むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「26」 ①

2024年12月29日 08時50分38秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・これも経房の君の、
もたらしてくれた話によると、
藤壺へ渡られた主上が、
お笛を吹いていられた

主上はお笛に堪能でいられる

ご容貌の清らかなお美しい主上が、
端正に吹きすまされるお姿、
私どももしみじみ、
打たされたことがあるが、
主上がお笛を鳴らされるあいだ、
彰子姫はよそ見をしていられた

「こっちをごらんなさい」

と主上がいわれると、
姫はさかしく、

「笛は音を聞くもので、
ございましょう、
見るものではございますまい」

といわれるさまの可愛らしさに、

「これは負けました
まあそう、
七十の爺さんに恥をかかせないで、
くださいよ」

と主上は笑われて、
一座はめでたい気分に、
さざめいたよし、
姫は稚くいらっしゃるようだが、

「どうして、中々、
打てばひびく才気もおありでね、
しかし、
それをあからさまに、
出したりなさらぬ、
おっとりと躾けられているらしい
そういえば、
この話が世間に洩れて、
さっそく、あの物語書きの、
為時の娘が『若紫』という題の、
みじかい小説を書いたようですよ」

と経房の君はいわれる

「為時の娘って、
あの宣考と結婚した、
あの女ですか?」

「そうです
もう子供が出来たとか
結婚しても物を書くのは、
やめないらしく、
その中のいくつかを、
夫の宣考が自分の妻たちに見せ、
夫婦げんかのタネになった、
などと宣考がのろけ半分に、
言ってましたっけ」

「それで、
『若紫』という小説には、
主上と彰子姫が、
出てくるのですか?」

「いやいや、もちろん、
あからさまに擬せられている、
というのではありませんよ、
しかし物語では、
十と十八の少女と青年に、
なっていて
青年は少女に、
ほのかな愛をおぼえて、
手もとへ引き取り、
その成長をたのしみに待って、
ゆくゆくは妻とする、
というほほえましい物語です
いま、彰子姫も、
形ばかりの結婚でしょう、
主上のお気持ちは『若紫』
というところで、
気長に姫の成長を、
お待ちなのではないでしょうか
それやこれやで、
彰子姫の人気も手伝って、
その物語は人に好んで、
読まれているようですよ」

「その人は、
やがて彰子姫のところへ、
宮仕えなさるおつもりなのかしら」

「それはわかりませんが、
宣考は左大臣方と、
近しい仲ですからね」

経房の君は、
文学青年なので、
その「若紫」に、
興味があるらしかった

しかし、
その本は中々手に入らないという

「手に入らなければ、
ご自分でお作りになれば?」

私がいったら、

「こともなげにいわれる
好きということと、
創造するということは、
ちがいますよ、
あなたならともかく」

しかし私も、
めんどうくさい物語の、
たぐいなど書くのは好きではない

一場面の描写など、
心のままに筆を走らせるのは、
好きだけれど、
長々と物語の主人公につき合うのは、
不得手であった

その彰子姫は、
二月にはじめて里下りを、
なさったらしい

まだ入内されて三月で、
主上は淋しく思われたようだ

里下りといっても、
一日二日のことではなく、
まだお年若なお身には、
内裏生活は緊張することが多く、
お疲れであろうというので、
何十日、二、三ヶ月の、
お里下りである

左大臣、道長の君の、
土御門のお邸は、
美事に修理されているそうな

二月十日に彰子姫は、
お退りになるということで、
主上は入れ代わりに、
中宮入内をすすめられる

左大臣どのに気がねされて、
いい出すことを憚っていられたが、
東三条女院のおすすめもあり、
意外にも左大臣どのは快く、

「私の唐車をおまわし、
いたしましょう
お迎えに上がらせますゆえ、
宮も姫宮ももろとも、
それにご同車されたほうが、
お気軽でしょう」

といわれたそうである

左大臣が案外に、
中宮や宮さまがたを、
厚くもてなすさまを見せたのも道理、
彰子姫を中宮にする計画が、
練られていたのだ

去年の内裏炎上からこっち、
主上は一条院に遷御されている

(あの火災がなければ、
中宮はもっと長く、
主上と水入らずのご生活を、
楽しまれたはずなのに・・・
中宮はやがてご懐妊、
三条の生昌邸に、
主上は一条院に、
別れ別れになられた)

この一条院を、
いまは新内裏と人々はいう

このお邸は、
豪壮な名邸で、
かの一条の太政大臣、
為光の殿の遺産である

それをただいまの左大臣、
道長の君が買いとられて、
主上の母君の東三条女院が、
お住まいになっていた

内裏炎上のため、
ここを当分の新内裏とされたので、
女院はまたもや、
土御門へ移られている

その新内裏へ、
中宮はお入りになった

左大臣どのが、
唐車をさし廻され、
姫宮も若宮もご同車、
というお手軽なご入内であった

本来ならば、
今上の第一皇子が、
お生まれになったのだから、
美々しい行列にいかめしい供ぞろえ、
さてまた中宮は、
御輿をお召しにならねばならぬ

かの積善寺供養のときの、
威儀を私は忘れることは、
できない

しかしいまは、
そのかみの威勢は、
もはや思い描きようもない

それを中納言の君などが、
嘆くと、私はわざと明るく、

「主上が若宮を、
ご覧にんりましたら、
どんなにまあ、
お可愛く思し召すことでしょう
姫宮もおん年五つ、
お可愛いさかりですもの
内裏が花が咲いたように、
おなりですわ」

というのだ

私は心の中で、
中宮のご運命のつたなさを、
嘆いてもそれを口に出すのは、
いやだ

また文字を書くのもいやだ

言霊、文字魂を、
信ずるせいもあるけれど、
運命は、
暗い方へ顔を向けたりすると、
よけい暗くなる気がする

それに、
かつての栄光を、
忘れることはできないものの、
それを上回ってなおあまりある、
未来への希望が、
私の心を大きく占めている






          


(次回へ)

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