「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「26」 ③

2024年12月31日 09時28分05秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・主上ご一家の、
しめやかにも楽しい語らいは、
尽きぬようであったが、
どことなくそれも、
人目を忍んで、
というような気配が、
ほの見える気がする

私の思いすごしかもしれないが、
さながら後宮の女あるじは、
いまや彰子女御で、
そのお方の里下りなすった留守に、
気がねしつつ語らいあって、
いられるような、
お客に来たような気がする

新内裏の後宮は、
彰子女御のもたらされた匂いが、
濃く残っていて、
女御のいられた藤壺にばかり、
人々の視線はそそがれていた

その夜、
久方ぶりの、
主上と中宮のお語らいが、
どんなにこまやかであったか、
私は拝察するすべもないが、
女房たちの局には、
緊張した重苦しい気分が澱んでいた

夕方から早速、
経房の君や頭の弁・行成卿やら、
いろいろの方が訪れて下さったが、
人々のお話によれば、
彰子女御が中宮になられるという、
内命はすでに下りており、
吉日を卜して、
近日中には公式な宣命が、
あるはずだという

女御が里下りしていられるのも、
やがて立后の宣命を頂き、
それにふさわしい格式をととのえて、
入内されるべく準備されているため、
ということだった

経房の君のいわれる通りである

定子中宮は、
皇后という位に代わられるが、
噂では、
皇后宮大夫も権大夫も、
まだ決まってないよし、
それに比べ中宮彰子のほうでは、
中宮大夫は時中大納言、
権大夫は斉信参議、
錚錚たる人材をそろえ、
なおまだ自薦他薦の人々が、
任官されようと、
ひしめいているそうな

「お一人の主上に、
お后の宮がお二方とは、
聞いたこともありません」

と中納言の君は沈痛にいう

「あんまりななされかたですわ、
許されていいものでしょうか」

若い小弁の君や、
小兵衛の君は涙声でいう

「主上や女院が、
お許し遊ばしたのでしょうか、
よもや・・・」

「お許しがあればこそ、
宣命が下りるのでしょうよ」

とにがにがしくいうのは、
右衛門の君

「主上や女院のお噂を、
申しあげてはなりません
女御の君はいられなても、
ここは新内裏
どこにどんな人の耳があるか、
わかりません」

中納言の君は小声でいい、
おびえたように、
局の外の闇に、
視線をさまよわせる

几帳の裾や御簾のかげに、
心を置きつつ、
人々はささやき交わす

「先の帝(円融)の皇后・遵子の宮を、
皇太后に、
ただいまの中宮・定子の君を、
皇后に、
そして中宮に彰子女御をお進めする、
という形でございますそうな」

「女院も遵子皇后も定子中宮も、
みなご出家して尼になられた身、
尼君では藤原氏の氏神の、
お祭りが出来ぬ、
氏神、大原野の祭りは、
もともと藤原氏出身のお后が、
行うべきもの、
どうしてもここはお一人、
后を立てねばということで、
それが名目でありますそうな」

「うまいところを、
思いつかれたのは、
行成の君とか」

「行成は左大臣どのの手先、
と申してよい」

「左大臣どのは、
行成の君にとても感謝なすって、
末代まで一門の恩人だ、
とおっしゃったんですって」

また一隅から、
怒りを必死におしかくした、
声があがる

「中宮さまを尼君だなんて、
失礼じゃありませんか、
尼君が若宮をお生みできて?」

「左大臣どの一派は、
あのとき中宮さまが出家なすった、
と主張してそのあとの、
ご還俗をお認めにならないのです」

「いいえ、いいえ、
中宮さまはもともと、
ご出家なんて、
なさっていられませんよ
もしお髪をおろしていられたら、
なんで主上が内裏へお入れ、
遊ばすものですか」

やがてそれは、

「行成の君が悪い」

「みんなで寄ってたかって、
かよわい中宮さまをいじめて」

「こういう時にこそ、
兄君、帥の大臣(伊周)や、
弟君、隆家の君に、
お力になって頂きたいところなのに、
帥どのは若宮が東宮にたたれるように、
長い将来をたのんで、
ご祈祷三昧だし・・・」

