
・山々は黒に近い濃い緑でおおわれている。
遠く天空から見ると、
いかにも自然のめぐみ豊かな緑に見えたが、
近まで見る山は、
ねじまがって何の役にも立たないような灌木が、
山肌にしがみつくように生えており、
それがびっしりと葉を茂らせているだけのこと。
果物のなる木や、
金目になりそうなものは山に生えていなかった。
奄美の樹木の中では、
芭蕉は美しいものだが、
それも道路わきには見えない。
不毛な緑ばかりである。
あの内地で見る山の、
たとえば杉の美林でおおわれた、
山の美しさ豊かさは感じられなく、
もの悲しく、貧し気な表情をしていた。
しかしそれも私にはなつかしかった。
私は奄美が好きになっていたので、
気候のうっとうしさ、
山々の緑の暗鬱な濃さも好もしかった。
「うわ!暑いですなあ。
えらいところへ来ましたなあ」
と関口青年はがっかりしたように言った。
彼は大阪育ちなので、
アクセントは大阪風である。
「やけにむしむしする。
いやな気候ですねえ。
第一印象は悪いなあ、
いつもこんなのですか?」
「いまにここのよさがわかります」
彼はタクシーを物色し、
トランクを開けさせ、荷物を積み込んだ。
私たちは乗り込んだ。
メシはどこで食うかと彼はさわぎ立てた。
彼は空腹になるとうるさい男である。
「村へ着いてから食べたらいいわ」
「それでは三時ごろになります!
さっきの食堂でパンを食べるか、
途中の名瀬の町で何か食べましょう」
「村へ行けば、
とびきり美味しい奄美の田舎料理が待っていますよ。
名瀬の食堂でカレーなどをかきこむなんて、
感心せえへんわ。
叔母さんが山ほどご馳走作ってますとも」
「何時間先のご馳走より、
いまのラーメンの方がいいけどな」
「まあ、辛抱しなさい、
叔母さんの手料理食べたら、
がまんしてよかったと思うから」
叔母というのは、
私の夫(カモカのおっちゃん)の叔母である。
夫の亡父母は奄美の出身で、
叔母は母の妹に当り、
いま生まれ故郷の村へ帰って一人暮らしている。
若いときから独りで関西で働いていた。
一時、私たちの家にも身を寄せていたので、
私とは親しかった。
私は叔母の、正直で陽気で親切な気性が大好きである。
更に、勤勉実直という明治生まれらしい気風も好きである。
叔母の村は、奄美大島の最南端にある。
島内の内陸部はけわしい山が多くて、
バスだけが足のたよりである。
「ところで、村の取材は何々ですか、
会われる人の手配とかはついているんでしょうか」
「いえ、それはいいの」
「調べるものとか、見るところとか」
私はそんな確固たる方針で取材したことはなかった。
「ただ、ぶらっとまわればいいの」
「小説のどこかに奄美がでてきますか」
「出ないかもしれない」
関口君はしばし黙り、
新聞社の代弁をする如く、
「しかし、奄美という字くらいは、
どこかに入れといて下さい、
せっかく取材に来たのですから。
頼りないこと、いわないで下さい」
「気分しだいだから、よくわからない。
でも、何か、つかみたいの」
関口君は私の言葉を考えている風だったが、
「僕、正直いうて、
浜辺さんの小説、あまり好きやないんです」
こんなとき、おやまあ!とでもいうのかしら?
「どうして?」
「好いた、惚れたというのは好かんのです。
SF小説が面白い」
「でしょうね」
「それから企業小説とか内幕ものとか、
戦争ものも読みます」
「結構ですね」
といわなければしかたない。
「数字とか、きちんとしたデータのあがっている小説、
現実にモデルのある小説は面白いですなあ」
「ハハア」
私は頭をたれて反省した。
「若い女や男が出てきて、
歯の浮いたようなことをいう小説は、
読んでて尻こそばゆいんです。
いっそセリフなしでポルノ小説の方がマシです。
浜辺さんはどっちつかずで困ります。
あんまり、本は売れんでしょう?
そのはずです」
私はもしかしたらこの青年は、
私の意気を阻喪させるべく、
商売仇の新聞社に買収されているのではないか、
と思った。



(次回へ)