「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

10、浮舟 ③

2024年06月29日 08時19分57秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・大内記が参上してきた

「右大将(薫)が、
宇治へおいでになるのは、
相変わらずかね?
寺を立派に造ったと聞いているが、
一度見たいものだ」

宮が仰せられると、
大内記は口軽くよくしゃべる

「それはもう荘厳なお寺を、
造営なさいまして、
宇治へお通いになりますのは、
去年の秋ごろから、
繁々と重なったようで、
ございます
これは下々の者が噂していたので、
ございますが、
女人をひそかに隠し据えて、
いられるとのこと
ご領地の荘園の者が、
仰せで参上して奉仕しており、
京からも内密に、
必要な品々が運ばれて参りますとか
つい先ごろ、
十二月の頃でしたか、
聞いたばかりでございます」

宮は、

(嬉しいことを聞く)

とお思いになって、

「どこの誰と、
聞かなかったのかね
あそこには前から住んでいる、
尼がいて右大将はその人を時折、
見舞ってやっていると、
聞いたが」

「尼君は、
渡殿に住んでいますそうで、
その女人は今度新築された、
寝殿に女房など大勢使って、
立派な様子で暮らしております」

「面白い話だ
やっぱり常人とは、
違った性分だね
右大臣(夕霧)が、

『この人は道心が深くて、
宇治の山寺に泊ったりする』

と非難されると聞いたが、
なんで仏の道に、
人目を忍んで出歩くのか、
なるほど、
そんなわけがあったのか」

宮は薫の聖人君子のような、
仮面を引きはがしたとばかり、
面白がっていられる

(どうかしてそのひとを見たい
以前に見たひとかどうか、
確かめたいものだ
それはともかく、
どうしてそのひとが、
中の君と親しいのだろう?)

宮は中の君と浮舟の関係、
異母姉妹であること、
をまったくご存じない

それゆえ宮のお胸に、
消しても消しても消えぬ、
疑いが湧いてくる

中の君と薫が腹を合わせて、
自分をあざむき、
隠し通しているのではないか、
という嫉妬である

宮は「宇治のひと」のことばかり、
思いつめていられる

正月の宮廷行事を過ごし、
気持ちも落ち着いたころ、
実はこのあと、
司召(つかさめし)とて、
役人の任官昇進の公事があり、
人々は気を揉むのであるが、
宮は関心がおありでなく、
宇治へ忍んで出かけられる、
ことばかり思案していられる

例の大内記は、
昇進の欲があるので、
宮のお口利きを期待して、
夜昼勤めていた

宮は宮で、
その辺の事情も、
お察しになって、
もくろみがおありになる

「どんなに難しいことでも、
私の頼みは何とかしてくれるかね」

と仰せになる

大内記は謹んで承る

「例の宇治に住んでいるというひと、
前にちょっと私と、
かかわりがあったひとで、
行方知れずになっていたのが、
薫に引き取られたのじゃないか、
と思えるふしがある
はっきり確かめるすべもないので、
物陰からのぞいてみるなどして、
見定めたい
それを決して人に知られたくない
いい工夫はないだろうか」

大内記は(厄介な・・・)
と思ったが否定的なことはいわない

「おいでになりますのは、
ずいぶん険しい山越えで、
ございますが、
そんなに遠い道ではございません
夕方京をお出になりましたら、
亥か子の刻(午後九時~午前一時)
にはお着きになりましょう
そうして夜明けにお帰りに、
なられますとよろしゅうございます
人に知れぬようにとのご懸念は、
ご無用と存じます
誰知る者もございますまい
ただ、お供にまいる者たちだけで、
それも深い事情はどうして、
知りましょう」

「私も昔、
一、二度通ったことがある
しかし身分柄、
軽率な振る舞いと非難されそう
だから他に洩れぬように」

宮ご自身も、
あるまじきことと、
反省していられるのだが、
もう思いとどまることは、
お出来になれないのであった






          


(次回へ)

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