「隆家さまは、
ご身分がもとへ戻っていられず・・・」

ことに最後は、

「故殿(父君、道隆大臣)がいらしたら」

というのは、
中宮の乳母・大輔の命婦の口ぐせである

私はこの乳母の君が、
あまり好きではない

この人、
中宮の母君、貴子の上の妹、
つまり中宮には叔母君に、
当るのだが、
乳母としてお仕えしているものの、
夫や子供の世話が忙しく、
かなりの精力を、
そちらに割いている

かんじんな時にいないで、
そして出てくるのは、
みんなが泣き声や、
悲しみの涙をこぼしているときだけ、


「世が世なら・・・」

「故殿がいらっしゃれば」

というときだけ、
大きな声で同調して、
泣き声をたてる

私のもっともきらいな型

私は何がきらいたって、
「世が世なら」
とうしろを向くことは大嫌い

中宮のお心に、
もっとも遠いことだと思う

中宮が一度でも、

「世が世なら・・・
亡き父君がいらしたら・・・」

などと仰せられたろうか

また頭の弁・行成の君も、
中宮の局の女房たちから、
怨嗟のまととなってしまった

私だって、
その情報を聞いたときは、
衝撃がなかったといえば、
うそになる

しかし考えてみれば、
左大臣の姫を中宮にと、
委託され、
相談をもちかけられたとき、
公職にある行成の君に、
それを断るすべもなく、
また彼自身、
中宮・定子の君のため、
反対するいわれもないのだ

男社会は、
いろんな要素で成り立っている






          


(次回へ)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「26」 ②

2024年12月30日 09時07分53秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・定子中宮のかつての栄光を、
忘れることは出来ないものの、
それを上回る未来への希望が、
私の心を大きく占めている

そしてそれを、
さらにかきたてるものが、
中宮の今のおんたたずまいである

兄君、伊周の君の失脚後、
はじめて入内されたときは、
たいそう逡巡され、
辛くお思いになって、
いたようだったが、
今はむしろ、
いそいそと入内されるような、
ご様子である

「若宮のために、
強くならなければ、
という気がしてきたわ、
少納言」

と中宮は仰せられる

ご出産前までは、
少しおやつれになっていた、
白いおん頬に張りと丸みが出て、
おん目に強い光がある

そしてずっと前、
はじめて私がお仕えしたころ、
拝したようなほほえみが、
お口元に浮かぶ

「今までは、
主上にお目にかかれない日の、
長さばかりをかぞえて、
わたくしは暗い物思いに、
沈んだこともありました
でも、今はちがうのよ
お目にかかれている間を、
黄金の時と思いましょう
ひとときでも半日でも、
貴重な時間と思うことにしました
そう思ったら気が晴れて・・・
わかるわねえ~~
少納言には」

「はい、
もったいないことでございます」

「わたくしは~~
ここだけの話よ~~
不幸な人は男の人でも、
女の人でもきらい
不幸というのは、
自分のことを不幸と、
思い込む人のことよ
人を愛したことのない人もきらい
人を愛すれば、
不幸でなくなるはずなのに」

「ほんとにそうでございますが、
愛して見返りがありませんと、
やはり落ち込むもので、
ございます」

「少納言は、
そんなことはないのでしょう?」

中宮はどんな時でも、
人間関係や人間のあらゆる問題に、
好奇心と興味を持って、
いらっしゃる

「棟世はどうしました?」

などと名前も覚えていられて、

「摂津守になったそうだけれど、
少納言を誘わなかったの?」

「中宮さまを離れて、
どこへ参れましょう
でも棟世はどうせ、
わたくしのもとへ帰るのが、
わかっておりますから」

「そういう人間関係が、
わたくしは好きなのよ
自信のある男や女が
そして愛することも、
愛されることも知っている人間が
わたくし、
別れを悲しんだり、
捨てられたのを、
めそめそ恨んだりする、
そんな男や女は嫌いです」

とお笑いになる

「まことに、
自信ある人間が、
つき合いやすうございます」

と私もお答えしつつ、
心は嬉しさでいっぱいになる

「『つき合いやすい人は』
というのを、
あなたの『春はあけぼの草子』にも、
入れなさいね」

「はい
世間から重んじられる男と、
つき合いやすい男との違い、
なども考えてみることに、
いたしましょう
また世間から好かれる女と、
中宮さまやわたくしの好きな女、
とのちがいも考えてみたい、
ものでございます」

