・そこへくると、
臣下の薫の身分は気楽だった。
去年春に焼失した三條の邸を、
新築中であるがそこへ大君を、
晴れて薫の夫人として、
迎える心づもり。
匂宮が悩んでいられるのを、
薫はいとおしいことに思った。
(自分から母宮の中宮に、
宮はこれこれの方を、
と申し上げようか?
いっときお叱言もあるだろうが、
中の君にとってはいいだろう。
存在を知って頂くほうが。
どうかしお二人を、
幸福にしてさしあげたい)
と思うのであった。
いまは薫も、
大君と心が通い合ったと、
信じられるので自分の幸福を、
疑ってはいなかった。
自分が幸福になるように、
親友の匂宮もお幸せであって、
頂きたかった。
そういえば、
薫は思う。
(宇治では衣更えのことなど、
世話する人もいないのではないか。
早、十月。
冬支度に装わねばならぬ)
薫は早速手配をする。
衣更えは衣装だけではない。
寝室の垂絹から御簾の内側の、
壁代に至るまで、
冬のものと代えねばならぬ。
薫は自邸の新築用に、
準備したものを、
母君(女三の宮)にことわり、
宇治の邸へ運ばせた。
女房たちの衣装も、
新調させたりした。
十月はじめ、薫は、
「網代も、
面白いでございましょう」
と宮に宇治行きをすすめた。
網代は冬の宇治の名物である。
氷魚を獲るさまを、
見物する人も多い。
宇治の紅葉見物という口実で、
薫は宮のために、
計画を立ててさしあげる。
ごく内輪のおしのび、
と宮は考えていられたが、
何分ご威勢のある宮のこと、
いつの間にか大げさになって、
夕霧右大臣の三男も、
お供することになってしまった。
この三男の宰相の中将は、
玉蔓の長女の姫に、
恋をした青年である。
姫は冷泉院の御息所になり、
青年の思いは遂げられなかった。
今は左大臣の姫と結婚しているが、
昔の悲恋を忘れかねている。
彼は薫の友人でもあるが、
父の夕霧に頼まれて、
匂宮のお目付役の、
つもりでお供したのかもしれぬ。
薫もお供をする。
薫は宇治の人々に、
連絡を忘れない。
「宮はそちらで休息なさるでしょう、
そのおつもりでいらして下さい」
宇治の邸では、
新しい御簾を掛け換え、
あちこち掃除をした。
薫は風情ある酒や肴、
果物、菓子などを贈り、
人手も要ろうかと、
手伝いの人もよこした。
大君は、
薫の親切に感謝しながらも、
あるじ顔に世話を焼かれると、
やや不快だった。
しかし、どうしようもない。
いよいよ当日。
こちらの宇治の邸にも、
楽の音が聞こえる。
都びとの一行が、
宇治川を上り下りして、
合奏しているのであった。
霧に浮かぶそのさまを、
邸の若い女房たちは、
廓に出て眺めている。
紅葉を屋根に葺いて、
飾り立てた舟の面白さ、
聞こえてくる管弦の音色、
何とも派手やかな賑わしさだった。
世にもてはやされ、
かしずかれる匂宮のめでたさ。
こんなすばらしい宮を、
お待ちするのは、
と中の君は思うのであった。
宮はというと、
心も空でいられる。
(早く中の君に逢いたい)
お気持ちもそぞろで、
遊興なさる気分ではなかった。
薫と宮だけは楽しめない。
「この騒ぎがおさまってから、
お忍びでお出かけなさいませ」
薫がそっと申し上げる。
宮も、
こんなに大げさな遊覧旅に、
なろうとは思ってもいられない。
そこへ思いもかけぬことに、
仰々しい一行が都から、
匂宮の警護にやってきた。
宰相の中将の兄、
衛門督がことごとしい随身を連れ、
いかめしく参上したのである。
内裏の母后(明石中宮)からの、
仰せだった。
宮がお供も少なく、
にわかに宇治へ行かれたことを、
お聞きになって、
あまりにも軽々しいと驚かれ、
衛門督を、
差し向けられたのであった。
これではひそかに、
抜け出るには具合悪く、
宮も薫も困り果ててしまった。
そんな宮のお心も知らず、
人々は酔いしれて、
その夜は明かした。
翌日、
宮はこのままとどまりたい、
と思っていられるのに、
またまたそのほかの殿上人が、
母后のお指図でお迎えに参った。
宮は気が気でなく、
帰りたくないと思われたが、
どうしようもなかった。
わずかに中の君にあてて、
お手紙を書かれる。
「許してください。
どうしても、
行けなくなってしまった」
宮のお手紙は、
いまは恋文めいた気取りは、
なかった。
切羽つまった青年の、
真剣な苦しみをこまごまと訴えた、
真心のこもったものだったが、
中の君からの返事はなかった。
人目も多い中だし、
お立ちのごたごたの時に、
と遠慮されたのである。
それ以上に、
(数にも入らぬわたくしたちが、
雲上人のあの方と、
お付き合いは出来ないのだ。
遠くにいるときは、
お越しになれないのも尤もと思い、
心を慰めてきたけれど、
こんな近くへおいでになって、
そ知らぬ風でお帰りになるなんて、
ひどい・・・
もう信じられない)
と姫君たちは思い悩む。
(次回へ)