むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

10、山抜けて山河あり ③

2022年12月22日 15時30分25秒 | 「浜辺先生町を行く」  田辺聖子作










・村の中を流れる揖保川は、
なだれ落ちた土砂のため堰き止められたダムになり、
対岸の家々をあっという間に流し、
川の流れが変ってしまった。

千ミリの豪雨で増水して、
手がつけられないそうである。

ただ、十四日の朝刊によると、
住民の奇蹟的な脱出が成功して、
一人の犠牲者も出ていないという。

せめてものなぐさめである。

秋月さんたちは、
少なくとも、命だけは助かったらしい。

「よかった。
一人でも誰か、知った人が亡くなってたら、
もう、あそこの村、よういかんわ」

と私はいったが、
はじめの生き埋めの三人は、
やっぱり行方不明らしかった。

新聞に、無惨に倒壊埋没した、
下三方(しもみかた)小学校の写真が出ている。

山肌は白っぽくえぐりとられ、
山裾の村や往還はただ何もなく、
ごろごろ倒れた巨木と土砂の野原である。

小学校はかわいらしい真っ白い三階建ての、
鉄筋コンクリートの建物であった。

私は何年か前、
小学校の図書室に児童名作全集を贈り、
校庭に山茶花を植えにいって、
あかるい校舎を見てまわり、
秋月さんの愛くるしい女の子が、
授業を受けているのをのぞいたり、
したことがある。

それはいま、
波のようにうねり、
苦し気にもがいたさまで、
土砂に埋もれ、正面の壁に取り付けられた時計は、
「九時四十分」をさして停まっている。

記事によれば、山津波のあと、
住民は北の下三方の中学へ避難する者、
対岸へ避難する者、さまざまで、
小字ごとに確認が急がれたが、
風雨がはげしくて、連絡が取れず、
仕事ははかどらない。

誰と誰が助かったのか、
犠牲者が出たのか出ないのか、
状況が確かめられなかったが、
やっと、山崩れから五時間もたって、
生き埋め三人のほかは、全員無事、
ということがわかった、という。

記事の中に、

「『秋月さんはどこへ行ったんやろ』
『世良さんの家はどうなった』などと、
地元の人たちと消防団が協力して確認し合った」

というくだりがあり、
私は思わないところで、友人の名をみつけた。

秋月さんは、たいそう、頼もしい存在であるから、
こういう危急の場合、人々が頼りにするにまちがいなく、
一ばん人々に連呼され、さがし求められたのは、
秋月さんにちがいない。

私にはそのさまが目に見えるようであった。

あっという間の山崩れなのに、
それでも年より子供に至るまで、
二百人もの人間が逃げ延びたというのは、
陰にきっと、
はしっこい秋月さんの指揮があったに違いない、
と思われた。

土砂は六百メートル流れ、
高さ百五十メートルの山が三分の一削られて、
土砂を押し流し、水深四メートルの揖保川を埋め、
川の流れをねじまげている。

道路は寸断され、奥の部落は孤立状態である。

自衛隊は徹夜で復旧作業をし、
ヘリコプターが救援物資を投下しているということだ。

十四日になって、やっと、
山崎のスタンドへ電話がかかった。

その店にいる人は、

「お宅の別荘は大丈夫です。
渓谷へ入る道は何ともありません」

といってくれた。

私は、私の小屋のことなど、
もう考えにも入れてなかった。

こんなにえげつない「運命」の悪意を、
思い知らされたあとは、「運命」の奴が、

「へへへへ。
別荘は助けてあげましたぜ。
これも意外やったやろ」

といっているようで、けったくそ悪い。

むしろ私は、私の小屋が助かったことを、
村の人のために喜んだ。

「あそこの家にあるもの、
お蒲団も食器も、電気製品も、
み~んな取り出してみなさんで分けて使って下さい。
何でも使って下さい」

といっておいた。

店の人は、大回りして山越えで、
明日は行ってみるという。

自衛隊が警戒して通してくれないが、
元気ではいるらしい、ということだった。

私は、福知の村の災害に、
何か私が責任あるような気がして、
ショックを受けている。

私と運命の一騎打ちに敗れたために、
こんなことになったのだ、という気がしている。

私の力及ばなかったために申し訳ない。

夫はそんな私を見て、

「ええかげんにせえ!
前からおかしい、おかしい、思うてたけど、
やっぱりどっか、おかしいのんと違うか」

とバカにした如く、いう。

あんまりそんなことばかり考えてたせいか、
福知へ行く夢を見てしまった。






          


(次回へ)

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