入内なさる間際まで、
そんなことを中宮に、
申しあげていた

新内裏は一条大路の南、
大宮大路の東にある

ここは一昨年だったかしら、
五月五日の五月雨の日、
賀茂の奥へ、
ほととぎすを聞きにいった帰り、
中宮の叔父君・明順(あきのぶ)
の君の邸へ寄ったあと、
車にいっぱい卯の花を葺いて、
その面白さを見せたさに、
一条院にそのころ、
住んでいられた公信(きんのぶ)
侍従をたずねた

公信卿は亡き為光大臣の、
ご子息でいらしたから、
ここに住んでいられた

そして、
伊周の君が、
失脚なすったのは四年前、
やはりこの邸にいられた、
為光大臣の三の姫に、
通われていて、
四の姫に通われる花山院と、
恋のもめごとがあったため・・・

いまそのお邸が新内裏となって、
中宮はそこへお入りになる

しかし中宮は、
どんな運命の転変も、
忘れられたかのように、
晴れやかにそして行啓が、
昔通りの美々しい行装に、
飾られていたかのように、
凛とした威厳を保ちつつ、
北の対へお入りになる

寝殿が紫宸殿にあてられ、
その北の対が、
主上のおわします清涼殿と、
なっている

中宮はさらにその北の、
二の対にお入りになる

お居間の西と東は渡殿である

主上が中宮のもとへ、
お通いになり、
中宮が主上のもとへ、
お上りになる道となっている

清涼殿との間に壺庭があり、
前栽の木々も面白く植え、
垣根の風情もしゃれていていい

さすがに名邸と評判高いだけあって、
建物は気品があって、
よく手入れされているが、
女院(主上の母君)が、
土御門から渡られているため、
あまたの人々が参り集うて、
まるで節会でも行われるかのような、
物々しさ

彰子女御は、
お里返りしていられるのだが、
主上づきの女房たちは、
若宮をひと目拝見しようと、
待ち構えていた

東三条女院は、
若宮のお顔をご覧になるなり、
古女房たちと同じように、

「おお、まあ、
主上の稚児生いに、
よう似ておいであそばす」

と喜ばし気なお声を放たれた

「さ、ここへ
お祖母さまに抱かせておくれ」

と抱きとられて、

「よいお子ですこと
つぶつぶとよう肥えて、
そしてさかしげなお目々だこと」

と笑みまけて、
主上にお渡しになる

そのさまは、
われわれ下々の庶民の家と、
変りはないのである

主上はお言葉もなく、
じ~っとお腕の中の若宮を、
おみつめになっている

姫宮はおん五歳なので、
よくおしゃべりになる

乳母や母宮に教えられた通り、
お可愛く挨拶なさるのを、
女院は堪えられないように、
姫宮を膝に抱きとられて、

「なんとおりこうさんでしょう」

と頬ずりなさる

そのうち若宮が、
力強い声で泣きはじめられて、
それもご一家団欒のめでたさである






          


(次回へ)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「26」 ①

2024年12月29日 08時50分38秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・これも経房の君の、
もたらしてくれた話によると、
藤壺へ渡られた主上が、
お笛を吹いていられた

主上はお笛に堪能でいられる

ご容貌の清らかなお美しい主上が、
端正に吹きすまされるお姿、
私どももしみじみ、
打たされたことがあるが、
主上がお笛を鳴らされるあいだ、
彰子姫はよそ見をしていられた

「こっちをごらんなさい」

と主上がいわれると、
姫はさかしく、

「笛は音を聞くもので、
ございましょう、
見るものではございますまい」

といわれるさまの可愛らしさに、

「これは負けました
まあそう、
七十の爺さんに恥をかかせないで、
くださいよ」

と主上は笑われて、
一座はめでたい気分に、
さざめいたよし、
姫は稚くいらっしゃるようだが、

「どうして、中々、
打てばひびく才気もおありでね、
しかし、
それをあからさまに、
出したりなさらぬ、
おっとりと躾けられているらしい
そういえば、
この話が世間に洩れて、
さっそく、あの物語書きの、
為時の娘が『若紫』という題の、
みじかい小説を書いたようですよ」

