・源氏は女三の宮の部屋へ、
来ていたのだが、
仕切りのふすまを開けて、
ふいに娘の明石の女御の部屋へ、
入ってきた。
若宮に会いに来たのだが、
紫の上が連れて出たというので、
源氏が几帳を引きやると、
明石の上の膝元に、
入道からの手紙や文箱があった。
「若い恋人からの、
長々しい恋歌のような感じ、
ではないか」
「ご冗談ばかり・・・」
と明石の上は微笑したが、
おのずと憂い多い、
物あわれな影が立ち添う。
源氏が不審そうな様子なので、
明石の上は包み隠さず、
山へ入って跡を消した、
父入道のことを話した。
「そうだったのか・・・
それではこの手紙が、
遺言になったのか。
尼君はどんなにお悲しみだろう。
親子の仲よりも、
夫婦の契りはまた別だから」
源氏はまぶたを熱くした。
気のやさしい彼は、
年老いた人の気持ちを思いやる、
想像力がある。
源氏は入道の手紙を、
読みすすむうちに、
不思議な厳粛な気分に打たれた。
こんな夢のお告げがあって、
入道は自分と娘の結婚を、
強引に押し進めたのか。
流浪中の明石の上との契りを、
われながら後ろめたく、
悔いもまじって不安だったが、
それもこれも、
大きな神意によるものだった。
更にいえば、
須磨明石へのさすらいの旅も、
ちい姫をもうけるがための、
神の摂理であったのかもしれぬ。
入道はそのために、
一人娘を気位たかく育てた。
そして運命の開けるのを、
じっと待っていた。
そこへ大いなるものの、
御手にみちびかれ、
都の貴い血筋の源氏が、
さすらってきた。
入道は神仏の啓示をそこに見た。
はじめて源氏は、
大きな宇宙の力を見た気がした。
しかしそれにしても、
入道の心のなんとすがすがしい、
いさぎよいことであろう。
夢に賭けた願は果たされた、
と知って行方もしれず、
身を隠すとは。
この世にとどまって、
世俗の栄華をむさぼろうとしない、
その清い信念に、
源氏は深い尊敬を抱く。
「あなたもこれで、
お生まれになったときの、
事情をおわかりになったでしょう」
源氏は女御に申し上げた。
「はい・・・」
女御は深い思いをこめて、
うなずかれる。
「それにつけても、
紫の上の愛情を、
おろそかに思ってはいけません。
実の親子兄弟夫婦の仲の、
むつまじさより、
赤の他人の、
ほんの少しの情けや、
好意あるひと言のほうが、
はるかに貴重なことなのです。
他人が他人に示す愛や好意は、
これは大変なもので、
並み一通りのものではないのです。
わかりますか?
あなたに実の母親がお付きして、
お世話するようになってからも、
紫の上は初めの愛情に変わらず、
あなたを深く愛している。
そのへんのところを、
ようく考えなさい」
源氏は入道の手紙で、
人の運命の不思議さ、
人に愛され、
神仏にたすけられ、
生かされている人間の不思議さを、
若い女御に知って欲しいと思う。
生さぬ仲の紫の上と、
女御の君は、
実の母娘以上の愛情で、
しっかりと結ばれているのだが、
そのあいだに立つ父親として、
紫の上の善意を印象付けたい。
女御の君も、
人の子の母となられた。
今こそ、はじめて、
人間の愛の何たるかを、
お知りになるであろう。
血のつながらぬ人間同士の間に、
通う愛を悟られるであろう。
(次回へ)