「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「29」 ④

2025年01月13日 09時11分08秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・中宮の主上へのお別れの歌

<夜もすがら
契りしことを忘れずば
恋ひん涙の色ぞゆかしき

知る人もなき別れ路に今はとて
心細くも急ぎたつかな

煙とも雲ともならぬ身なりとも
草葉の露をそれと眺めよ>

(あなたは夜もすがら
わたくしに誓われた
かの「長恨歌」の主人公たち、
玄宗と楊貴妃のように、
天にあっては比翼の鳥となり、
地にあっては連理の枝になろうと

その契りをお忘れにならぬならば、
わたくしを思うて泣いて下さる、
涙の色は悲しみの血の色でしょうか

さようなら
わたくしはひと足お先に、
旅立ちます
この道は知る人もない別れの道、
心ぼそくはありますが、
ゆかぬわけにはまいりません

わたくしは煙や雲にならぬ身、
葬りのしるしはそれとは、
おわかりにならぬでしょうが、
草場の露を見て、
おしのび下さいまし・・・)

帥どのは、

「三首めのお歌は、
ご葬送についてのそれとはない、
ご遺言のようだ
火葬にせず土に還してほしい、
というお気持ちと拝察される」

といわれ、
鳥辺野の南、
二丁ほど離れたところに、
霊屋(たまや)をお造らせになる

中宮のお歌は、
ひそかに内裏女房の右近を経て、
主上にお届けしたようであった

霊屋のしつらいは、
築土なども築かれ、
りっぱになるらしい

やがて山稜へおさめられるまでの間、
ご遺体を安置するのである

何といっても当代の、
皇后の宮でいらっしゃるので、
おのずと威儀あるものになるのは、
仕方がない

一年前、
冷泉帝の皇后でいらした、
太皇大后・昌子内親王が亡くなられたが、
ご遺言として、
大げさにしないような、
葬儀にしてほしい、
お墓の大きいのも要らぬ、
公的行事も取りやめにすることは、
要らないとつつましく希望された

しかしある程度の格式は、
省くことはできなかったようである

定子中宮はなおさらのこと、
主上のご意向でいかめしく、
重々しい儀式になるのは、
おのずからなる勢いだった

十二日先の、
十二月二十七日が、
ご葬儀の日と決められた

その日まで、
さまざまな人のお弔問、
お見舞いがあり、
私は気を張っていなくては、
ならなかった

こんなにたくさんの人々が、
定子中宮のおかくれを悼むとは、
思わなかった

公的にも国忌となり、
三ヶ月の廃朝が発表され、
世の中は鈍色の喪服となった

左大臣(道長の君)側への、
思惑をこえて、
中宮への同情と哀悼は、
人々の心をゆすぶったらしかった

おん年二十五歳でいらした

蔵人の頭・行成卿は、
私をごらんになるなり、
涙を拭かれる

「無常の世間、
無常の人の命、
見るもの聞くもの、
すべて悲しみのたねですよ
昨日、私は、
少将成房に歌をやりました

<世の中をいかがせましと思ひつつ
起き臥すほどに明け暮らすかな>

皇后のおかくれを聞いて、
涙を浮かべなかった者はおりません
どんな人の死もあわれであるものの、
皇后のご生涯ほど、
いたましいものはないのですから」

行成の君は、
歌の得意でない方である

それがこういう歌を、
ものされるというのは、
よほど強い衝撃が行成の君の心を、
波立たせたものらしい

「主上は何も仰せられません
それだけにかえって・・・
母君の女院には、
お打ち明けになるのかもしれませんが、
いまはどの女御も、
お召しになることはなく、
彰子新中宮もお召しがあっても、
遠慮していられます

せめてお形見となる若宮がたを、
早く内裏へお召しになりたい、
ようですが・・・

おお、少将成房は私に応じて、

<世の中をはかなきものと知りながら
いかがせましと何か嘆かん>

いっそ出家したいといいましたよ
しかし、淋しくなりましたねえ」

行成の君は喪服の上に、
涙を落とされた

「淋しくなってしまった・・・
あの明るい雰囲気、
心ときめきするあのつどい、
もう内裏にもどこにも、
見られないのかと思うと、
皇后と、
いつもそばにいるあなたと、
私にはこの組合せが、
人生の楽しみの一つだった」

行成の君は、
ご自分の言葉に誘われ、
洟をかみ、

「これはいけない
あなたを慰めるつもりが、
よけい悲しませてしまった
・・・しかし思いのほか、
お元気でいられるようなのが、
せめてもの安心です
お力落としだろうが、
元気を出して下さいよ」

行成の君はわかって下さっている、
私と中宮の間のたぐいない友情と、
それから二人してつくってきた、
あのたのしい後宮の雰囲気が、
この世ではめったにないものだった、
ということ

ソツのない実務家、
切れ者の能吏、
と世間では思われていらっしゃる、
行成の君は、
ほんとうはゆたかで、
知性ある詩人なのだ

だからこそ、
私はこの人をかねて、

(大物・・・
どこか普通の人とちがうわ)

と思い続けてきた

しかしそういう方でも、
ほんとうの私の気持ちは、
わかっていらっしゃらない

行成の君は、

(皇后のご生涯ほど、
いたましいものはない)

といわれる

しかし私は、
中宮こそせいいっぱい、
幸せの花を咲かされたと思う

中宮におくれ奉ったことを、
やるせなく思う私は、
それでも今なお、
中宮が亡くなられたとは思えない

私にとって、
まだ生きていらっしゃる

あのお姿、
あのお声を書きとどめ、
しるしとどめ、
千年のちにも伝えなければ

いま記憶のなまなましいうちに、
私の愛を私の心に彫りつけて、
中宮をいきいきと永遠に、
生きつづけ参らせよう

泣いていられない
悲しんでいられない

私は深い混乱と、
躁狂の中にいる

声はうわずるのを、
ひきしめるのに必死で、
動作は自然にすばやくなり、
ご葬儀の日まで、
その準備に追われながら、
まるでそれを嬉々とやっているように、
はためには見えるかもしれない






          


(次回へ)

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