田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫
・夏
蓮の花の盛りに、
后の宮(明石中宮)ご主催の、
御八講があった
中宮の父君である源氏と、
養母の紫の上の供養のため、
法華経が講じられ、
人々は聴聞する
五日目の朝の、
朝座ですべて終わった
寝殿を御堂にしつらえてあったので、
飾りを取りのけるため、
人々は片づけている
片づけの済むまで、
女一の宮は西の渡殿に、
お移り頂いた
法会の聴聞に疲れて、
女房たちはそれぞれの局(部屋)に、
下り女一の宮の御前は、
人少なだった
夕暮れ、
薫は法会の時の正装から、
直衣の普段着に着かえ、
釣殿へ行ってみた
薫は池のほうに寄って涼んだ
あたりは人の気配もしない
日ごろ、西の渡殿の辺りは、
女房たちが休憩するところ、
(小宰相がいるかもしれぬ)
と薫は思って、
のぞいてみると、
いつものようなしつらいは、
取り払われ広々として、
部屋は見わたされる
女房たち三人ばかり、
くつろいだ格好なので、
まさか女一の宮の御前だとは、
薫は思わなかった
ところが姫宮がいらっしゃった
白い薄絹の御衣装をお召しになって、
たとえようもなく愛くるしい方だった
(今までずいぶん美女も見たが、
こんな美しい方は初めてだ)
と薫は思って、
なお気を静めてよく見ると、
黄色い生絹の単衣に、
薄紫色の裳を着た女房が、
扇を使っている
(お、この女人もいいじゃないか)
小宰相である
こんなにはっきり、
彼女の顔を見たのは初めてだった
女房たちは氷を割り、
めいめい手に持った
一人が氷を紙に包んで、
姫宮にさしあげたが、
宮は繊細な美しいお手を、
差し出されて拭わせられながら、
「持ちたくないわ
雫が困るもの」
そのお声が薫の耳を打ち、
薫の心はとどろくほど嬉しい
(一品の宮~女一の宮~のお声が、
聞けるとは!
宮がまだお小さい頃、
おれも幼くて何のわきまえもなかったが、
それでも幼心に美しいお子だと、
お見上げしたものだった
そののちは絶えて姫宮の、
お気配さえ耳にしなかったものを
例の自分に辛い思いをさせる、
運命のむごい試練だろうか)
そう思うと、
薫は平静でいられなくて、
そこにたたずんだ
思えば、
明石中宮の女一の宮(一品の宮)、
それに匂宮(三の宮)は、
明石中宮の養母である、
紫の上の手もとで育てられた
そこに、表向きは、
源氏と降嫁された女三の宮の、
間に生まれた薫も共に、
紫の上のもとで大きくなったが、
薫の実父は柏木衛門督であった
源氏はそれを知りながら、
実子として妻の紫の上と共に、
三人を育てた
薫はのぞいているのを、
知られたくなくて、
身を隠した
(美しい方だった
長の年月、一品の宮に、
あこがれを捧げてきたが、
拝見してみると、
いよいよ煩悩が募る)
しかし、
美しい女人は薫の身近にもいた
女二の宮、薫の正室である
(このひとは、
一品の宮の異母妹、
しかし似てはいられない)
薫に一つの思いつきが浮かんだ
女二の宮の薄物の単衣の着物を、
縫うように女房にいいつけた
「ほんにそれは、
一層宮さまがお美しくお見えに、
なりましょう」
女房たちは弾んだ
薫が朝の勤行を済ませて、
女二の宮の部屋へ行くと、
いいつけた衣装が几帳にかけてあった
自分の手で、
女二の宮にお着せする
一品の宮に劣り給う、
というのではないけれど、
(やっぱり、違う・・・)
それを紛らせるように、
「一品の宮に、
お手紙をさしあげて、
いられますか」
と女二の宮にいった
「もう長らく、
おたよりはしていません」
大宮(明石中宮)の御前には、
匂宮もおいでになっていた
薫から見ると、
先日ほのかに拝見した、
姉宮の一品の宮に劣らず美しい
薫は大宮の御前を退って、
西の対へ行く
そこは一品の宮のいられるあたり
薫は女房を相手に珍しく挨拶し、
女房たちも軽く応酬して、
その感じは洗練されていてよかった
(次回へ)
・浮舟の義父、常陸介の驚きは、
ひとかたではない
「何だと!
