・「そんなにからかっては、
かわいそうだわ」
中宮がいわれる
「からかっているわけでは、
ございません
これもあの男たちの、
いい勉強でございますから
殿方の勉強の第一は、
女性への返事がうまく出来ること、
と申します」
というのは、
少し意地悪で、
特異な雰囲気の、
右衛門の君である
もう三十近い年頃、
髪も少なくなっているが、
細身の体が美しい
背が高く、
ほそての顔に険があるのが、
難点だが、
美人といってよい
「でもあなたたちが先生では、
あの男たちの勉強も、
辛いものでしょうよ」
中宮は声をあげて、
笑われる
そういう楽しみは、
殿上の名対面でも、
味わうことができる
毎夜、亥の二刻(午後九時半)、
清涼殿の殿上の間で、
殿上の宿直人の点呼が、
行われる
ついで滝口の名対面がある
滝口の侍が東庭に並ぶ
「誰々か侍る」
という蔵人の問いに答えて、
姓名を名乗るわけであるが、
人数が少ないと点呼は、
とらない
「名対面いたしません」
と滝口の侍がいうと、
型のごとく蔵人は、
「なぜか」
と問う
侍は支障の理由をいい、
蔵人はそれを聞いて帰る
みな決まったことである
蔵人の中に、
源方弘(まさひろ)、
というのがいる
これが変人で粗忽者
ふざけるのが好きな、
若い公達は方弘が滝口の侍の、
名対面しない理由を、
型のごとく聞くのへ、
うしろから、
「もっと侍を責めろ、
なぜ人数が足らんのだ
怠慢じゃないか、
責任を取れと叱ってやれ」
などとささやいたりする
普通の蔵人なら、
こんなことはしないのだが、
方弘は真に受けた
「けしからぬ、
なぜ名対面の人数が足らぬのだ、
怠慢だぞ、
責任を取れ」
と叫んでしまった
人々はあっけにとられ、
滝口の侍たちは、
御前近いのも忘れて、
げらげら笑い出してしまった
いまだかつて、
規則以外のこんな無茶を、
いう人はいなかった
方弘の悪名が、
それでなお高くなってしまった
方弘のような、
突拍子もない人間が、
この世にいるなんて、
思いも染めないことであった
なんと私は世間知らず、
人間知らず、
物知らずだったのだろう
方弘という男は、
失敗談の限りもなく、
多い男である
まだ二十二でこうなのだ
色はのっぺりと白く、
目は頓狂に見ひらかれ、
鼻の下は長く伸びている
そうして唇は、
男にしては赤く、
口元の表情がしどけない
すぐゆるんでしまう
この男は前に、
御厨子所の御膳棚に、
きたない沓を置いていた
御厨子所は、
いやしくも主上の、
おめしあがりものを、
置く棚である
沓を置く棚は、
別の所にあるのに、
方弘は間違えて、
神聖な供御の棚に、
置いてしまった
「誰だ!
こんな無礼なことをした奴は!」
と内膳司の役人は、
かんかんである
「ひどい奴だ
犯人がわかったら大目玉だ」
女官たちはとりのけながら、
「知りませんわ」
「どなたのでしょうね」
といっていたが、
彼女たちは方弘のだと知って、
かばってやったのかもしれない
当の方弘は、
「ひどい奴だなあ」
とのんきにいっていたが、
取り除けられた沓を見ると、
自分のではないか
「やや!
私のだ
私の沓だよ」
とよけいなことをいい出して、
またまた大さわぎになった
男にも賢明でない男がいるって、
私も知らないではなかったが、
それにしても、
知識と実見とは雲泥の相違がある
この方弘は、
度肝をむくようなことを、
たびたびしでかして、
私の男性研究に、
奥行きを増してくれるのだ
世間は方弘を、
物笑いのたねにして、
退屈をまぎらしているが、
親御の身になれば、
何と思うであろう
こういう半ちくな人間を、
社会に送り出しても、
親にしてみれば、
人に愛され愛嬌よい息子、
と思っているかもしれない
しかし、
世間のあくどいことといったら、
方弘に仕えている従者にまで、
「おい、
なんと思って、
あんな主人に仕えているんだね?」
とからかう始末
(次回へ)