むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

18、死なないで ①

2022年08月24日 09時24分10秒 | 田辺聖子・エッセー集










・私はいま52歳であるが、
48~9のころから(死ぬ)が、
ものすごく身近になったと感じている。

私はとびきり健康(のつもり)であるが、
そんなもの、何のアテにもならないことを感じている。

そしてまた、
現代の医者も医学も決してアテにならぬことを、
漠然と感じている。

人は、
「あの時医者に診せていれば」とか、
「大病院へいっていれば」とか、
病人の死んだあとでいうことが多いが、
それはかなり、現代医学を信じているからだろう。

医学の及ばぬ領域がたくさんあるだろうから、
診せていても悪くなる人はいるし、
大病院へ行ったから、
よけい早く亡くなったということもあるに違いない。

そんなことを思うと、
「死」は日常身近に、
手に取れる近さにころがっている。

とても怖い気がする。

自分が死ぬのも怖いが、
愛する者たち、馴染んだ人たち、好きな人たちが、
死ぬのも怖い。

いちばん身近でいえば、
一緒に暮らしている夫が、ポイと死ぬ日のことを、
いつも考えている。

朝、目がさめて、自分も元気で、夫も変わらず生きている、
その幸せにおどろき、おどろくようになった自分に、
またおどろいている。

夫が死んだら。
私が死んだら。

いつも「死」を思って、
死に馴れようとするのは、
一面、考えると傲慢不遜なことで、
「死」の怖ろしさや「死別の苦しみ」は、
とても凡人の堪えられるようなものとは思えないし、
なまなかな思い上りで「死」をもてあそんでいると、
かえってそんなことを思いもしなかった人よりも、
いざというとき、ずっと苦しみ、取り乱し、
うろたえ騒ぐかもしれないと反省する。

けれども、いまの私は「死」から目が離せなくなっている。

それは今だけのことで、もっと長生きしたら、
そういうことはなくなっているかもしれないけど、
いつも「夫が死ぬ日のこと」「私が死ぬ日のこと」を、
考えている。

だから人と別れるとき、ごく自然に、

「生きていましょうねえ」
「死なんときましょうねえ」

という言葉を口に出して言ってしまう。

私は結婚したのが遅かったせいかもしれないけれど、
男が機嫌よく一緒に暮らしてくれて、
しゃべったり一緒にゴハンを食べたり、
仲良くしてくれるのを、
とてもありがたいと感謝しないではいられない。

つつがなくいる一瞬一瞬を、
とてもありがたいと思うのだが、
現実では、私もあんまりしおらしい妻ではなく、
いいかげんなところであるが。

ところで、どうして48~9のあたりから、
死が身近になったかというと、
夫の知人友人がよく斃れたことと、
そのころから、夫の同窓会に出席するようになったから、
中年男たちの人生を、
少しばかり見る機会に恵まれたからではないか。

夫はささやかな開業医で、
それも去年病気してからは、
ずっと診療所を閉鎖している状態だが、
医者の不養生というけれど、
全く、同年輩の医者の急死をよく見た。

大正末~昭和初めの中年男性が、
人生的にもいちばん苦労が多いときなのだろうが、
ゴルフへ行って帰って夕食の箸を取るなり急死した人、
一週間前に会って話したときは元気だったのに、突然、倒れた人、
それらは、近所の知り合いのお医者さんだったから、
私もショックなのだった。

私はそのころ、
「すべってころんで」や「求婚旅行」「夕ごはんたべた?」
などという長編小説を書いていたが、
テーマはいつも夫婦のむすびつきについてだった。

「夫婦は戦友だ」

と考えたり、そう書いたりしていた。

それが急死する男たちを見ているうちに、
「二人そろって仲良く生き永らえる」
という、しごく平凡な「高砂」の幸福が、
結局、夫婦の真髄のように思えてきた。

夫は鹿児島で学んだ人間だが、
そこの医学部の第一期生なのだった。

戦時中に創設された学校なので、
生徒たちは甚だ苦労をした。

校舎は転々とし、戦災に遭い、
戦後は下宿もなく、闇市のアルバイトで食いつなぎ、
一期生数十人、文字通り刻苦の末、やっと卒業した。

そのせいか同期生の結束が固くて、
毎年、きっちりと同窓会を開いている。

数年前から夫人同伴ということになった。

毎年顔を合わせるうちに、
夫人同士も知り合いになるのだった。

やはり奥さん同士も同じような年ごろで、
同級生のようなものだった。

しかもこの年代は、ふつうの年代ではなく、
もろともにバクダンの雨を浴びた世代である。






          


(次回へ)

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