「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

30、若菜(上) ㉔ 

2024年02月14日 09時06分54秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・まじめ男の夕霧でさえ、
そうなのであるから、
熱心に女三の宮に恋していた、
柏木衛門督に至っては、
なおさらである。

青年は宮をあきらめきれない。

この青年、柏木は、
少年の頃から朱雀院のおそばに、
近侍して、親しくお仕えしていたので、
院が女三の宮をいつくしまれる事情を、
よく知っていた。

婿選びのときも、
まっ先に求婚し、
院も彼を候補者の一人として、
お認めになったにもかかわらず、
さまざまのいきさつで、
源氏に降嫁された。

柏木は残念で、
胸痛む心地がした。

あきらめきれなくて、
その頃から手づるの女房から、
宮のご様子を聞くのを、
なぐさめにしている。

あわれなはかない恋であった。

世間の噂では、
源氏のご寵愛は、
紫の上にはるか及ばない、
ということである。

青年は宮の女房、小侍従に、
血相変えて聞く。

「源氏の大臣は、
宮さまを愛していないというのは、
真実か?」

「そうでございます。
お渡りもあまりなくて・・・
ただ宮さまはおっとりなすって、
そのことを苦にしては、
いらっしゃいません」

「ああ、勿体ないこと。
私と結婚していらしたら、
そんな物思いはおさせしなかった。
もっとも、私では、
宮にふさわしい身分、
というわけにはいかないが」

柏木の恋には、
貴い血筋の皇女へのあこがれも、
あるのだった。

とはいっても、
彼も、太政大臣の長男、
出世を約束されている、
貴公子である。

(いつかは宮を頂いても、
不遜でない身分になれよう・・
それに)

柏木はひそかに期待する。

(源氏の大臣も年だ。
世の中はわからない。
いつ出家して世を捨てるか知れない。
その時には)

柏木は油断なく、
小侍従につきまとって、
機会を待った。

三月、
空はうららかに晴れ、
のどかな日。

六條院に、
兵部卿の宮や柏木が、
遊びに訪れた。

源氏は、

「今日この頃はひまでね。
朝廷でも家の内でも泰平だ。
そういえば、
夕霧大将も来ていたようだが、
どこへ行ったのか、
帰ったか」

と尋ねさせた。

夕霧は花散里の御殿で、
人を集めて蹴鞠を催し、
見物しているそうである。

「お、それはいい。
活発な気の利いた遊びだ。
眠気ざましによかろう。
こちらでしないか」

と源氏は呼び寄せた。

若い公達がぞろぞろやって来た。

源氏は寝殿の東面に呼んだ。

ここは明石の女御の君が、
おられたところであるが、
今は若宮をお連れになって、
御所へ帰られたので、
空いている。

蹴鞠に都合のよい場所を、
人々は選んだ。

鞠壺(蹴鞠場)は、
平坦な方形の空き地で、
四隅に桜、柳、松、楓が、
植えてあるのが決まり。

太政大臣の子息たちが、
みな蹴鞠に巧みであった。

春の日は暮れかかってきたが、
風も吹かず、
鞠にはうってつけの日である。

源氏に促されて、
夕霧の大将も柏木の衛門督も、
庭に下り仲間に加わった。

桜の花が散りまがう下で、
活発に鞠を蹴る青年貴公子たちは、
清らかに美しい。

回がすすむにつれて、
身分高き人々も、
今は昂奮して乱れる。

「疲れたね。
ひと休みしないか」

降りかかる桜の花を見て、
夕霧は寝殿の階段の中ほどに、
腰を下ろした。

柏木も続いて坐って、

「おお、花吹雪で真っ白だね・・・」

などと言いながら、
女三の宮の居間の方へ、
視線を走らせた。

宮の居間は西の端である。

例によって、
何やらしどけない気配で、
御簾の外にこぼれたり、
透けて見える影の、
女房たちの衣装、
まことにさまざまの色で、
派手やかである。

几帳なども、
片隅に寄せられてあって、
女房たちの姿もついそこに、
男馴れした様子でいるのが、
なまめかしい。






          


(次回へ)

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