「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

18、死なないで ②

2022年08月25日 08時51分23秒 | 田辺聖子・エッセー集










・空襲のサイレンを聞きながら、
学徒動員された工場の、
防空壕へもぐりこんだ女学生たち、
闇の魚を買い出しにいった医学生たち、
そういう人たちが、戦中戦後を生き抜いて、
こうやって中年を迎えている。

五十代も半ばの男たちがそれぞれ、
その妻を携えて集まってみると、

「日本の夫婦ここにあり」
というおもむきを呈して、そこにただよう、
重い感懐やロマンはとても若い人の同窓会の比ではない。

二年おきか三年おきにに、
地元の鹿児島で大会がある。

卒業生は全国に散って開業しているが、
やはり地元がいちばん多いので、
地元の大会は盛会になる。

私は、終戦前後の男子学生たちの苦労が興深かった。

古い写真のスライドに、
私自身の学校生活、終戦後の食糧難、
住んでいたバラック小屋、
などの記憶がオーバーラップする。

少年と少女、青年と娘の歴史が重なり、
合わせられ、まぜられてゆく気がする。

男も女もすべてあの動乱の時代の同級生であった。

鹿児島の町の焼け跡の写真に、
大阪の焼け跡の記憶がかぶさる。

日本の、どこの町の青年たちもああいう焦土から、
立ち上って生き延びて、そうして中年を迎えた。

そう思うと、
私は夫の同級生の男たちに親愛感を持つのである。

それに、ついでにわかったことがあった。

夫が生まれたのは奄美大島だが、
学校もそれにつづくインターンの頃の生活も、
みな鹿児島なので、生活も暮らしも鹿児島風だった。

男というものは(女もそうかもしれないが)、
その生まれ育った土地へ行って、
はじめて理解できる所がある。

私は鹿児島の町を見て、
「なるほど」と夫の発想の根底を合点した。

彼は精緻で巧者なものより、
ずばっとして大まかで、シンプルなものを好む。

それは錦江湾に桜島が浮かんでいるだけの、
ほかは何もない、ひたすら「ずばっとして」「大まかな」
鹿児島の風土そのままではないか。

また過剰装飾が嫌いで、
地味で質素で簡潔な環境や、生活態度を、
夫はこの上ないものと信じている。

私が磯別邸という、
藩主島津公の別邸へ行ってみると、
全くそのとおりのお邸で、
眺望こそ前に桜島を控えて素晴らしいが、
家の中は見事に何の装飾もなく、
すっからかんに質素簡潔であった。

なるほどなあ!
私は何を見ても、夫の日常のクセに思い当たり、
(納得!)という感じであったのだ。

そういうわけで鹿児島大会は、
私に二重三重の発見を与えたわけだが、
その頃から、夫の同級生に死ぬ人が増えたように思う。

中年男たちの歴史に立ち合った気がしたからこそ、
一人、また一人と亡くなってゆくのが、
他人事でなく思われたのかもしれない。

夫人同伴という申し合わせも、昔はなかった。

中年になって、
生活や気持ちにゆとりができたためかもしれない。

それからは、同窓会の始まる前に、
亡くなった人の名をあげて、
黙とうすることが行われている。

そうして会が終ると、
「来年まで死なんとおろうなあ」
「生きていようなあ」
と言い交わして別れる。

夫人たちの中には、
五十すぎてなお、舅姑に仕えている人もあるので、
同窓会の夫人同伴を喜んでいる人も多い。

一年にいっぺんは、
夫と一泊旅行が大っぴらに出来るからだった。

若い夫婦と違って、
五十すぎた夫と妻が旅をするのは、
たいへんな大仕事なのである。

私は、自分のクラス会(旧制女専であるが)に出て、
「来年まで死なんとおろうなあ」といいたくなったことは、
今までいっぺんもなかった。

クラスメートに死んだ人もないではないが、
女たちを見ていると「死」の影は全くない。

「死なんときましょうねえ」
という言葉が意識にさえ上らないのはそのせいである。

中年女たちはみな、
太陽の光さんさんと降り注ぐ下で、
けろりとして生きており、
この分なら死んでもなお「生」の側に居残りしそうな根強さ、
たくましさが感じられる。

そういう女たちばかりが群れていると、
いっそう「死」の影はささない。

男は死の影の射しやすい、生きものであるのだ。

まあ、それはともかく、
中年の人を見ると私はひそかに、
(死なんときましょうねえ)
(生きていましょうねえ)
といわずにいられないのである。






          


(了)




・以上で「死なないで」を読み終えました。
長らくおつきあいくださってありがとうございます。
心より感謝しております。

現在BSで再放送中の「芋 たこ なんきん」も、
あと少しになりました。

毎日、この朝ドラを楽しく見ていますが、
やはり、私にとっての田辺さんは、
心のよりどころになっていて、
また、昔の文庫本をひもといてゆきたいと思います。

よろしければ、
おつきあい下されば大変嬉しいです。

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