いま、何と言ったんだ
誰が浮舟をお世話していらした?」
「いったじゃありませんか、
薫の君さまです」
「ほんとか?
あの権大納言で右大将の・・・
まさか・・・」
常陸介は田舎者らしく、
都の貴人や権門の人々を、
むやみとありがたがる癖があるので、
仰天し、母君が見せた、
薫からの手紙をくり返し眺めて、
恐れ入ってしまう
「へ~え
浮舟さまというのは、
そんなご身分の方だったのか」
今は言葉つきさえ変って、
「すばらしいご幸運に恵まれながら、
惜しいことに亡くなってしまわれたとは
右大将さまは、
わしもご家来筋ではあり、
お邸へ出入りしてお仕えしているが、
なかなか、わしごときでは、
おそば近くもお召し頂ける、
ものではない
それはもう雲の上の人だ
それが、
わが家の子供らの面倒を、
見てやろうとおっしゃって頂くとは」
と喜んでいる
母君は、
それにつけても浮舟の死が悲しく、
身をもんで泣いた
浮舟がもし生きていたら、
薫は常陸介一家の子の将来など、
心にもかけなかったであろう
(自分のあやまちで、
浮舟を死なせてしまった)
という自責の念にさいなまれる薫は、
遺族を愛顧せずにいられないのであった
世間体を第一に考える薫であるが、
このことで世のそしりを、
受けようとも気にしないでいよう、
と思い決めていた
薫はいまだに、
浮舟の死が信じられない
もしやどこかで、
生きているのではないかと、
希望を持たずにいられない
四十九日の法要も、
そのことがまずあたまにあったが、
(まあいい、
盛大に行ってやろう)
と思い、
六十人の僧を招いて、
立派に法事をした
中の君もお布施をした
薫に隠された愛人がいた、
ということを正室の父帝も、
今はお耳になさっていた
並一通りではない愛を、
寄せていたひとを、
降嫁された女二の宮に遠慮して、
遠い宇治へ隠し据えていたのか、
と帝は薫を可哀そうにお思いになる
匂宮も薫も、
悲しみは消えない
しかし宮は、
ご執着はあるものの、
ようやくに生来の移り気なお心が、
よみがえって、
他の女に目移りなさるように、
なっていた
后の宮は、
叔父宮の喪に服して、
六條院へお里下りしていられる
二の宮(匂宮のすぐ上の同腹の皇子)が、
あらたに式部卿の宮になられた
重々しいご身分になられたので、
母后のもとへも、
気軽にいらっしゃれない
匂宮は、
淋しさをまぎらわすために、
一品の宮の御殿を、
お心の支えにしていられる
一品の宮(女一の宮)は、
匂宮の姉宮で、
お二人は幼時からとくに親しく、
お育ちになったことでもあり、
宮はこの美しき未婚の姉宮に、
あこがれを寄せていられる
その上、
この一品の宮の御殿には、
すばらしい女房たちが多い
そのうちの一人、
小宰相の君という女房と薫が、
以前から忍び逢う仲になっていた
すっきりした美人で、
才気があり、
琴も琵琶も他の女房たちより、
すぐれている
宮も小宰相にお気があって、
言い寄られては薫を、
あしざまにおとしめられたりし、
二人の仲を裂こうとされるが、
小宰相は手ごわく宮をはねつけ、
耳を貸さない
薫はそんな小宰相が気に入っている
小宰相は世間の噂を聞き、
薫の悲しみをわがことのように思い、
慰めの手紙をやった
「お悲しみをお察しする気持ちは、
誰にも劣りませんけれど、
何とお慰めしたらいいか・・・
亡き方と私が代って、
さしあげたかった」
薫はその風情ある手紙を、
いとしく眺めた
「世の無常を知る私、
悲しみを外にあらわさぬように、
してきたつもりですが、
あなたは察して下さったのですね」
そう返事しただけでは物足らず、
薫は小宰相の局(部屋)に、
礼を言いに立ち寄った
小宰相の部屋の戸口は、
狭い粗末な遣戸、
薫が立つにはふさわしくないような、
はかなげな場所であった
