
・女御のそばを離れて、
源氏と明石の上だけの、
大人の会話になった。
「あなたが情理知りのお方で、
よかった。
紫の上とむつまじくして、
女御の後見を一つ心でしてください」
「仰せまでもなく、
紫の上がよくして下さいますので、
ありがたいことに思っております。
たいそうお気を遣って下さって、
わたくし、まぶしいほどです。
至らぬところは庇っていただいて、
何とか過ごしております」
明石の上はつつましくいった。
「あなたに気を遣っては、
いないだろう。
女御の君に始終、
ついていられぬのが心配で、
あなたに任せているのだろう。
それもまた、
あなたが親顔して、
出しゃばったりしないのが、
目安い。
物のわからぬ人間は、
こういうとき、
権勢をふるって取り仕切ったりし、
まわりが迷惑する。
あなたはよく出来た方だから、
何を任せても安心していられる」
源氏は素直に感謝した。
明石の上は、
今までへりくだって進退に、
気を遣ってきてよかった、
と思った。
源氏は、
決して人の目の前で、
ほめたりけなしたり、
する男ではなかった。
どんなに気に入らぬことがあっても、
胸一つにたたんで、
決して非難したり叱ったりしない。
ほめるのも間接的である。
それだけに、
はじめて明石の上を、
あからさまに褒めたのは、
長い人生を共に歩んだ、
彼女への信頼といたわりであろう。
源氏は紫の上の居間へ帰った。
その後ろ姿を見送って、
明石の上は、
(紫の上は、
いよいよご寵愛が、
深まさってゆくようだわ。
・・・それに比べて、
女三の宮の方は、
ちっともご愛情を、
お持ちになっていない)
と思った。
人妻になりながら、
源氏に愛されること薄き、
女三の宮に、それゆえにこそ、
心焦がして思いを寄せる男がいる。
柏木衛門督である。
源氏の親友、太政大臣の長男で、
源氏の息子、夕霧の正妻、雲井雁の兄君。
女三の宮に、
ひそかに関心を持っている男は、
柏木だけではない。
夕霧もそうなのだ。
朱雀院(源氏の異腹の兄君)が、
夕霧を三の宮の婿にと、
一度は擬せられたことを、
知っているだけに、
間近いところに住んでいると、
心さわぐ。
用事にかこつけて、
宮のお部屋あたりへ行き馴れて、
おのずと御殿の雰囲気がわかった。
父、源氏は宮を、
きわめて立派に敬意を払って、
扱っているが、当の宮は、
子供っぽくいらして、
重々しいところはおありにならない。
お付きの女房なども、
経験深い年配者はいなく、
若い派手やかな遊び好きの、
美人の女房が宮にお仕えしている。
こんなところにいれば、
落ち着いた人でも、
軽々しい遊び好きに、
感化されてしまうであろう。
源氏はそれを不快に思うが、
若いときのように、
好みの風に染めようという気は、
なくなっている。
(まあ、あれでよかろう)
と広い心で認めてやり、
咎めたりしない。
自由にさせてやっている。
夕霧はそのへんの事情を、
知っている。
(なるほど、
身分高く、
人々に重んじられている、
皇女さまでも、
物足らぬ点はあるらしい。
すべてに於いて完全という、
女人はいないものらしい。
それから思えば、
やはり紫の上は見上げた方だ。
あの方こそ、
一点、非のうちどころがおありでない)
いつぞやの野分の日、
かいま見た紫の上の面影が、
忘れられない。
あの貴婦人は、
長の年月、
源氏の北の方として、
君臨しながら、
奥深く物静かに籠って、
人目にも立たず、
口の端にのぼる噂も立てられない。
しずやかに落ち着き、
他の女人を見下げたりせず、
それでいて自分も誇りたかく、
身を持している。
(あの方に比べれば、
雲井雁は・・・)
と夕霧は思わず、
わが愛妻を考えてしまう。
結婚してわがもの、
となってみると、
雲井雁への安らぎや情愛も、
深まるものの、
その一方で物足らぬ点も出て来る。
夕霧としては、
父の邸にあまた集められた、
佳人麗姫たちの趣に、
目移りする。
中でも女三の宮に、
夕霧の関心は高い。
重々しい身分にふさわしく、
父、源氏は鄭重に扱っているが、
それはうわべだけで、
愛情は持っていないらしくみえる。
なぜだろう?
宮はいかに充たされない思いを、
抱いて毎日を、
送っていられるだろうか。
夕霧はそんなことを思い、
もしやかいま見られる折も、
あるであろうかと、
宮の御殿のあたりを歩くときは、
うわの空であこがれるのだった。



(次回へ)