・三年前の長徳二年の暮れ、
姫宮がご誕生日なったときは、
人々はひそかに、
(姫宮でよかった、
こんなときに男御子が、
お生まれになっていらしたら、
また紛糾の種だったろう)
と言い合った
あの年は悪いこと続きで、
兄君、伊周の君らは、
流されなされるし、
二条のお邸は火事に遭う、
母君の貴子の上は亡くなられる、
という大厄年の年であった
ひっそりと生まれられたのが、
姫君でむしろよかったと思う
しかし今は、
とりたてての障害もないのだ
それにあの頃は、
中宮の祖父君、二位殿が、
まだご在世でしきりに、
今度は男御子をお産みになるよう、
そそのかしていられ、
何もかもすべて政治的な思惑に、
まぶされていくのが、
煩わしかった
その二位殿もいまは亡い
見方を変えれば、
前の関白、父君の道隆の君が、
ご在世のころに、
この皇子が生まれていらしたら、
ろ思う人があるかもしれないが、
私にしてみれば、
そのことはもう願うべくもないことで、
それよりも、
主上のお喜びを思いやるほうが、
たのしかった
主上のお文は、
公のもののほかに、
忍んで来たが、
そこにはどんなおやさしい、
お言葉が連ねてあったことやら
私も棟世に宛てて、
この様子を知らせてやる
むろん生昌のことなども、
諧謔をこめて描写する
折り返してきた棟世の手紙には、
「たのしい便りをありがとう
目に見えるようだった、
生昌のたたずまいがね
いつかもいったろう
生昌は根は悪気のある男じゃない
それどころか、
このご時世に、
誰も引き受け手のない、
中宮のお世話をするなんて、
ほかの人間にゃ出来ないことだと、
心得てやりなさい
中宮の御荘園の御封も、
ややもすれば途絶えがちという噂、
実際、人間というやつは、
羽振りがちょっとでもよい方へ、
なびくものでね、
そういう中で、
中宮をお引き受けする、
ということは大変なことだ
鈍いだけじゃできない
それにしても、
あなたの手紙、
そのまま『春はあけぼの草子』に、
入れればよい
とりのけておくよ
そちらでも続きを書いていますか」
などとあった
皇子ご誕生の気ぜわしさ、
誇らしさ、
うれしさを私は筆にする、
ひまもなかった
その喜びの中へ、
自身どっぷりつかってしまっていた
中宮の夜居の僧には、
弟君の隆円僧都が、
ずっと詰めていられる
ほかの公卿たちが、
参集しないかわり、
ご一家、ご一族が、
ひしと中宮を守っていられる
その中にあって、
私もよそごとのように、
してはいられないのであった
「春はあけぼの草子」も、
いまは手つかずで、
中宮に頂いた紙も、
手箱に入れたままである
しかしいずれは、
この日の慶びを書きとどめる、
ことになろう
私は、
弁のおもとがいっていたように、
「喜ばしいこと、
明るいこと、
たのしいことだけを書く」
つもりなのだから
中宮はお肥立ちもよく、
新皇子もお元気に、
日々ご成長になる
ふっくらと肥えられて、
東三条女院のお使いの古女房などは、
「おお、
今上のお稚児でいらしたころに、
よう似ておいであそばす・・・」
などというのであった
主上は、
前の姫宮のときにもまして、
新皇子に早く会いたいと、
切望していられるようだ
しかし彰子姫が入内されたばかり、
中宮は、
「いそがなくてもよろしい」
と制していられる
中宮は彰子姫と同時に、
内裏住みなさるのを、
避けようとしていられるのかも、
しれなかった
お二方の宮の母君となられた、
中宮は年明けて長保二年(1000年)、
二十五になられる
年々歳々におとなの女の、
美しさを備えられて、
まして今はお二方の宮を相手に、
満ち足りていられるせいか、
見なれている私でも、
まぶしいくらいお美しい
中宮のお美しさを、
わがことのように誇りにし、
一の宮のおすこやかな、
お育ちを嬉しく思う
内裏の藤壺の彰子女御はいま、
世間の耳目をあつめている、
といってよかった
贅美をこらしたお支度で、
入内されたのだから、
世人はそれを、
「輝く藤壺」
と形容しているそうな
何しろ主上でさえ、
彰子姫の御殿へ、
渡らせられると次から次と、
珍しいもの、
美事なもののお目を奪われなすって、
「あんまりすばらしいものばかりで、
興に入って、
政治も忘れる愚か者になりそうだ」
と嘆息されるほどだとか
といってもこの主上、
お年のわりに名君のきこえ高く、
大臣や公卿から尊敬を、
捧げられているかただから、
決して、
政治を忘れる愚か者、
ではいらっしゃらない
主上をそうまで、
感嘆させ申したお支度といえば、
単に金をかけた、
というだけのものでは、
ないようである
例の四尺屏風もそうであるが、
唐わたりの古書、
名筆、
おびただしい蔵書や、
この日にそなえて、
蒐集された名画などにも、
お心を動かされた、
という噂だった
その藤壺自体が、
お部屋の飾りつけなど、
玉を磨いたようだという
几帳、屏風の縁木まで、
みな蒔絵、螺鈿が施してあり、
姫君はじめ女房たちの衣装の美麗は、
「古今未曾有」といわれる
御調度品はみな、
一流の美術工芸品である上に、
何よりの美術品は、
彰子女御その人でいらっしゃるとも
何しろ、
今まではお年上の女御、
おとなの女君たちに、
かこまれていらした、
主上にしてみれば、
はじめて八つも年下の姫君が、
参られて、
「まるでひいな遊びのような」
と可憐に思われたとか
(了)