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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

1、移転通知 ③

2022年10月15日 08時33分15秒 | 「浜辺先生町を行く」  田辺聖子作










・山々は黒に近い濃い緑でおおわれている。

遠く天空から見ると、
いかにも自然のめぐみ豊かな緑に見えたが、
近まで見る山は、
ねじまがって何の役にも立たないような灌木が、
山肌にしがみつくように生えており、
それがびっしりと葉を茂らせているだけのこと。

果物のなる木や、
金目になりそうなものは山に生えていなかった。

奄美の樹木の中では、
芭蕉は美しいものだが、
それも道路わきには見えない。

不毛な緑ばかりである。

あの内地で見る山の、
たとえば杉の美林でおおわれた、
山の美しさ豊かさは感じられなく、
もの悲しく、貧し気な表情をしていた。

しかしそれも私にはなつかしかった。

私は奄美が好きになっていたので、
気候のうっとうしさ、
山々の緑の暗鬱な濃さも好もしかった。

「うわ!暑いですなあ。
えらいところへ来ましたなあ」

と関口青年はがっかりしたように言った。

彼は大阪育ちなので、
アクセントは大阪風である。

「やけにむしむしする。
いやな気候ですねえ。
第一印象は悪いなあ、
いつもこんなのですか?」

「いまにここのよさがわかります」

彼はタクシーを物色し、
トランクを開けさせ、荷物を積み込んだ。

私たちは乗り込んだ。

メシはどこで食うかと彼はさわぎ立てた。
彼は空腹になるとうるさい男である。

「村へ着いてから食べたらいいわ」

「それでは三時ごろになります!
さっきの食堂でパンを食べるか、
途中の名瀬の町で何か食べましょう」

「村へ行けば、
とびきり美味しい奄美の田舎料理が待っていますよ。
名瀬の食堂でカレーなどをかきこむなんて、
感心せえへんわ。
叔母さんが山ほどご馳走作ってますとも」

「何時間先のご馳走より、
いまのラーメンの方がいいけどな」

「まあ、辛抱しなさい、
叔母さんの手料理食べたら、
がまんしてよかったと思うから」

叔母というのは、
私の夫(カモカのおっちゃん)の叔母である。

夫の亡父母は奄美の出身で、
叔母は母の妹に当り、
いま生まれ故郷の村へ帰って一人暮らしている。

若いときから独りで関西で働いていた。

一時、私たちの家にも身を寄せていたので、
私とは親しかった。

私は叔母の、正直で陽気で親切な気性が大好きである。
更に、勤勉実直という明治生まれらしい気風も好きである。

叔母の村は、奄美大島の最南端にある。

島内の内陸部はけわしい山が多くて、
バスだけが足のたよりである。

「ところで、村の取材は何々ですか、
会われる人の手配とかはついているんでしょうか」

「いえ、それはいいの」

「調べるものとか、見るところとか」

私はそんな確固たる方針で取材したことはなかった。

「ただ、ぶらっとまわればいいの」

「小説のどこかに奄美がでてきますか」

「出ないかもしれない」

関口君はしばし黙り、
新聞社の代弁をする如く、

「しかし、奄美という字くらいは、
どこかに入れといて下さい、
せっかく取材に来たのですから。
頼りないこと、いわないで下さい」

「気分しだいだから、よくわからない。
でも、何か、つかみたいの」

関口君は私の言葉を考えている風だったが、

「僕、正直いうて、
浜辺さんの小説、あまり好きやないんです」

こんなとき、おやまあ!とでもいうのかしら?

「どうして?」

「好いた、惚れたというのは好かんのです。
SF小説が面白い」

「でしょうね」

「それから企業小説とか内幕ものとか、
戦争ものも読みます」

「結構ですね」

といわなければしかたない。

「数字とか、きちんとしたデータのあがっている小説、
現実にモデルのある小説は面白いですなあ」

「ハハア」

私は頭をたれて反省した。

「若い女や男が出てきて、
歯の浮いたようなことをいう小説は、
読んでて尻こそばゆいんです。
いっそセリフなしでポルノ小説の方がマシです。
浜辺さんはどっちつかずで困ります。
あんまり、本は売れんでしょう?
そのはずです」

私はもしかしたらこの青年は、
私の意気を阻喪させるべく、
商売仇の新聞社に買収されているのではないか、
と思った。






          

(次回へ)

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