と経房の君はいわれる

「為時の娘って、
あの宣考と結婚した、
あの女ですか?」

「そうです
もう子供が出来たとか
結婚しても物を書くのは、
やめないらしく、
その中のいくつかを、
夫の宣考が自分の妻たちに見せ、
夫婦げんかのタネになった、
などと宣考がのろけ半分に、
言ってましたっけ」

「それで、
『若紫』という小説には、
主上と彰子姫が、
出てくるのですか?」

「いやいや、もちろん、
あからさまに擬せられている、
というのではありませんよ、
しかし物語では、
十と十八の少女と青年に、
なっていて
青年は少女に、
ほのかな愛をおぼえて、
手もとへ引き取り、
その成長をたのしみに待って、
ゆくゆくは妻とする、
というほほえましい物語です
いま、彰子姫も、
形ばかりの結婚でしょう、
主上のお気持ちは『若紫』
というところで、
気長に姫の成長を、
お待ちなのではないでしょうか
それやこれやで、
彰子姫の人気も手伝って、
その物語は人に好んで、
読まれているようですよ」

「その人は、
やがて彰子姫のところへ、
宮仕えなさるおつもりなのかしら」

「それはわかりませんが、
宣考は左大臣方と、
近しい仲ですからね」

経房の君は、
文学青年なので、
その「若紫」に、
興味があるらしかった

しかし、
その本は中々手に入らないという

「手に入らなければ、
ご自分でお作りになれば?」

私がいったら、

「こともなげにいわれる
好きということと、
創造するということは、
ちがいますよ、
あなたならともかく」

しかし私も、
めんどうくさい物語の、
たぐいなど書くのは好きではない

一場面の描写など、
心のままに筆を走らせるのは、
好きだけれど、
長々と物語の主人公につき合うのは、
不得手であった

その彰子姫は、
二月にはじめて里下りを、
なさったらしい

まだ入内されて三月で、
主上は淋しく思われたようだ

里下りといっても、
一日二日のことではなく、
まだお年若なお身には、
内裏生活は緊張することが多く、
お疲れであろうというので、
何十日、二、三ヶ月の、
お里下りである

左大臣、道長の君の、
土御門のお邸は、
美事に修理されているそうな

二月十日に彰子姫は、
お退りになるということで、
主上は入れ代わりに、
中宮入内をすすめられる

左大臣どのに気がねされて、
いい出すことを憚っていられたが、
東三条女院のおすすめもあり、
意外にも左大臣どのは快く、

「私の唐車をおまわし、
いたしましょう
お迎えに上がらせますゆえ、
宮も姫宮ももろとも、
それにご同車されたほうが、
お気軽でしょう」

といわれたそうである

左大臣が案外に、
中宮や宮さまがたを、
厚くもてなすさまを見せたのも道理、
彰子姫を中宮にする計画が、
練られていたのだ

去年の内裏炎上からこっち、
主上は一条院に遷御されている

(あの火災がなければ、
中宮はもっと長く、
主上と水入らずのご生活を、
楽しまれたはずなのに・・・
中宮はやがてご懐妊、
三条の生昌邸に、
主上は一条院に、
別れ別れになられた)

この一条院を、
いまは新内裏と人々はいう

このお邸は、
豪壮な名邸で、
かの一条の太政大臣、
為光の殿の遺産である

それをただいまの左大臣、
道長の君が買いとられて、
主上の母君の東三条女院が、
お住まいになっていた

内裏炎上のため、
ここを当分の新内裏とされたので、
女院はまたもや、
土御門へ移られている

その新内裏へ、
中宮はお入りになった

左大臣どのが、
唐車をさし廻され、
姫宮も若宮もご同車、
というお手軽なご入内であった

本来ならば、
今上の第一皇子が、
お生まれになったのだから、
美々しい行列にいかめしい供ぞろえ、
さてまた中宮は、
御輿をお召しにならねばならぬ

かの積善寺供養のときの、
威儀を私は忘れることは、
できない

しかしいまは、
そのかみの威勢は、
もはや思い描きようもない

それを中納言の君などが、
嘆くと、私はわざと明るく、

「主上が若宮を、
ご覧にんりましたら、
どんなにまあ、
お可愛く思し召すことでしょう
姫宮もおん年五つ、
お可愛いさかりですもの
内裏が花が咲いたように、
おなりですわ」