それに薫は、
こういう女の部屋に、
たたずみ慣れた浮かれ男ではない
その薫が立ち寄ったのを、
小宰相は、
決まり悪い思いをしたものの、
卑下することなく薫に相手する
心にくく、
ゆかしい風情だった
(浮舟などより、
気が利いているじゃないか)
薫は思う
(どうしてこんないい女が、
宮仕えに出たのか)
(次回へ)
・薫の悔恨は尽きない
自分の心遣いがもっと、
こまやかだったら、
浮舟を死なせはしなかったろう
流されやすい、
可憐な女ごころを知っていたら、
こんなところへ、
長らく打ち捨てては、
おかなかったろう
責められるべきは、
自分だったと思う
その思いは、
浮舟の母親の悲しみに及んだ
母はまさか、
浮舟と宮とのことは、
知るまい
(自分と浮舟の間に、
何かあってそれを苦に、
浮舟は自殺したと思っているかも、
しれぬ、
それも可哀そうだ)
母親たちが、
浮舟の葬式を軽く済ませたのを、
薫は不満に思っていたが、
事情を知ってみると、
母親の悲しみも想像できて、
哀れだった
供の者の手前、
死穢に触れるので、
家に入れない
もうここへも来ることもあるまい
山の阿闍梨は今は、
律師になっていた
この人に浮舟の法事のことを、
頼む
七日七日のねんごろな法要を、
薫は命じた
すっかり暮れてから、
薫は帰った
亡骸さえ戻らない、
と思うと薫はやるせなくて、
一人嗚咽した
浮舟の母君は、
京でお産する娘も心配だったが、
浮舟の死で穢れに触れたことから、
お産に立ち合えない
仮住居を転々としながら、
浮舟の死を悲しんでいたが、
幸い娘は無事出産した
しかしまだ忌明けではないので、
家へは帰れず、
呆けたように暮らしている所へ、
薫から使者が来た
「どんなにかお辛いことでしょう
亡き人の形見と思って、
お手紙下さい」
使者は更に、
薫の口上を伝えた
「私が悠長に構えていましたので、
誠意がないように、
お思いになったかもしれません
しかしこれからのちは、
あなたのことも忘れません
お子さまも、
何人かいられるようですが、
朝廷に仕えられるような場合は、
私が面倒を見させて頂きます」
悲しみに死にたい思いであったのに、
死なれもせぬ身を、
嘆いておりましたが、
それは、
こんな嬉しい仰せを頂くためで、
あったのか
母君は薫のやさしい心づくしが、
嬉しかった
母君は自分ばかりでなく、
浮舟の異父弟妹のことまで、
お心にかけて頂くところをみれば、
ほんとに浮舟を愛して下さった
そう思えば、
なおさら娘の死が悲しい
お使者は母君の手紙のほかに、
口上も伝えていた
不出来な子供たちですが、
みなおそばにさしあげて、
お勤めさせます。
というのであった
あまりぱっとしない、
親戚づきあいであるが、
帝にも受領の娘が後宮に入った例も、
ないではない
受領風情の娘とかかわりを持ち、
その一族を引き立てる、
と世間で噂するかもしれないが、
それでこちらが、
評判を落とすわけでもあるまい
それよりは、
一人の子をむなしく死なせて、
悲しんでいる母親に、
娘のおかげで引き立てて頂けて、
光栄、
と思わせてやらなければならない
優しい薫は、
そういう目配り気配りを、
忘れなかった
浮舟の母君が忌籠りしている、
三條の小家に、
夫の常陸介が立ち寄って、
がみがみいう
「娘はお産するわ、
小さい子は泣いているわ、
というのに、
よくもこんなところで、
のうのうといるもんだ
何をしている?」
母君は夫には、
浮舟のことを話していなかった
夫は、
浮舟はどこかで、
落ちぶれた暮らしをしている、
と思い馬鹿にしているので、
娘が京へ引き取られてから、
晴れて鼻高々と打ち明けるつもりでいた
それがこんなことになって、
今は隠しても仕方なく、
泣きながら事情を打ち明けた
(次回へ)
・匂宮は、
