓の飾りつけなど野暮ったくて、
さながら年末大売出しといった感じで、
ローマやヴェニスから来ると、
田舎町の駅前商店街というところであった。

皮は安いが、
デザインも質もあまりよくない。

十年前に来たときは、
買いたいものが安くいっぱいあって、
マドリッドは買物天国という気がしたが、
十年のあいだに、
日本の製品が格段に進歩してしまったのだ。

日曜日の朝、
マドリッドは数日雨続きだったとかで、
久しぶりに快晴の日曜日を迎えて、
町はどっとくり出した人でいっぱい。

朝はシベーレス広場の獅子も、
噴水を噴いていない。

シベーレス広場は、
プエルタ・デル・ソルと別に車の交通の要所で、
このへん、官庁や銀行、中央郵便局が並び、
きれいなビルに朝日が当たっていた。

ノミの市を見に行く。

ごった返す人波、
露店は道の両側とまん中に出ていて、
お土産やらカバン、化繊のテーブルクロス、
植木市、布類、金物錠前、ゴタゴタした日常雑貨、電気製品、
ヒッピーがオモチャの手作りやインドの香を売っているのは、
どこも変わらぬながめである。

私はミニバッグ、百五十ペセタと、
お土産用のカスタネット三百五十ペセタを買った。

値切りもしないで買った。
値札通り払う。

ノミの市というけれど、
掘り出し物というよりは、
京都の東寺の市のようなもので、
日用品を買いに来る市民もいるようであった。

骨董屋が一軒、
これはちゃんとした店で、
中へ入ると十九世紀風のピストルがいっぱい、
甲冑や鎧、短剣などが無数にあった。

ロシアの小説に出てくる決闘用のピストルは、
ちょっと面白いものであったが、
そういう土産は買うわけにはいかない。

トレドへはマドリッドから普通のバスでいった。
駅の地下がバス乗り場で、一時間ちょっとで着く。

近郊の景色を見られてよいのだが、
トレドは期待を裏切られた。

オートバイが町中を走り回り、
その騒音はものすごい。

観光バスがひっきりなしに発着し、
町には兵隊があふれて、
上空をヘリコプターが舞っていた。

とどろく騒音は、ヘリのものかオートバイのものか、
軍人が闊歩するトレドは、予想外であった。

スペインにも修学旅行があるのか、
学生がうち連れて車をよけながら通っていく。

黒衣の婆さん、
杖を曳く爺さん、
そういう人たちが横丁から出てくるので、
横丁を見たら、
古い町並みが曲がりくねって坂になっていた。

ゆっくり一晩、泊ればいいのかもしれないが、
疲労困憊してマドリッドへ帰ってきて、
もう、こういう晩は、
新規の店を開拓する気力もない。

前にいったバレンシア料理の店で、
パエリアを食べる。

前菜になまのムール貝があり、
しこたまレモンをかけて食べた。

オレンジ色の肉がレモンでしまって美味しいのだが、
しかしパエリアの中二入ってるムール貝のほうが、
心おどるものである。

マドリッドの文化遺産を全く見ていない。
ノミの市で時間をつぶして、
見る時間がなくなったのだ。

トレドがあんな物すごい町だとわかれば、
見に行かなかったところである。

プラド美術館は向かいだから、
いそいで見に行った。

私はこの美術館で、
ムリリョ、ベラスケス、ルーベンス、などが好きであるが、
五十過ぎて名画に接したおっちゃんは、

「何というても、グレコ、ゴヤですなあ」

とわりに男っぽい好みであった。






          


(次回へ)

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