「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

10、須磨 ⑨

2023年09月22日 08時40分58秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・明石の浦は、
須磨からは二里ばかり。

源氏の供の一人、良清は、
明石の入道の娘を思い出して、
手紙をやったが、返事は来なかった。

その代り、何を思ったか、
父の入道が、

「お話がございます。
お目にかかりたいのですが」

といってきた。

娘に求婚しても、
どうせ承知しないものを、
と良清は面白くなくてほっておいた。

この入道は一風変わった見識を持つ、
頑固者であった。

田舎へいくとその地の守や、
その一族を重んずるものなのに、
入道はそれらを歯牙にかけず、
驚くような高望みを持っていた。

彼は北の方にいった。

「なんと源氏の君が、
朝廷のお咎めをこうむって、
須磨の浦に、
住んでいられるというではないか。
これもご縁があるのだ。
うちの娘をさしあげよ、
という神の思し召しだろう」

北の方はあきれて、

「まあ、あなた、
とんでもございませんよ。
源氏の君などと・・・
なんでも源氏の君は、
都のうわさでは身分高い愛人を、
たくさん持っていらして、
まだその上に帝のご寵愛なさってる方と、
人目を盗んで過ちをなさったとか。
そのため須磨まで流されなすったのです。
そんな方が、
こんな田舎住まいの娘に、
お心をかけられますか?」

入道は腹を立てた。

「そなたにはわからん。
私には心に決めてあることがある。
婚礼の心づもりをしておきなさい。
機会を作ってここへ源氏の君をお迎えする」

言いだしたらきかない頑固さであった。

北の方は夫の独断ぶりに閉口した。

「だってあなた・・・
源氏の君は立派な方でしょうけれど、
なんでまた娘のはじめての結婚というのに、
罪を得て流されたような人を、
婿にしなければいけないのです。
それに艶聞の多い方だし・・・
娘にお心をとめて頂けるかどうか」

「何をいう。
あの方の亡き母君・桐壺御息所は、
私の叔父にあたる按察使大納言の姫だった。
美しく聡明な方だったから、
宮仕えに出られると、
帝のご寵愛を一身にあつめて、
他の方のそねみを買い、
心労で亡くなってしまわれた。
しかし源氏の君がそのお形見で残られたのは、
めでたいことだ。
これでみても女というものは、
結婚については高い理想を持つべきだ。
桐壺更衣がりっぱなお手本だ」

「でもいくら理想の結婚をしても、
不幸な死に方をしたのでは、
なんにもなりません。
わたくしは娘が平凡で幸福な結婚をしてくれれば、
と願っています」

北の方には母親らしい夢がある。

「ええい、何をいう。
女の運のひらけるのは結婚相手次第。
源氏の君がここに住んでいられるなんて、
千載一遇の好機なのだ。
こちらは田舎者になってしまったが、
何といっても、
あの方の縁戚には違いないのだから」

と入道は言い張った。

この娘はとびぬけた美人ではないが、
物やさしくて上品で、
そしてたしなみ深いこと、
教養があることなど、
まことに都の高貴な身分の姫たちに、
劣らないのだった。

金持ち、物持ちでこそあれ、
父は田舎の無位無官の入道、
身分の低いのを娘はよく知っていた。

彼女は怜悧で、
自尊心の高い娘だった。

自分の境遇や性格をよく知っていた。

何も知らぬ、
ただ大事に育てられた箱入り娘ではない。

無智な田舎娘ではなかった。

(父君はああいわれるけれど、
身分の高い男性が、
なんでわたくしなど顧みたりなさるだろう。
かといって身分相応の縁組をして、
教養もなく通俗な、
物のあわれも知らぬ男の妻になって、
一生送るなんて、
絶対、死んでもいやだわ。
このまま結婚もせず長生きして、
父や母におくれるようなことがあったら、
恥をかかないように尼になるか、
海に入って死んでしまおう)

などと思っていた。

父の入道は、
娘を可愛がり大切にかしずいていた。






          


(次回へ)

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