というのだ

私は心の中で、
中宮のご運命のつたなさを、
嘆いてもそれを口に出すのは、
いやだ

また文字を書くのもいやだ

言霊、文字魂を、
信ずるせいもあるけれど、
運命は、
暗い方へ顔を向けたりすると、
よけい暗くなる気がする

それに、
かつての栄光を、
忘れることはできないものの、
それを上回ってなおあまりある、
未来への希望が、
私の心を大きく占めている






          


(次回へ)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「25」 ④

2024年12月28日 08時59分47秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・三年前の長徳二年の暮れ、
姫宮がご誕生日なったときは、
人々はひそかに、

(姫宮でよかった、
こんなときに男御子が、
お生まれになっていらしたら、
また紛糾の種だったろう)

と言い合った

あの年は悪いこと続きで、
兄君、伊周の君らは、
流されなされるし、
二条のお邸は火事に遭う、
母君の貴子の上は亡くなられる、
という大厄年の年であった

ひっそりと生まれられたのが、
姫君でむしろよかったと思う

しかし今は、
とりたてての障害もないのだ

それにあの頃は、
中宮の祖父君、二位殿が、
まだご在世でしきりに、
今度は男御子をお産みになるよう、
そそのかしていられ、
何もかもすべて政治的な思惑に、
まぶされていくのが、
煩わしかった

その二位殿もいまは亡い

見方を変えれば、
前の関白、父君の道隆の君が、
ご在世のころに、
この皇子が生まれていらしたら、
ろ思う人があるかもしれないが、
私にしてみれば、
そのことはもう願うべくもないことで、
それよりも、
主上のお喜びを思いやるほうが、
たのしかった

主上のお文は、
公のもののほかに、
忍んで来たが、
そこにはどんなおやさしい、
お言葉が連ねてあったことやら

私も棟世に宛てて、
この様子を知らせてやる

むろん生昌のことなども、
諧謔をこめて描写する

折り返してきた棟世の手紙には、

「たのしい便りをありがとう
目に見えるようだった、
生昌のたたずまいがね
いつかもいったろう
生昌は根は悪気のある男じゃない
それどころか、
このご時世に、
誰も引き受け手のない、
中宮のお世話をするなんて、
ほかの人間にゃ出来ないことだと、
心得てやりなさい
中宮の御荘園の御封も、
ややもすれば途絶えがちという噂、
実際、人間というやつは、
羽振りがちょっとでもよい方へ、
なびくものでね、
そういう中で、
中宮をお引き受けする、
ということは大変なことだ
鈍いだけじゃできない

