むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「28」 ③

2025年01月08日 09時14分44秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・「話があとさきになって、
ごめんなさい」

と娘は可憐にいった

もう、六、七年の宮中ぐらし、
私は可憐な女を見なくなって、
久しい

とくにここ一、二年、
私の周囲の女たちは、
顔の相が変ってしまっていた

そういう私自身も、
他者からみれば、
きっと同じであろう

中宮を中心に結束し、
左大臣(道長の君)側からの、
悪意や誹謗をはねつけようと、
身構えているうち、
おのずとみな、
かどかどしい顔つきになって、
ゆくのだろう

久しぶりで、
ういういしい、可憐な、
娘の様子を見て、
しかもそれが棟世の娘なのだから、
私はいっそう嬉しかった

と共に軽い嫉妬がある

なるほど、
こんな可愛い娘を、
一人で都に置いておけないはず・・・
心配で
さぞ可愛がっていることだろう、
棟世は

と思うと、
私はちょっぴり嫉妬の味を、
舌先に感じてしまった

「さきにお話申しあげよう、
と思っていたら、
ばあやがおしゃべりするのですもの」

と娘は乳母に、
やわらかい視線で制して、

「海松子おばさまにお願いして、
わたくし、
こんどご入内なすった中宮さまに、
お仕えしたいんですの」

「彰子の宮さまのこと?」

「はい
お十三になられるとか
ご入内のときは、
選りぬきの女房や女童を、
連れていらしたということでしたが、
わたくし、うらやましくて
父が摂津へ参りますのに、
わたくしを伴ったものですから、
宮仕えは夢になってしまいました
でもわたくしも十六、
父はこのごろやっと、

『それほど望むなら、
好きにするがいい
海松子おばさまの伝手で、
もしかすると、
宮仕えの道がひらけるかもしれない』

といってくれました
海松子おばさまは、
皇后の宮にお仕えなのに、
こんなことを申し上げたら、
失礼かもしれませんけれど、
わたくしは、あのう・・・
やっぱり、
同じ世代でいらっしゃる、
彰子中宮さまのほうに、
お仕えしたいんです
十代の若い人々がおそばに集って、
お仕えしていると聞きます
わたくしもそんな世界が、
見てみたいんです」

私は娘のいうことが、
よくわかった

私も彼女の年齢なら、
そう思うに違いない

世間では十三歳の、
美少女の彰子中宮のことを、
「かがやく藤壺」
とたたえている

そういう女あるじに、
若い娘があこがれを抱くのは、
当然だった

当然と思いつつ、
そういうあこがれの的に、
定子中宮がいられない、
というのは切ないことである

いま世間の若い娘たちが、
熱い視線をそそぐのは、
お若く美しい彰子新中宮なのだった

「そうねえ、
左大臣のお邸に、
知り人がないわけじゃありません
大殿の上(道長の君の北の方、倫子の君)
にお仕えする赤染衛門という方とは、
おつきあいもあるし、
古い女房の兵部のおもと、
という方も知っています
あなたのお父さまが、
そういうご意向でいらっしゃるのなら、
早速に知り合いを介して、
当ってみましょう」

と私はいった

「ほんと?」

娘は目をみはり、
みるみるそれは明るい、
輝きを増した

なんと澄んだ黒い瞳だろうか、
白眼のところは、
冴えた青だった

その美しい瞳で、
この娘は宮仕えの、
何を見るのだろうか、
美しいもの、
清いもの、
楽しいものだけを見るのであれば、
いいけれど・・・

私のそういう感懐は、
乳母にとっては、
いっそう強いらしかった

「私はもともと、
反対していたのでございます
ひいさんは家庭にひきこもって、
幸せな結婚をなすって、
よい婿君と、
丈夫なお子に恵まれるのこそ、
女の幸せと、
私は常々声を嗄らして、
申しておりますのに」

乳母が嘆くのは、
毎度のことらしく、
娘は肩をすくめて小さく笑い、
きまり悪そうに私をみる

はきはきした口調、
この娘は可憐な中に、
自分の意志をはっきり持った、
きかぬ気のある性格らしい

そういう女なら、
宮仕えに向いているかもしれない

大勢の女や男の中に、
立ちまじって協調しつつ、
自我を守って生きてゆくには、
おとなしい一方では、
やってゆけない

陰気でくよくよするのもだめ、
後をふりかえらず、
道は前にあるというような、
鼻っ柱の強いところがなくては、
かなうまい

「乳母どのが、
そうお思いになるのもよくわかって、
もっともですけど、
宮仕えして夫を持つ人も多いのです
子供を産んで、
そのあと、主上のおん乳母に、
なられる方やら、
りっぱに男の子を成人させなすった方、
いろいろです
宮仕えしたら、
結婚に縁遠くなるとは、
限りませんよ」

私は乳母に向かっていうとき、
おのずと世間の姑息な、
職業婦人観に反発する口調になる

「ちんまりした、
平凡な家庭の妻になって、
横暴で移り気な男のご機嫌を取り、
何の面白いこともなく、
一生を終わる、
そういうのは、
つまらないじゃありませんか
そうして年とって、
生きているのか死んでるのか、
といわれるようになるより、
同じ一生なら、
ひろい世間を見るのもいい、
と思いますよ」

娘は喜ばしげに、
私を見つめてうなずくが、
乳母はため息をつくばかりである

私はいっそう、
言葉に熱が入る

「これが身分高い方の姫君なら、
宮仕えというのは、
体面上よくないと思われるでしょうし、
身分低い出身でも、
宮仕えは気苦労が多いんですよ
でも、頃合いの家柄で、
育ちのいい娘なら、
宮仕えをして世間を知り、
そのうち、典侍(ないしのすけ)
などという女官になったりして、
宮中のご用を勤めたり、
人に指図したりという、
そんな人生もいいんじゃありません?
女は人前に顔を出さないほうが、
奥ゆかしい、
と思っている人は多いけれど、
そしてことに男の人は、

『宮仕えする女はすれっからし』

『仕事持ちの女を、
妻にしたくない』

などと思うらしいけれど、
でも、世間を知ってる女は、
いざというときも男にとって、
便利だったり、
いいものですよ」

「まあ、そうでございましょうけれど」

と乳母は口をつぐんだ

私に説き伏せられた、
というより、
父の棟世が宮仕えに肯定的な立場で、
いるのであきらめているらしい






          


(次回へ)

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