・女房の一人が、
私のことをお答えしたらしく、
伊周大納言はこちらへ来られた
どこかよそへいらっしゃるのか、
と思うも私目当てに、
来られたらしい
すぐ側に坐られて、
「清少納言、
小白川の法華八講での、
話を聞いたよ
それから何といったっけ、
『春はあけぼの草子』だったか、
中宮のお手元のを拝見して、
読んだことがある」
そのお声は、
明晰で歯切れよく、
さわやかな微笑みは、
目の前にある
どっと冷や汗が吹き出した
こんな近間に、
面と向かっているなんて、
恥ずかしいより、
死にたいくらいである
(早くあっちへ行って下されば)
と思い、
なやましい涙が出てくる
むろん悲しくてではない
あまりの晴れがましさに、
心がついてゆけない、
惑乱のあまりである
大納言を厭うてではない、
好もしさ、慕わしさ、
嬉しさのあまり、
その美貌がまぶしく、
比べてわが身のつたなさに、
冷や汗が出るからである
大納言お一人でももてあますのに、
またそこへ声がして、
今度こそ直衣姿の関白さまが、
いらした
四十一歳のどっしりした、
美男ぶり
大納言より花やいで、
軽口を叩いて笑い興じていられる
大納言によく似ていられて、
大納言より押し出しの立派さは、
年齢のせいばかりでも、
なさそうだ
大納言は、
父君の関白さまより、
線の細い優艶な方でいらっしゃる
昔の在原業平卿の血が、
混じっていられるという噂は、
うそではないかもしれない
世間の公然の秘密、
関白夫人の貴子の上の実家、
高階家は在原業平の、
子孫だということである
「伊勢物語」にある、
伊勢の斎宮と在原業平卿の、
悲恋によって生まれたのが、
高階師尚(もろひさ)だという
その人は、
貴子の上の曽祖父にあたる
物語の中にあるような世界、
その中で動き、
ものいう人も変化のものか、
天人かと思ったのも、
はじめの何日かで、
次第に私は慣れてきた
少しずつまわりを見まわす、
余裕も出てきた
内裏暮らしは面白かった
私と同時期に入った、
小左京と呼ばれる女房は、
私と顔を合わせると、
泣きごとをいう
ややもすると、
里下りをしていたが、
私は一向に家に帰る気は、
おきなかった
小左京は陰気な老嬢で、
何を思って宮仕えしたのやら、
実家には年とった両親がいて、
小左京が出るときは、
左右からとりついて泣く、
ということである
家にいると、
食べてゆけないのかもしれないが、
小左京は宮仕えに何の、
希望も期待も、
持っていなかった
人間関係のわずらわしさ、
意外に経費のかかる、
宮仕えの内幕、
煩瑣な宮中独特のきまり、
などを辛がり、
いつまでも愚痴をこぼす
「宮仕えは性に、
合わないんじゃない?
結婚でもして、
家庭に入った方が、
あなたにはいいかもしれない」
私は彼女の愚痴を、
さえぎっていった
彼女は、
「ふた親が、
あまりに私を大事に、
しすぎたものだから、
結婚も出来なかったの
縁談はいろいろあったの、
だけれど、
あれは物足らぬ、
これは気がすすまぬと、
片端からことわってしまったの
もう、この年では、
子供が出来るかどうか、
わからないし
私なんかのところへ、
通ってくれる男なんか、
あるかないか・・・
結婚なんて夢みたいな話」
やれやれ、
何のために生きているのだ、
この女、
うっとうしい女だ
「あなた、
泣きごとばかり、
いっていたって、
しょうがないでしょう
縁あってお仕えした以上は、
なるべく自分も楽しく、
まわりも楽しませ、
心こめてお仕えなさいよ
泣きごとをいわれると、
周囲まで毒素をまき散らされるようで、
不快だわ」
私はずけずけといってやった
こんな陰気な女は、
私はしんそこ嫌いなのだ
「あなたは中宮さまの、
お気に入りだから、
それはいいわよ
御所のごはんがおいしい人、
なんですもの
でも、私は違うわ
こんな気骨の折れるところで、
生きられないわ」
「なら、
とっととお辞めになればいかが」
「いろいろ事情があるのよ」
小左京は泣きべそをかいていう
ああいやだ、いやだ、
こんな女
私はそれに反発して、
一挙に宮仕え生活に、
親しんでいけたのかもしれない
私がどんなにいっても、
小左京はしぶとく辞めようとは、
しなかった
そうして里下りした翌日は、
泣き腫らした顔のまま、
出てきて、
「私が車に乗り込むと、
父も母もこれが最期のように、
泣くのよ」
などというのだった
そんなに別れが辛いのなら、
野垂れ死にするまで、
親子三人、
ひしと固まって、
暮らしていればいいのに、
全く変な女
私は、といえば。
式部のおもとが、
「お疲れになったでしょう
少しお休みをお取りになるが、
いいわ」
とすすめてくれても、
一向に家に帰る気がしなかった
則光に、
とくに会いたいとも思わない
浅茅からの手紙で、
則光は私がいないあと、
また別の新しい女のところへ、
通っていると聞いても、
(おやおや)
というくらいであった
(次回へ)