それにしても、
あなたの手紙、
そのまま『春はあけぼの草子』に、
入れればよい
とりのけておくよ
そちらでも続きを書いていますか」

などとあった

皇子ご誕生の気ぜわしさ、
誇らしさ、
うれしさを私は筆にする、
ひまもなかった

その喜びの中へ、
自身どっぷりつかってしまっていた

中宮の夜居の僧には、
弟君の隆円僧都が、
ずっと詰めていられる

ほかの公卿たちが、
参集しないかわり、
ご一家、ご一族が、
ひしと中宮を守っていられる

その中にあって、
私もよそごとのように、
してはいられないのであった

「春はあけぼの草子」も、
いまは手つかずで、
中宮に頂いた紙も、
手箱に入れたままである

しかしいずれは、
この日の慶びを書きとどめる、
ことになろう

私は、
弁のおもとがいっていたように、

「喜ばしいこと、
明るいこと、
たのしいことだけを書く」

つもりなのだから

中宮はお肥立ちもよく、
新皇子もお元気に、
日々ご成長になる

ふっくらと肥えられて、
東三条女院のお使いの古女房などは、

「おお、
今上のお稚児でいらしたころに、
よう似ておいであそばす・・・」

などというのであった

主上は、
前の姫宮のときにもまして、
新皇子に早く会いたいと、
切望していられるようだ

しかし彰子姫が入内されたばかり、
中宮は、

「いそがなくてもよろしい」

と制していられる

中宮は彰子姫と同時に、
内裏住みなさるのを、
避けようとしていられるのかも、
しれなかった

お二方の宮の母君となられた、
中宮は年明けて長保二年(1000年)、
二十五になられる

年々歳々におとなの女の、
美しさを備えられて、
まして今はお二方の宮を相手に、
満ち足りていられるせいか、
見なれている私でも、
まぶしいくらいお美しい

中宮のお美しさを、
わがことのように誇りにし、
一の宮のおすこやかな、
お育ちを嬉しく思う

内裏の藤壺の彰子女御はいま、
世間の耳目をあつめている、
といってよかった

贅美をこらしたお支度で、
入内されたのだから、
世人はそれを、
「輝く藤壺」
と形容しているそうな

何しろ主上でさえ、
彰子姫の御殿へ、
渡らせられると次から次と、
珍しいもの、
美事なもののお目を奪われなすって、

「あんまりすばらしいものばかりで、
興に入って、
政治も忘れる愚か者になりそうだ」

と嘆息されるほどだとか

といってもこの主上、
お年のわりに名君のきこえ高く、
大臣や公卿から尊敬を、
捧げられているかただから、
決して、
政治を忘れる愚か者、
ではいらっしゃらない

主上をそうまで、
感嘆させ申したお支度といえば、
単に金をかけた、
というだけのものでは、
ないようである

例の四尺屏風もそうであるが、
唐わたりの古書、
名筆、
おびただしい蔵書や、
この日にそなえて、
蒐集された名画などにも、
お心を動かされた、
という噂だった

その藤壺自体が、
お部屋の飾りつけなど、
玉を磨いたようだという

几帳、屏風の縁木まで、
みな蒔絵、螺鈿が施してあり、
姫君はじめ女房たちの衣装の美麗は、
「古今未曾有」といわれる

御調度品はみな、
一流の美術工芸品である上に、
何よりの美術品は、
彰子女御その人でいらっしゃるとも

何しろ、
今まではお年上の女御、
おとなの女君たちに、
かこまれていらした、
主上にしてみれば、
はじめて八つも年下の姫君が、
参られて、

「まるでひいな遊びのような」

と可憐に思われたとか






          


(了)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「25」 ③

2024年12月27日 09時01分13秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・あの細殿は、
私にもなつかしかった

登華殿の西廂、
あれは清涼殿への道なので、
男たちが絶えず通っていた

昼も夜も男の沓音が絶えず、
細殿の遣戸をひそかに叩く、
音が深夜も聞こえた

また、
大勢の貴公子たちを迎えて、
夜もすがら話に興じたこともあった

いや、またそのうちに、
そういう日が来るであろう

二の宮をお抱きになった中宮が、
再び入内される日が

何たって、
女御は多くいられても、
中宮はお一人、
格がちがう

「それはそうですが、
しかし、左大臣どのは、
彰子姫を女御でおいておく、
おつもりはなさそうですよ」

経房の君は、
ひとり言のようにいわれる

「だって、
もうすでに中宮のお位は、
占めていられるでは、
ありませんか」

私は開いた口がふさがらぬ

「さ、そこが、
左大臣どのの頭が痛いところだが、
制度には抜け道というものが、
必ずあるもの
そうなると、
いまの中宮さまは、
皇后という呼称に、
変るかもしれませんよ」

