・その気味悪さは、
その後の怖ろしさに比べれば何でもなかった。
人々が墓穴に棺を下ろし、土を築きたて、卒塔婆を据え、
すべてを済ませて帰っていくと、
またもやあたりはし~んとなった。
いかに肝太いわしだとて、
怖ろしさに髪の毛が立つ思いがした。
早く夜が明ければよいと念じつつ、
なぜか怖ろしいくせにその墓から目が離れぬ。
と、何ということ。
夜の闇の中で、墓の土がもこもこ動くように見えた。
僻目か?と怪しんで目を凝らすと、
いや、まさしく、墓の土が動いている。
その時のわしの、
身の毛ももよだつ怖ろしさを思いやってくれ。
・・・わななきながら墓を見つめていると墓の土を持ち上げて、
裸の死人が現われた。
身についた土は陰火となって死人の腕や身にまつわり燃えるのを、
死人は吹き払いしつつ、こなたの小屋に近づいてくる。
怖ろしさのあまり、わしはかえって居直ってしもうた。
(葬いの場所には鬼が出るというが、こいつがそうだな。
おれを食おうとして出て来たのだろう。
同じ死ぬならこっちから打って出よう)
狭い小屋へ入って来られては逃げ場もあるまいと、
わしは太刀を抜き、躍り出て、かけ声もろとも、
青白い火を身にまとった鬼に斬りつけた。
手応えはあった。
鬼はどうっと倒れた。
わしはそのまま、あとも見ずに人里の方へ一散に逃げた。
やっと村にたどり着き、人の家の門のそばで夜を明かし、
夜明けに里人にこうこうと告げた。
人々はいぶかしんでわしを連れ、昨夜の場所へ出かけた。
葬送のあった場には墓も卒塔婆もなく、
土を掘ったあともない。
ただ古狸が一匹、斬られて死んでいた。
おろかな狸め、わしをおどそうとしてたくらみ、
却って死ぬ目に会うたのよ。
狐狸、むじならは人をだますもの。
先の狐の約束もあてにはならぬ。
信じられぬのは人間も獣も同じこと、
お前も早、狐にたぶらかされたのじゃわ。
男はそういって若侍を嗤った。
~~~
・さてその若侍、
その後いくばくかして太秦の寺へ参り、
その帰途、京へ入ると暗くなってしまった。
殊に怖ろしいのは、荒れ果てた内裏あと。
火事で焼亡したままにうち捨てられ、
わずかに残った応天門が夜空に黒々とそびえているばかり。
若侍はふと、守り神になろうといった狐を思い出し、
「おうい、狐!心あらば出てきておくれ!」
と呼ばわった。
声に応じてこんこんと鳴き声が聞こえ、狐が姿を現した。
「いやあ、お前、よく来てくれた。
約束を忘れなんだのは、しおらしいぞ」
狐は、当然じゃないか、という顔をする。
「この辺りが怖ろしくてな。
気味悪いから、家まで送ってくれぬか」
心得た、という顔で狐はうなずき、
若侍の前に立ち、見返り見返り、案内する。
狐の案内する道は男の知ってる道ではなかった。
しかもあるところへ来ると狐は立ち止まり、
抜き足さし足になり男をふり返る。
何か仔細があるのだろうと男も抜き足さし足で忍んで行くと、
人の気配がする。
垣の向こうにあまたの男らがいて、
何か打ち合わせをする様子。
弓矢太刀を身に帯び、物騒な一団である。
盗っ人の集団が押し入る邸を評定しているのだった。
都を荒し回る盗賊団なのである。
狐は彼らの秘密の集合場所を若侍に教えてくれたのである。
そこを通り過ぎると、狐の姿はふっと消えた。
若侍は無事、家に帰りついた。
~~~
・「その時ばかりではなかったわい・・・」
今は老人になった若侍はいう。
「狐はその後も、何かにつけ、わしを守ってくれた。
盗賊団の集合場所を殿に申し上げ、
舎人を動員して残らず曲者を討ち取り、
おほめにあずかったのをはじめ、
次第に殿に取り立てて頂き、
身を立てることが出来たのも、
狐の守り神のおかげ。
よき妻、よい子に恵まれたのも狐の力添えのせいだよ。
その昔、脚力の男は、獣は人をだますもの、というたが、
狐は嘘をつかなんだ。
人はだますこともあるが、獣は嘘をつかぬもの」
その時である。
雨のように木の葉の散り敷く晩秋の前栽の、
もう声に力のなくなったこおろぎの声にまじり、
こんこん、と狐の鳴き声が聞こえ、
こういうのであった。
「あんたの気持ちがやさしかったからさ。
可哀そうだから、玉を返してやろうという気持ちになった、
あんたのやさしさ、今も忘れないよ」
小笹を鳴らす時雨の音に、
こんこんという鳴き声は遠くなった。
巻二十七(三十六、四十)
(了)