むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「26」 ③

2024年12月31日 09時28分05秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・主上ご一家の、
しめやかにも楽しい語らいは、
尽きぬようであったが、
どことなくそれも、
人目を忍んで、
というような気配が、
ほの見える気がする

私の思いすごしかもしれないが、
さながら後宮の女あるじは、
いまや彰子女御で、
そのお方の里下りなすった留守に、
気がねしつつ語らいあって、
いられるような、
お客に来たような気がする

新内裏の後宮は、
彰子女御のもたらされた匂いが、
濃く残っていて、
女御のいられた藤壺にばかり、
人々の視線はそそがれていた

その夜、
久方ぶりの、
主上と中宮のお語らいが、
どんなにこまやかであったか、
私は拝察するすべもないが、
女房たちの局には、
緊張した重苦しい気分が澱んでいた

夕方から早速、
経房の君や頭の弁・行成卿やら、
いろいろの方が訪れて下さったが、
人々のお話によれば、
彰子女御が中宮になられるという、
内命はすでに下りており、
吉日を卜して、
近日中には公式な宣命が、
あるはずだという

女御が里下りしていられるのも、
やがて立后の宣命を頂き、
それにふさわしい格式をととのえて、
入内されるべく準備されているため、
ということだった

経房の君のいわれる通りである

定子中宮は、
皇后という位に代わられるが、
噂では、
皇后宮大夫も権大夫も、
まだ決まってないよし、
それに比べ中宮彰子のほうでは、
中宮大夫は時中大納言、
権大夫は斉信参議、
錚錚たる人材をそろえ、
なおまだ自薦他薦の人々が、
任官されようと、
ひしめいているそうな

「お一人の主上に、
お后の宮がお二方とは、
聞いたこともありません」

と中納言の君は沈痛にいう

「あんまりななされかたですわ、
許されていいものでしょうか」

若い小弁の君や、
小兵衛の君は涙声でいう

「主上や女院が、
お許し遊ばしたのでしょうか、
よもや・・・」

「お許しがあればこそ、
宣命が下りるのでしょうよ」

とにがにがしくいうのは、
右衛門の君

「主上や女院のお噂を、
申しあげてはなりません
女御の君はいられなても、
ここは新内裏
どこにどんな人の耳があるか、
わかりません」

中納言の君は小声でいい、
おびえたように、
局の外の闇に、
視線をさまよわせる

几帳の裾や御簾のかげに、
心を置きつつ、
人々はささやき交わす

「先の帝(円融)の皇后・遵子の宮を、
皇太后に、
ただいまの中宮・定子の君を、
皇后に、
そして中宮に彰子女御をお進めする、
という形でございますそうな」

「女院も遵子皇后も定子中宮も、
みなご出家して尼になられた身、
尼君では藤原氏の氏神の、
お祭りが出来ぬ、
氏神、大原野の祭りは、
もともと藤原氏出身のお后が、
行うべきもの、
どうしてもここはお一人、
后を立てねばということで、
それが名目でありますそうな」

「うまいところを、
思いつかれたのは、
行成の君とか」

「行成は左大臣どのの手先、
と申してよい」

「左大臣どのは、
行成の君にとても感謝なすって、
末代まで一門の恩人だ、
とおっしゃったんですって」

また一隅から、
怒りを必死におしかくした、
声があがる

「中宮さまを尼君だなんて、
失礼じゃありませんか、
尼君が若宮をお生みできて?」

「左大臣どの一派は、
あのとき中宮さまが出家なすった、
と主張してそのあとの、
ご還俗をお認めにならないのです」

「いいえ、いいえ、
中宮さまはもともと、
ご出家なんて、
なさっていられませんよ
もしお髪をおろしていられたら、
なんで主上が内裏へお入れ、
遊ばすものですか」

やがてそれは、

「行成の君が悪い」

「みんなで寄ってたかって、
かよわい中宮さまをいじめて」

「こういう時にこそ、
兄君、帥の大臣(伊周)や、
弟君、隆家の君に、
お力になって頂きたいところなのに、
帥どのは若宮が東宮にたたれるように、
長い将来をたのんで、
ご祈祷三昧だし・・・」

「隆家さまは、
ご身分がもとへ戻っていられず・・・」

ことに最後は、

「故殿(父君、道隆大臣)がいらしたら」

というのは、
中宮の乳母・大輔の命婦の口ぐせである

私はこの乳母の君が、
あまり好きではない

この人、
中宮の母君、貴子の上の妹、
つまり中宮には叔母君に、
当るのだが、
乳母としてお仕えしているものの、
夫や子供の世話が忙しく、
かなりの精力を、
そちらに割いている

かんじんな時にいないで、
そして出てくるのは、
みんなが泣き声や、
悲しみの涙をこぼしているときだけ、


「世が世なら・・・」

「故殿がいらっしゃれば」

というときだけ、
大きな声で同調して、
泣き声をたてる

私のもっともきらいな型

私は何がきらいたって、
「世が世なら」
とうしろを向くことは大嫌い

中宮のお心に、
もっとも遠いことだと思う

中宮が一度でも、

「世が世なら・・・
亡き父君がいらしたら・・・」

などと仰せられたろうか

また頭の弁・行成の君も、
中宮の局の女房たちから、
怨嗟のまととなってしまった

私だって、
その情報を聞いたときは、
衝撃がなかったといえば、
うそになる

しかし考えてみれば、
左大臣の姫を中宮にと、
委託され、
相談をもちかけられたとき、
公職にある行成の君に、
それを断るすべもなく、
また彼自身、
中宮・定子の君のため、
反対するいわれもないのだ

男社会は、
いろんな要素で成り立っている






          


(次回へ)

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