「そんな強引な
そんな無茶な・・・」

さすがに私は言葉もなかった

「お一人の帝に、
后がお二人、なんて」

女御や更衣はあまた、
お仕えしていても、
お后は一人に決まったもの、
立后されるとお乗り物も、
お手回りのものも、
みななみのものと違ってくる

大床子をしつらえ、
御張台の前に、
狛犬と獅子がたてられ、
庭には衛士の火焼屋が設けられる

ただびとから皇族におなりになる、
ということは大変なものなのだ

中宮のそうしたお身分に、
私たちは安心していたが、
彰子姫が中宮に負けず、
立后されるとしたら、
中宮はどうなさるのであろう

「大丈夫ですよ
人々の気持ちが支えです
世間は内心、
深い同情を定子中宮に捧げています
人間はそんなに情け知らずの、
いきものじゃありません」

経房の君は、
そんなことをいって下さって、
私は気が晴れてくる

御安産祈祷の坊さんの集りが、
悪いことも、
(むろん、左大臣家に遠慮している)
産養い(誕生の祝賀式)の準備が、
はかどらないのも、
経房の君にはいえない

十一月七日卯の刻(午前六時ごろ)
中宮は無事にご出産

皇子でいらっしゃった

ひときわ高くなる、
ご祈祷の読経の中、
どっとわきおこる声々

「皇子であられた!」

「男御子一の宮の、
ご誕生でございます」

「内裏へお使者を」

兄君の伊周の君は、
泣き出していられる

弟君、隆家の君は、
詰めかけた祝賀客の応接に、
心もそらに走りまどうて、
おられる

姫宮とちがって、
皇子のご誕生は、
手のこんだ儀式に飾られる

東三条女院と主上に、
お使者がたち、
主上からはたちまち御剣が、
つかわされる

御産湯の儀式には、
内裏からつかわされた、
右近の内侍がお仕えし、
そのうち続々と、
絹、綾などがあちこちから、
贈られてくる

中宮も皇子もつつがなく、
誰も彼も上気して、
生昌は使者の君たちに、
心ここにあらずのさまで、

「ハイ、シーッ」

ばかりくり返す

中納言の君をたすけて、
私はお祝客の整理に、
けんめいだった

みなお使者ばかりだけれど、
相応の禄など出さねばならぬ

何といってもこういう場合、
きちんと采配を振る男あるじが、
いなければならぬのであるが、
帥の君(伊周の君)は、
祈祷がむくわれて、
皇子ご出産が実現したというので、
いよいよお祈りのほうに、
精出され、
隆家の君は中宮と皇子を、
お守りするのに手いっぱい、
というありさま

夜に入って内裏からは、
藤三位をはじめ、
重だった女房たちが、
主上の仰せをうけて、
若宮を拝みにくる

栄えある物騒がしさ、
私たちも交代で食事をとり、
休憩するというありさまだった

けれども、
あとで聞けば同じこの夜

十一月七日の夜は、
内裏でも大変な賑わい、
こちらのほうは私どもより、
もっと重々しいさわぎだったのだ

彰子姫は一日に入内されたが、
七日にははやくも、
女御の宣旨を受けられ、
その夕方、主上ははじめて、
彰子姫のお部屋に入られ、
お会いになっている

主上二十歳、
彰子姫十二歳

姫は大人びて態度も落ち着き、
とても十二にはお見えにならぬ

気高いお美しさというが、
主上は、

「あまりに若々しい姫だ、
これでは私は七十の、
お爺さんになった気分だ」

と冗談を仰せられたとか、
七日の夜はあまたの公卿が、
慶賀に参りつどい、
藤壺は一夜、
音楽と歓声に沸いたそうであった

左大臣どのの、
得意気なお顔が、
見えるようである

しかしこちらのお邸でも、
いかめしい作法が型通り、
次々行われる

新皇子がお湯殿を召すときの、
鳴絃(つるうち)や、
読書(ふみよみ)が行われる

夜っぴてかがり火が焚かれ、
五位六位の男たちや、
衛府の侍がつめかけて、

「今上(きんじょう)の第一皇子、
ご誕生」

と緊張感をたかめる

私はまるで、
自分が出産を果たしたように、
ほっとしてしまった

女房たちの中にも、
ここ数日の疲労がどっと出て、
安心のあまり、
やっと眠りこむ人やら、
くつろぐ人、
里下りする人、
いっぺんにいきいきとしてしまう

とうとう中宮に、
男御子がお生まれになった、
お仕えしていた甲斐があった、
と私は誇らしかった

小左京の君は、
ばかな女であるが、
ばかなりに本音をいう女で、

「まあ、
よくもほかへ行かなかったこと
若宮誕生に立ち会うことができて、
よかったこと」

などと満足そうにいう

それでは逆境の中宮を見捨てて、
よそのお邸へ鞍替えすることを、
考えていたのかしら?






          


(次回へ)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする