「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「16」 ①

2024年11月05日 08時32分27秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・後宮はのどかに見えるが、
しかし、それはうわべのこと、
政治的な情勢は刻々に、
変ってゆく

おそらく内大臣・伊周(これちか)
の君の立場は右大臣となった、
道長の君に刻々、気押されて、
いっているにちがいない

三十歳の老練な道長の君に、
二十二歳の伊周の君では、
貫禄もちがう

それに伊周の君は、
宮中では孤立していられるらしい

この間、中納言になられた、
弟君の隆家の君のほかは、
お味方になるものといえば、
母方の一族の高階一家ばかり、
それも、

「高二位の爺さんが、
あやしげな呪詛をしているので、
日一日と人望がなくなってゆく」

という元夫の則光の話である

「あの高階一家は、
爺さんばかりではない
定子中宮の乳母で、
爺さんの娘の命婦も、
呪詛しているらしい」

「まあ、あの命婦の乳母が」

私は「高二位の爺さん」に、
よく似た小太りの乳母を、
思い浮かべた

中宮の乳母は、
母君・貴子の上の妹に当られ、
中宮は叔母を乳母として育たれ、
そこからみても、
高階一家と密接にかかわりあって、
育っていらしたのだった

それにしても、
なぜかくも、
人は高階一家のことを、
まがまがしい噂でまみれさせ、
吐き捨てるようにいうのだろうか

定子中宮にしろ、
伊周の君にしろ、
その美貌と冴えわたる才気、
明るくのびのびしたお気だては、
何の曇りもゆがみもおありにならない

なのに人は、
暗いイメージを重ねるのか

中宮の母君、貴子の上など、
漢学の素養の深い方でいらっしゃる上、
歌人としても名高い方だった

<わすれじの行末まではかたければ
今日をかぎりの命ともがな>

という歌は、
道隆公が通いそめられたころ、
つまり貴子の上が、
円融帝に仕える女房で、
高内侍(こうのないし)と、
呼ばれていられたころの歌である

道隆公との恋のはじめころの歌で、
いまもこの歌を秀歌という人は多い

そういうやさしいご一族が、
何だってまあ、
人々に嫌われ、
孤立してゆかれるのだろう

右大臣・道長の君の力が、
強くなりまさっているのは、
有国の復活によっても、
見てとれた

藤原有国は、
平惟仲と共に兼家公に仕え、
左右の目として、
重用される能吏だったが、
一の人(関白)の位を、
誰に譲るべきかを、
兼家大臣が二人に計らわれた際、
有国は、

「道兼の君に
道兼の君は花山院をすかして、
退位させられた一番の手柄が、
おありです」

といい、惟仲は、

「しかし道兼の君は、
次男でいられる
やはりここは長男の道隆の君に」

と主張した

道隆の君は政権を執られたとき、
惟仲を重用され、
有国を追放された

それも徹底的ないじめ方を、
なさった

有国の官位を、
剥奪されたばかりか、
子の官位まで取り上げられた

世間はあまりに苛酷ななされ方、
と思ったが一の人に何がいえよう

そうして道隆の君亡きあと、
いよいよ道兼の君の世になり、
有国は喜んだが、
それもつかの間、
七日関白で終わってしまった

有国は当然のこととして、
道長の君に忠誠を誓ったのであろう

有国は太宰大弐として、
九州へ栄転し、
めざましい復活をとげた

有国の妻は、
主上の乳母だった人である

なかなかの策士だという評判で、
主上に取り入って、
その方面からも有国の復権に、
尽力した

北の方として、
九州へ下る華々しさは、
世間に評判になった

そしてそれは、
世間の人々の共感を呼んだ

有国の兼家公の寵愛を知っていた、
世間はそれに反して、
ひどい仕打ちを加えられた道隆の君に、
反感を抱いていたのであろう

私はというと・・・
主上の乳母とはいえ、
この人はいつも威張り散らす人なので、
好感は持っていなかったのだけれど

ある日、局(つぼね~部屋)にいると、
則光がやってきて、
そっといった

「聞いたか?」

「どうしたの?
何も知らない」

「右大臣(道長の君)と、
内大臣(伊周の君)が、
今日、ものすごいケンカをした
罵声入り乱れて、
あやうくつかみかからんばかり」

「まさか、
そんな、はしたない・・・」

「ほんとうだよ
おれも声を聞いたが、
何を争っていたのかは聞こえない」

「・・・どうなるんでしょう
この先・・・」

「いずれ大事件が、
もちあがらずにはいるまいよ
このまま両者が仲良くということは、
ないんだから」

「でも、
中宮さまがいらっしゃる限りは、
内大臣さまの勝ちだわ・・・」

「わかるもんか
中宮が親王でもお生みになって、
その方が立太子でもなされば、
状勢は変るが、
右大臣の顕光どの、
大納言の公季どのやらが、
それぞれ姫君を入内させようと、
もくろんでいられるという話、
まだ知らないのか」

「知らない」

後宮は奇妙なところだった

ある情報は、
やたらに詳しく、
ある話はぴたりと、
伝わらなかった

中宮側に知らせるまい、
という誰かの意識が感じられる

「道隆の君が生きていられる間は、
みんなはばかっていられたが、
亡くなられたからには、
遠慮はない
それに、道長の君の彰子姫は、
まだ童女だから、
一人前になるまで少々時間がかかる
このひまに、
というところだろう」

「でも、
主上と中宮は、
とても愛し合っていらっしゃるわ
お二人の仲を裂くことは、
できないわ
主上が女御のご入内を、
お拒みになるかもしれない」

「主上は、
そんなことおできになれない
それに、
後宮にお一人しかいられない、
という方が異例だ
今までが異例だった
これからは二人、三人、四人・・・
と増えていかれるだろう
お前は中宮さまの味方だから、
辛いだろうが、
これは仕方がないことさ」

「男って、
いくつも愛情を分けられるものなの?」

「分けるんじゃない、
ふえていくのさ
何人女がいようと、
どの女も可愛い、
というのが男の真実だよ」

「自分のことをいって」

「男はみなおんなじだ」






          


(次回へ)

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