・下男はいう
「ほんのちょっと留守の間に、
焼けまして、
まぐさ小屋とは垣一つ、
へだてただけでございますから、
もう、すっかり焼けてしまいました
何一つ取り出す間も、
ございませなんだ
私は留守、
妻は寝入りばなで、
すんでのことに、
焼け死ぬところでございました
命からがら逃げ出しまして、
何一つ持ちだせないので、
ございます」
男はとうとう泣き出して、
「今はやどかりのように、
人の家に尻をさし入れております
すっかり焼けまして・・・」
と同じことを何度もいい、
しゃくりあげる
尻をさし入れて、
というのがおかしくて、
私たちは笑ってしまった
みくしげ殿までお笑いになる
私はおかしいままに、
紙に、
<御まぐさを
もやすばかりの春のひに
よどのさへなど
残らざるらん>
と書いて、
女房たちに渡すと、
女房たちは争って読んで、
げらげら笑い、
回し読みしたりしている
まぐさを燃やすぐらいのぼやで、
なんで夜殿まで焼けたのかしら、
という意味と、
草を萌やすほどの、
春の日に淀野が焼けるなんて、
という双方かけた言葉遊び、
見る人が見たら、
面白いと笑い出すようなもの
女房たちは笑い、
下男に渡して、
「さ、お取り、
ここにいらっしゃる方が、
あんたをふびんにお思いになって、
これをあげるとおっしゃってる」
下男はひろげて見て、
「これは何の書きつけで、
ございましょう
どれほどのものが、
頂けますんで」
「ま、読みなさいよ」
「私めは片目さえ、
明かないんでございます」
「それじゃ、
人に読んでおもらい
そんなすばらしいもの頂いて、
もう、くよくよすること、
ないんじゃないの」
といって、
みんな笑いながら、
中宮の御前に上がった
僧都の乳母が、
中宮の御前でこのことを披露する
口ぶりが下男のそれに似ているので、
女房たちはまた笑いこける
中宮は、
「どうしてそう、
おかしがっているの、
哀れな話じゃないの」
とおっしゃりながらも、
乳母の話しぶりのおかしさに、
口元をほころばせられる
どうせあの歌の面白みは、
学のない下男には、
わかるはずもないけれど
ところでこの話をうっかり、
則光にしてしまった
則光は歌の話を聞くだけで、
頭が痛い、という男だ
「その男にしてみたら、
一首の歌よりも、
一すじの布のほうが、
嬉しかったんだよな」
と真面目にいう
「あんたならそういうと思った
私たちが笑ったのは、
下々の人間って、
何て貧弱な精神なんだろう、
と思ったからよ
我々なら丸焼けになったって、
そんな歌を考えて、
興に入っていたろう、
と思うわ
自分で自分をおかしがって笑う、
ということがあたしたちには、
できるのよ」
「生意気いうな!
人間は仏の前ではみな同じで、
そう変るもんじゃない
困った境遇に落とされれば、
泣き惑うのは大臣も下男も同じさ
おれだって丸焼けになれば、
泣いているよ
たいていの男はそうさ
しかし、
泣きにいく相手がないからね
その下男はなんだってまあ、
一ばん薄情なところへ、
行ったんだろうな
かわいそうに」
なんで男ってものは、
女がいうと、
(お前の言う通り)
といわないのだ?
決して女に同調しないのだから
必ず反対する
私は期待をこめ、
経房の君にこの話をして、
則光の話も言い添えた
私はわけのわかる人に、
あの歌の機智をほめて、
「でかした!」
とほめて欲しいのだ
実際、朋輩の女房たちに話すと、
歌のところへきて、
みんな腹をかかえて笑い、
うまくおとしばなしになる
そして私も、
話術がだんだん上達していた
あちこちで人に、
「少納言さん、
あのまぐさ小屋の話をしてよ
この人、
まだ聞いていらっしゃらないの」
などとすすめられたりする
経房の君もきっとそうだ、
と思っていたら、
「よどの、ねえ・・・」
とつまらなさそう
「則光のいうのが尤もです」
と笑いもせず言われて、
なんでこう男と女はちがうのやら、
「ねえ、
この話、面白くない?」
「面白くないといったら、
叱られますからね
面白い・・・
といいましょうか
そこらの西も東もわからぬ連中に、
いったって可哀そうなだけです
からかうなら、
手応えのある人を選んでやりなさい」
「そんな説教をされては、
ミもフタもありませんわ
そんなたぐいの話と違いますわ
こういうこと拍子がずれたら、
もうダメです
わっと笑って面白い、
といって下さらなければ」
「わはは・・・
面白い面白い」
「バカにしていらっしゃる」
私がつんとしたものだから、
経房の君は、
「なんでこうも女って、
気むずかしいんですか」
「男の方が無神経だからですわ」
「よろしい
じゃ、私はもう、
本当のことはいいませんよ
いつもうわべだけを飾って、
社交辞令を並べることにします」
「あ、そう」
私は退くに退けなくなってしまう
「そんな社交辞令の仲なら、
べつにおつきあいして頂く意味、
ございませんわ
これきり、
お目にかからないことに、
しましょうよ」
「おや、
そういう風なところへ、
石をお置きになるとは、
思いませんでした」
経房の君は興ざめしてしまわれる
「男としては、ですね、
あなたがそうまで、
おっしゃっているのに、
懇願するのもどうかと思います
では、長々のご友情、
感謝します
ありがとうございました
これでおさらばです」
なんでこんなことに、
なったのやら、
ぷいと経房の君は、
局から出ていってしまわれた
私は腹が立ったが、
どうしようもない
女にも意地があることを、
思い知らせてやろうと思った
私は経房の君に、
手紙も出さず、
会わないことにした
(次回へ)