「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

2、姥捨の月 ①

2025年01月29日 08時56分27秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・一人暮らしというのは、
案外いそがしいものである

家にいると、
わりに来客が多い

世捨て人や金のない一人暮らしは、
ヒマであろうが、
私ゃちがうのだ

銀行から来る、
ハンコをもらいに来たり、
残高がたまりすぎたから、
定期にしてくれの、
と頼んできたりする

証券会社、何かの寄付、セールス、
そういうのはインターホンで撃退するが、
応対しないといけないものもある

郵便局の配達、
クリーニング屋、
生協のご用聞き、
新聞代の集金・・・

どうしてこうも日本人は、
個人の時間を奪うのを、
何とも思わないのであろう

こっちはイライラしてしまう

私ゃこうみえて、
家でヒマなときってないのだ

週一で家政婦さんに来てもらうので、
大掃除、アイロンがけ、
季節の道具の出し入れは、
その日にやってもらうが、
毎日の小さい家事は、
自分でしている

合間にテレビを見たり、
油絵を描いたり、
習字、勉強(英会話、フランス語)もある

一日はあっというまにたってしまう

下らぬ雑用で中断されるくらい、
腹の立つことはない

英会話教室のエバは、
あ、ここではみな、
エバとかメアリとかビルとか、
いう名前で呼びあうので、
ふだんもついそのくせが出るが、
(私はジェーンという名前)

ここでエバと先生に名を与えられた、
魚谷さんという七十くらいの婦人は、
夫に先立たれたひとり暮らしの人である

子供もなく、
姉妹もいないが、
いくばくかの資産を持っているようで、
大きい郊外の家を売り払い、
最近下町に小さい古家を買って、
移り住んだ

この人は、

「下町のほうがにぎやかで、
人もよくたずねてくれるんです
近所となりのおつきあいがない、
マンションなんか、
考えただけでも恐ろしくて・・・」

といっている

私なんか、
人がよく遊びに来る、
下町暮らしなんて、
考えただけでもゾッとする

エバはどういう経歴の人か、
わりと新聞も本もよく読んで、
開明的であるが、
それでも、

「おとなりに二つの男の子がいまして、
若い夫婦だけで暮らしていますので、
遊びに行くときは、
私にお守を押しつけますの
男の子がなついてくれるので、
私、もうかわいくてかわいくて・・・
よそ孫ができた、
いうもんですわ」

と喜んでいた

いったい、
人間というものは、
自分の可愛がっているもののことを、
人さまの前で告白したり、
論評したり、
するものではないのだ

相手は白けはて、
(それがどうした!)
という気になるのだ

長いこと生きてきて、
なんでそれがわからんのか、
二十代の連れ合い自慢、
三、四十代の子供自慢、
五、六十代の財産自慢、
みな同じ、
七十まで生きてきて、
そのへんの機微も見抜けないようでは、
この女もやっぱり、
ボンヤリの一種であろう

ことにトシヨリの孫自慢は、
モウロクが添っているだけに、
よけい見苦しい

まだしも人間は、
人のワルクチをいってる時の方が、
聞く身としては面白い

その人間の度合いが、
ワルクチをいうとき、
露呈するからである

ともかく私ゃ、
人が来るのがいやなんだ

来てくれて嬉しいのは、
服の仮縫いのデザイナーだけ、
三人の息子が来たって、
あまりうれしくない

私の息子たちはみな、
中学高校とむつかしい年頃の、
男の子や女の子を抱えている

来ていい話を聞かせてくれたことなど、
ないのだ

試験にすべった、
成績が落ちた、
兄弟仲が悪い、
学校ぎらい、

「おばあちゃんに預けるよって、
よういい聞かせてくれへんか」

などなど、
私ゃ数年前まで働きに働いて、
浮世のご奉公は終わっているんだよ!

なんでデキの悪い孫どもの、
尻ぬぐいまでしなきゃいけないのだ

私にいわせれば、
総体に嫁たちの子育てが、
間違っている

過保護にしすぎ
牛と子供の尻はどつき倒せばいいのに、
宿題があるからといって、
家の手伝いもさせず、
若さまではあるまいし、
ハレモノにさわるように、
奉っているから増長するのだ

子供なんて宝ではないのだ

誰や?
子供は天使とか神の子だなんて、
いうのは

子供は「不良の素」「非行の素」
なのだ

「味の素」ではないが、
子供というのは元来、
不良の芽、非行の芽、悪の芽を、
持っているのだ

そいつが充分な滋養を与えられると、
ワーッと芽を出し、葉をひろげ、
ふき上がって悪の花、
非行の花を咲かせるのだ

そいつを小さいうちから摘み取り、
激しく見守り、矯正し、
やっとどうにか一人前の人間になるのだ

「そういう考えは、
ドイツ方式やな、
そういうたらおばあちゃんは、
きびしかったからな、
かわいがってもろた記憶ないな」

とズケズケいいの次男はぬかすが、
何をいうてんねん、
きびしく当たるのは、
愛の裏返しやないか

「子供いうもんは、
ほっといても可愛いもんやからね、
皮膚はすべすべして桃色やし、
顔は可愛いし、声もかわいい
それで可愛らしい声でしゃべると、
よけいメタメタとなる、
そこを腹ひっくくって、
ビシッときびしいしつける、
これはなまなかの愛では、
できんことなんや」

きびしくしつけ、
手に職を持たせた方がまし、
下らぬ知識をつめこんだって、
クソの役にも立たないのは、
私の長男を見たってわかるのだ

亡夫の遺した会社を守り立てたのは、
大学を出た長男より、
無学な番頭の方だった

私も古い時代の女学校しか、
出ていないが長男よりは、
肝っ玉があり、
世間智があった

ましてこの頃みたいに、
大学行きが多くなったら、
値打ちも下ろうというもの、
麻雀と酒と女をおぼえるだけの、
大学なんかやらなくていい

それはともかく、
私はエバとちがって、
人が来るのはうるさくて仕方ない






          


(次回へ)

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