むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

2、「あかん」と「わや」

2021年12月29日 09時03分41秒 | 田辺聖子・エッセー集










・あかん、という大阪弁がある。

ダメだ、いけない、役に立たぬ、などという意味。
どこから出たかというと、「らち明かぬ」の明かぬが、
あかん、になったそうである。

大阪弁といっても、
これは近畿全部から中国、四国まで使われているといわれるが、
そうだろうか。

岡山の私の縁辺の者は、「あかん」に相当する語に、
「おえりゃあせん」とか「あくまあで」などを使う。

大阪弁で使う「あかん」はもっと軽い。

大阪弁は軽くいうところに特徴があるが、
軽くさらりと、こればかりは物々しく言おうとしても言えぬ。


・「あかん」のいちばん普通に使われる制止、禁圧、タブー、命令、
といったニュアンスの「あかん」は多少重くなるが、
その度合いは前後の言葉や表情で補わなければならぬ。

「あかんデ」など、「で」をくっつけて意味を強め、
怖い顔をしたりする。「で」をつけないとしまらないからである。

無能な奴、というのを「あかん奴ちゃなあ」と言う。
これも「ダメな奴だ」と翻訳できるが、
これでは冷酷なひびきがあり、
見限った、というニュアンスがある。

しかし、「あかん奴ちゃなあ」には見捨てられない、
このバカもん、チェッ、という親近感が含まれている。

それだけに死亡の時に医者が「もうあきまへん」
と言ったのでは似つかわしくないであろう。

やはりここは重々しく「ご臨終です」と頭を下げなければ、
ぴったりこない。「あきまへん」というのは「あかん」を、
丁寧に言った場合の語尾変化。

若い男たちが、逆用して、「そんな奴、あくかいや」などと言う。
これは本来あやまった言葉使いで、「あかん」という大阪弁はあっても、
「あく」というのはない。

バンザイ、お手上げ、
などと破産を表現する場合も「あかん」という。

合格発表を見に行った息子、
むっつりと帰ってきて自室にこもる。

お袋が「どうやったんや?」などいうと、
ドアの向こうで「アカン」とひと言。
こういう時は短い。


・「アカン」に似た大阪弁に「ワヤ」がある。
これも、あかんと同じく、ダメ、さっぱり無茶苦茶、失敗、
というような意味がある。

これは「わうやく」からきて、「わやく」になり、
ついに「ワヤ」になった。

「アカン」と「ワヤ」の差異はどこにあるかというと、
主観的発想と、客観的発想の違いではないか。

「ワテ、もうアカン・・・」と破産の人はつぶやくが、
これが「もう、ワヤですわ」というと他人事のように聞こえ、おかしい。

まだ立ち直れる余裕があることを示す。
少なくともその人は精神的に危機を脱して、
一段次元の高い所から、ワヤな状況を見下して感心している、
というおかしみがある。

「ワヤ」は名詞だが「ワヤな奴」という使い方はしない。
ワヤにされる、ワヤにする、と使う。

男の中に女がからかいやすいタイプの男がおり、
女たちがその男をからかって笑いものにする。

それを男はニヤニヤして、「ワヤにしよんなあ」
などと満更でもない顔、そんな時使う「ワヤ」が一番普遍的。


・花見に行こうというので、
一同思い思いの趣向をこらして待ちかねたその日、
雨が降ってお流れ、「さっぱりワヤや」と使う。

ワヤ、というのは本来整っているべきものが、
はからずも支離滅裂になっている、という意味があるのだから、
「儲かりまっか」「ワヤですわ」という会話は本来ないのである。

アカン、は今でも生きていて、誰でも使うが、
ワヤ、はそろそろ老語(死語ではない)になりつつある。

若い娘や青年が「ワヤや」と言うのを聞かなくなった。
「ワヤやな」と我が身の苦境を観察し、その混乱状態を感心する、
そういう大阪人独特の一拍あいだを置いたゆとり、おかしみを、
今の若者は失ったのではなかろうか。

そのせいで、
「ワヤやな」という言葉が消滅しつつあるのではないかと思う。






          





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