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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

30、若菜(上) ㉓

2024年02月13日 09時06分56秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・女御のそばを離れて、
源氏と明石の上だけの、
大人の会話になった。

「あなたが情理知りのお方で、
よかった。
紫の上とむつまじくして、
女御の後見を一つ心でしてください」

「仰せまでもなく、
紫の上がよくして下さいますので、
ありがたいことに思っております。
たいそうお気を遣って下さって、
わたくし、まぶしいほどです。
至らぬところは庇っていただいて、
何とか過ごしております」

明石の上はつつましくいった。

「あなたに気を遣っては、
いないだろう。
女御の君に始終、
ついていられぬのが心配で、
あなたに任せているのだろう。
それもまた、
あなたが親顔して、
出しゃばったりしないのが、
目安い。
物のわからぬ人間は、
こういうとき、
権勢をふるって取り仕切ったりし、
まわりが迷惑する。
あなたはよく出来た方だから、
何を任せても安心していられる」

源氏は素直に感謝した。

明石の上は、
今までへりくだって進退に、
気を遣ってきてよかった、
と思った。

源氏は、
決して人の目の前で、
ほめたりけなしたり、
する男ではなかった。

どんなに気に入らぬことがあっても、
胸一つにたたんで、
決して非難したり叱ったりしない。

ほめるのも間接的である。

それだけに、
はじめて明石の上を、
あからさまに褒めたのは、
長い人生を共に歩んだ、
彼女への信頼といたわりであろう。

源氏は紫の上の居間へ帰った。

その後ろ姿を見送って、
明石の上は、

(紫の上は、
いよいよご寵愛が、
深まさってゆくようだわ。
・・・それに比べて、
女三の宮の方は、
ちっともご愛情を、
お持ちになっていない)

と思った。

人妻になりながら、
源氏に愛されること薄き、
女三の宮に、それゆえにこそ、
心焦がして思いを寄せる男がいる。

柏木衛門督である。

源氏の親友、太政大臣の長男で、
源氏の息子、夕霧の正妻、雲井雁の兄君。

女三の宮に、
ひそかに関心を持っている男は、
柏木だけではない。

夕霧もそうなのだ。

朱雀院(源氏の異腹の兄君)が、
夕霧を三の宮の婿にと、
一度は擬せられたことを、
知っているだけに、
間近いところに住んでいると、
心さわぐ。

用事にかこつけて、
宮のお部屋あたりへ行き馴れて、
おのずと御殿の雰囲気がわかった。

父、源氏は宮を、
きわめて立派に敬意を払って、
扱っているが、当の宮は、
子供っぽくいらして、
重々しいところはおありにならない。

お付きの女房なども、
経験深い年配者はいなく、
若い派手やかな遊び好きの、
美人の女房が宮にお仕えしている。

こんなところにいれば、
落ち着いた人でも、
軽々しい遊び好きに、
感化されてしまうであろう。

源氏はそれを不快に思うが、
若いときのように、
好みの風に染めようという気は、
なくなっている。

(まあ、あれでよかろう)

と広い心で認めてやり、
咎めたりしない。

自由にさせてやっている。

夕霧はそのへんの事情を、
知っている。

(なるほど、
身分高く、
人々に重んじられている、
皇女さまでも、
物足らぬ点はあるらしい。
すべてに於いて完全という、
女人はいないものらしい。
それから思えば、
やはり紫の上は見上げた方だ。
あの方こそ、
一点、非のうちどころがおありでない)

いつぞやの野分の日、
かいま見た紫の上の面影が、
忘れられない。

あの貴婦人は、
長の年月、
源氏の北の方として、
君臨しながら、
奥深く物静かに籠って、
人目にも立たず、
口の端にのぼる噂も立てられない。

しずやかに落ち着き、
他の女人を見下げたりせず、
それでいて自分も誇りたかく、
身を持している。

(あの方に比べれば、
雲井雁は・・・)

と夕霧は思わず、
わが愛妻を考えてしまう。

結婚してわがもの、
となってみると、
雲井雁への安らぎや情愛も、
深まるものの、
その一方で物足らぬ点も出て来る。

夕霧としては、
父の邸にあまた集められた、
佳人麗姫たちの趣に、
目移りする。

中でも女三の宮に、
夕霧の関心は高い。

重々しい身分にふさわしく、
父、源氏は鄭重に扱っているが、
それはうわべだけで、
愛情は持っていないらしくみえる。

なぜだろう?

宮はいかに充たされない思いを、
抱いて毎日を、
送っていられるだろうか。

夕霧はそんなことを思い、
もしやかいま見られる折も、
あるであろうかと、
宮の御殿のあたりを歩くときは、
うわの空であこがれるのだった。






          


(次回へ)

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