むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

22、玉とり狐  ②

2021年08月21日 08時50分17秒 | 「今昔物語」田辺聖子訳










・その気味悪さは、
その後の怖ろしさに比べれば何でもなかった。

人々が墓穴に棺を下ろし、土を築きたて、卒塔婆を据え、
すべてを済ませて帰っていくと、
またもやあたりはし~んとなった。

いかに肝太いわしだとて、
怖ろしさに髪の毛が立つ思いがした。

早く夜が明ければよいと念じつつ、
なぜか怖ろしいくせにその墓から目が離れぬ。

と、何ということ。
夜の闇の中で、墓の土がもこもこ動くように見えた。

僻目か?と怪しんで目を凝らすと、
いや、まさしく、墓の土が動いている。

その時のわしの、
身の毛ももよだつ怖ろしさを思いやってくれ。

・・・わななきながら墓を見つめていると墓の土を持ち上げて、
裸の死人が現われた。

身についた土は陰火となって死人の腕や身にまつわり燃えるのを、
死人は吹き払いしつつ、こなたの小屋に近づいてくる。

怖ろしさのあまり、わしはかえって居直ってしもうた。

(葬いの場所には鬼が出るというが、こいつがそうだな。
おれを食おうとして出て来たのだろう。
同じ死ぬならこっちから打って出よう)

狭い小屋へ入って来られては逃げ場もあるまいと、
わしは太刀を抜き、躍り出て、かけ声もろとも、
青白い火を身にまとった鬼に斬りつけた。

手応えはあった。
鬼はどうっと倒れた。

わしはそのまま、あとも見ずに人里の方へ一散に逃げた。

やっと村にたどり着き、人の家の門のそばで夜を明かし、
夜明けに里人にこうこうと告げた。

人々はいぶかしんでわしを連れ、昨夜の場所へ出かけた。
葬送のあった場には墓も卒塔婆もなく、
土を掘ったあともない。

ただ古狸が一匹、斬られて死んでいた。

おろかな狸め、わしをおどそうとしてたくらみ、
却って死ぬ目に会うたのよ。

狐狸、むじならは人をだますもの。
先の狐の約束もあてにはならぬ。

信じられぬのは人間も獣も同じこと、
お前も早、狐にたぶらかされたのじゃわ。

男はそういって若侍を嗤った。


~~~


・さてその若侍、
その後いくばくかして太秦の寺へ参り、
その帰途、京へ入ると暗くなってしまった。

殊に怖ろしいのは、荒れ果てた内裏あと。

火事で焼亡したままにうち捨てられ、
わずかに残った応天門が夜空に黒々とそびえているばかり。

若侍はふと、守り神になろうといった狐を思い出し、

「おうい、狐!心あらば出てきておくれ!」
 
と呼ばわった。
声に応じてこんこんと鳴き声が聞こえ、狐が姿を現した。

「いやあ、お前、よく来てくれた。
約束を忘れなんだのは、しおらしいぞ」

狐は、当然じゃないか、という顔をする。

「この辺りが怖ろしくてな。
気味悪いから、家まで送ってくれぬか」

心得た、という顔で狐はうなずき、
若侍の前に立ち、見返り見返り、案内する。

狐の案内する道は男の知ってる道ではなかった。
しかもあるところへ来ると狐は立ち止まり、
抜き足さし足になり男をふり返る。

何か仔細があるのだろうと男も抜き足さし足で忍んで行くと、
人の気配がする。

垣の向こうにあまたの男らがいて、
何か打ち合わせをする様子。

弓矢太刀を身に帯び、物騒な一団である。
盗っ人の集団が押し入る邸を評定しているのだった。

都を荒し回る盗賊団なのである。
狐は彼らの秘密の集合場所を若侍に教えてくれたのである。

そこを通り過ぎると、狐の姿はふっと消えた。
若侍は無事、家に帰りついた。


~~~


・「その時ばかりではなかったわい・・・」

今は老人になった若侍はいう。

「狐はその後も、何かにつけ、わしを守ってくれた。
盗賊団の集合場所を殿に申し上げ、
舎人を動員して残らず曲者を討ち取り、
おほめにあずかったのをはじめ、
次第に殿に取り立てて頂き、
身を立てることが出来たのも、
狐の守り神のおかげ。
よき妻、よい子に恵まれたのも狐の力添えのせいだよ。
その昔、脚力の男は、獣は人をだますもの、というたが、
狐は嘘をつかなんだ。
人はだますこともあるが、獣は嘘をつかぬもの」

その時である。
雨のように木の葉の散り敷く晩秋の前栽の、
もう声に力のなくなったこおろぎの声にまじり、
こんこん、と狐の鳴き声が聞こえ、
こういうのであった。

「あんたの気持ちがやさしかったからさ。
可哀そうだから、玉を返してやろうという気持ちになった、
あんたのやさしさ、今も忘れないよ」

小笹を鳴らす時雨の音に、
こんこんという鳴き声は遠くなった。


巻二十七(三十六、四十)






          


(了)

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