侍従が参りましたと聞くと、
それだけでお胸が一杯になる
中の君には、
このことはお話にならない
ご自分の部屋へ行かれて、
人目を避け、
渡殿に侍従を下ろされる
侍従は浮舟の日頃の悩み、
あの夜のただならぬ、
泣きいっていたさまなど、
語る
侍従の詳しい話に、
宮のお悲しみはまさった
自殺とはまた・・・
病死というなら、
前世の因縁とあきらめられようが、
どんなに思いつめて、
身を投げたのであろう
「お手紙など、
焼き捨てていらっしゃいました
その時、なぜ、
私ども、ご決心のほどを、
気付かなんだので、
ございましょう」
侍従は夜っぴて、
宮のお相手をして話し明かした
宮は今までは、
侍従のことをお心に、
留めてはいられなかったが、
浮舟亡きのちは、
なつかしく思われて、
「私のところへ仕えないか
亡き人は中の君の異母妹だったし、
縁のないことでもないから」
といわれる
「ありがとうございます
仰せのままに従いますとも、
当分は悲しい思いを、
するばかりで、
ともかく御忌を過ごしまして」
と侍従は申し上げた
薫も気になってならず、
真相が知りたくて、
自身宇治へ行った
そもそも、
どんな前世の因縁で、
故八の宮のもとへ、
お伺いするようになったのだろう
故宮の仏道ご修行の、
深さを慕い、
仏のお導きで後世を願うことより、
ほかは考えなかったのに、
いつしか恋に心奪われ、
あさましい煩悩に、
捉われてしまった
仏はそれをおさとしに、
なったのだろう
などと薫は思う
薫は右近を呼んで、
事情を聞いた
どんな最期だったのか、
どんな病気だったのか
忌明けを待って、
と思ったが、
とても待っていられなくて、
来てしまった
(もうつくろえない)
右近は思う
(ただ、
宮さまとのことは、
口が裂けても漏らすまい
覚悟の入水自殺だったことだけを
弁の尼も知っていることだし
なまじ隠しだてしても、
あとで具合悪いことになる)
右近の語る話は、
薫に衝撃を与えた
信じられない
頼りないほどぼうっとして、
なよやかだった浮舟が、
どうしてそんな思い切ったことを、
決行したのか
あるいは、
女房たちが口裏を合わせ、
宮のいうまま、
どこかへ隠したのではないか、
という疑念が萌したが、
しかし、
宮のあれほどのお悲しみ、
この山荘の人々の様子を見れば、
そうとも思えない
今は浮舟の死を、
信ずるしかなく、
涙があふれる
「私は、
思うままに振る舞えぬ、
不自由な身なんだ
何をするにも、
世間に目だってしまう
浮舟のことは気にかかりながら、
いずれは京に迎えて、
末長く添い遂げよう、
そう思って過ごしてきた
それを彼女は、
薄情な、と取ったのか
それともほかに、
心を分けた人でもいたのか
二人だけだからあえていう
宮のことだ
一体、いつから始まったのだ
宮が原因ではないのか
浮舟はそれで、
身を亡きものににたのではないか
率直に話してくれ、
右近
私には隠さないでくれ」
右近は
(まあ、ご存じなのだ)
と思うと気の毒であったが、
はじめに言ったことを、
ひるがえせなかった
「何と情けない・・・
右近はずっと姫君のお側に、
おりましたものを、
そんな事実は決して」
しばらく考え込み
「おのずとお耳に入ったことも、
ございましょうが、
宮さまの北の方さま(中の君)
のところにおいでになりました時、
思いもかけず突然、
宮さまが近づかれたことが、
ございます
そのときはお側の女房たちが、
手きびしいことを申し上げ、
宮さまは出ていかれました
姫君はそれを怖がられて、
かのむさくるしい小家に、
身をひそめられたので、
ございます
そののちは宮さまに、
様子を決して知られるまいと、
用心していられましたのに、
どこでお耳にされたのか、
つい二月ごろから、
お手紙がくるようになりました
