「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

10、須磨 ⑧

2023年09月21日 08時24分42秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・都では、月日の過ぎるままに、
帝をはじめ人々が、
源氏を恋しく思う所々が多かった。

源氏の同胞の親王たちや、
親しくしていた上達部など、
はじめは見舞いの文を通わすこともあった。

やがて、
情趣深い詩文が交わされ、
それが世に伝わってほめそやされた。

大后はこれを憎まれ、
きびしく仰せられる。

「勅勘を受けた人というものは、
普通人の生活をすることさえ、
許されぬはずです。
それを何ということ、
風流な家に住んで詩を作ったり、
したい放題をするではないか。
それに追従する人もいるのですね」

とご機嫌が悪かった。

人々は面倒に思い、
やがて便りをしなくなった。

そういう世の中で、
二條院の紫の君は悲しみが深まるばかり。

ただ、邸のうちの人々の心は、
今では紫の君を中心に、
かたく結束していた。

あたかも須磨で、
源氏が側近の若者たちに守られているように。

はじめ東の対に住んでいた女房たちが、
みな西の対に移って、
紫の君の人がらのやさしさ、気高さ、
思いやりの深さに、
みな感動してしまった。

「やはり、源氏の君が、
大切になさるはずだわ・・・」

と女房たちは紫の君の美しさを好もしく思い、
この北の方を守って、
源氏の帰りを待とうと、
今は暇を願い出る者はいなかった。

さて、須磨に冬が来た。

秋でさえ忍び難い物哀れを、
冬はことにすさまじかった。

雪の降り荒れたる須磨の海辺はすさまじい。

流人、という言葉のひびきが、
今さらのように重々しく感じられる。

すでに愛する者を見ないこと久しい。

雪の舞い狂う冬の海、
満目荒涼とした風景の中に身をおいて、
源氏は心まで凍っていきそうな気がする。

雪がやんで月が明るくさしこんだ。

はかない旅住まいには、
月光は奥までさしこむ。

ものみな凍るばかりの曉闇、
源氏は一人目覚めて、
わが運命、わが罪業をひそかに思い返し、
戦慄することがある。

自分でも制御できなかった、
物狂おしい邪恋。

そうして深い罪に落ちた。

ひとときの春。
つかのまの花ざかり。

源氏は若さと美と権力を手にして、
おごった。

自分を取り巻く女や、
恋のかけひきを愉しんだ。

歓楽の宴は長く続くものと思っていた。

しかし女たちの愛執は彼をめぐって渦巻き、
心は嫉妬に取り巻かれ、
女たちは命を落とし、
あるいは世を捨て、
あるいは遠く離れていった。

その上、最愛の可憐な人さえ、
放さなければならない。

わが身の卑小さを知らず、
おごりたかぶった源氏の罪である。

そしてその上に、
更に大きな罪が重石のように、
人生を圧していて、
青年を苦しめる。

それを思うと、
青年は夜々眠れない。

まだ暗い未明、
起きだして氷のごとき水をむすんで、
手を清め、口をすすぐ。

仏の前に伏して、
源氏は低く念仏を誦し続ける。

仕えている若者たちは、
源氏の姿に感動した。

彼らは心を打たれ、
都へ帰ることもなく、
源氏の側を離れず仕えていた。

しかし、
源氏にはさらに新しい運命に待たれていた。

ひたすら贖罪の生活を送ろうと、
決意している青年に、
運命は新しい恋を用意して待っていた。






          


(次回へ)

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