むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

5、おしゃれ ⑤

2022年07月05日 08時36分49秒 | 田辺聖子・エッセー集










・さて、女が陽気な服によって、
気分を陽気に引き立てたときは、
男たちが「お、きれいだね」と素直にほめたり、
お世辞をいったりしなければ輝きは増さない。

日本の男はといっても、
私は外国男をを知らないけれど、
とりわけ嫉妬心が強いのか、
妻に対して、

「目立つ服装をするな」
「母親ということを忘れるな」
「控えめにしろ」
「二十五すぎたらオバンだ。
オバンは出しゃばった服を着るな」

などという夫が多いらしい。

そして自分はほかの女に気を引かれて、

「会社の女の子はいつも新鮮に見えるのに、
なんでうちの女房は身なりをかまわないんだ」

と文句をいったりするのだから、
支離滅裂もいいところである。

陽気な服を着て、
男にほめてもらう、
それでいつも緊張感を持つ、
というのがおしゃれの要諦みたいな気がする。

このごろ「女は家庭に帰れ」論が、
またぶりかえしてきているが、
服ですら個性的になっているものを、
人生が個別にちがうのは当然である。

家庭にいて夫と子供の世話をして、
緊張感と生きがいを感じている女は、
それはそれで美しいし、
外で働いて、

「お、きれいだね」
「有能だね」

といってもらって緊張する女もいい。

女はみな家事育児の熟練者であらねばならぬ必要はなく、
みな、社会で働かねばならぬこともない。

女の生きたいように自由に門戸を開放してもらえれば、
いちばんいい。

そして毎日がたのしくイキイキしている人は、
おしゃれと表情がぴったりマッチし、
ベストドレッサーとよばれるのであろう。

そうなると、
「なんだ、あの服は」とワーストドレッサーの、
代表選手のように指さされていた悪評を、
かえってねじ伏せてしまう。

それがあるがために、
むしろその人らしいおしゃれ、
と思われるようになるだろう。

奇想天外なおしゃれ、
というのに私は興味があるが、
それは結局、その社会の生命力、
人間の大きさの問題で、それからいえば、
ニューヨークは住みやすそうな町だった。

実にピンからキリまでの服装の人々が歩いており、
それぞれが自分の身なりをたのしんで、
他人のそれに目くじらたてる気配はなかった。

日本のように、
一律のファッション、
一律のブランド志向のある国では、
所詮、人間の生き方も一律になってしまうのかもしれない。

女はもっと奔放大胆に生きて、
ちょうどいいかげんである。

当今の男どもの、
「女の天性・特権は家事育児にこそある」
というホラを蹴とばすくらいで、
ファッションも人生も男と均衡がとれる。






          


(了)

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