お手紙はたびたび来るようで、
ございましたが姫君は、
ご覧になることもなく
それでも、
一度か二度くらいは、
お返事を出されたようで、
ございます
それ以外のことは存じません」
(そういうと思った)
薫は内心つぶやく
仕える女房としては、
そういうほかないだろう
無理に問い詰めるのも、
かわいそうな気がして、
しかし、浮舟と宮との関係を、
否定できない事実として、
薫は信じはじめている
それでも浮舟を、
疎ましく思えず、
思いは断ちきり難い
思えば中の君が、
浮舟のことを薫に告げたとき、
大君をしのぶ「人形」と、
名づけたのも、
このたびの不祥事を暗示する
人形(ひとがた)は、
人の罪やけがれを移して、
川に流すもの、
浮舟は本当に川に流れてしまった
(次回へ)
・(あんなに、
浮舟に執着していられたとは、
あの遊び人の宮が)
と薫は意外に思った
浮舟の葬式も、
簡略に済ませたのを、
薫は気にしていた
宮も、
どうお思いになるであろう
薫も不満である上に、
浮舟の死については、
不審な点も多い
自身、
宇治へ行って確かめたいが、
死穢に触れて長く忌籠り、
しないといけないのも困るし、
といって、
穢れに触れぬよう、
すぐ日帰りするのも、
悪い気がする
薫は迷っているうちに、
月が変って四月になった
浮舟が生きていたら、
今日、京へ移ってくる予定だった、
と薫は思う
丁度、
二條院に宮がおいでになるので、
薫は手紙をやった
宮は中の君とご一緒に、
亡き浮舟のことを、
しのんでいられた
中の君をご覧になって、
(異母姉妹だから、
似ている・・・)
と思われているところへ、
薫の手紙がきた
「ほととぎすが、
忍び音に鳴いて過ぎました
宮も声を忍んで、
お泣きになったのでは、
ありませんか
ほととぎすは冥界に通うという、
死出の田長ですから」
思わせぶりな文句じゃないか、
宮は警戒なさって、
「ほととぎすも、
うかつに鳴けないね、
きみのそばでは」
中の君は、
こんどの浮舟をめぐる事件の、
一部始終をすっかり知っていた
大君といい、
浮舟といい、
二人ともあわれにはかなく、
短い生涯を終えてしまった
どちらもとりどりに、
物思いを尽くして逝った
自分一人は、
苦労を知らずに来たので、
今まで、
生き長らえているのだろうか
(それだって、
いつまでもこの幸せは続くまい)
姉妹を失って、
いよいよ一人ぼっちに、
なってしまったと思うと、
中の君は心細かった
宮は、
やや落ち着かれてみれば、
やはり浮舟の急死が腑に落ちず、
詳しい事情がお知りになりたくて、
時方らを宇治へつかわされる
右近を迎えにやられたのだった
宇治では、
浮舟の母君は、
宇治川の水音を聞くさえ、
辛く悲しく京へ帰ってしまった
女房たちは、
念仏の僧ら数人と、
ひっそり暮らしている
そこへ時方たちは乗り込んだ
もはや警備の者たちも、
見とがめたりしない
右近は出て来て、
烈しく泣いた
時方は宮が、
浮舟の死の前後の事情を、
詳しくお知りになりたくて、
説明を求めていられることを、
話した
「今、私が参ったりしますと、
かえって人々の疑いを招きます
この忌籠りが果てましたら、
よそに用がありまして、
と人に言いつくろっても、
疑われはしますまい
その時までは」
右近は迎えに応じる気配も、
なかった
「宮さまが、
わざわざお車をつかわされた、
お気持ちを無になさっては、
お気の毒です
せめてもうお一方でも、
いらして下さい」
というので、
右近は侍従を呼んで、
行かせようとした
侍従はしぶっていたが、
参上することにした
侍従は黒い喪服を着て、
なかなか美しい女であった
鈍色の裳の用意がなくて、
薄紫色の裳を、
お供の女に持たせて、
車に乗った
侍従は道中、
泣く泣く、京へ来た
(次回へ)