
・源氏は四十九日までは、
左大臣邸にこもりきりになっている。
源氏の慣れぬ独り住みを、
親友の三位の中将は気の毒がって、
いつも源氏の部屋へやってきては、
話相手になる。
中将は、
源氏の悲嘆が深いのを見て、
(ああ、本当に心から、
妹を愛していたんだな、彼は)
ともの悲しく思った。
今まで中将が見た所では、
源氏は必ずしも、
妹の葵の上を愛しているようではなかった。
父君の左大臣なども手厚くもてなされるし、
また母君の大宮は、
源氏にとっての叔母宮である。
どちらにつけても振り捨てがたい絆で、
しばられているので、
いやいやながらも葵の上を妻にしたのだろう、
と中将は内心、
源氏を気の毒に思っていた。
しかしいま、
源氏の悲しみを見ると、
源氏はやはり心から葵の上を愛していたのだ、
とわかる。
それがわかった今、
葵の上は亡いのだ。
中将は世の光は消えた気がして、
気落ちするのだった。
暮れると源氏は灯をつけさせ、
亡き人のそばに仕えた、
馴染みの女房たちを召して、
さまざまな思い出話をする。
源氏は女房たちに、
しんみりと言った。
「この日頃、
悲しみが仲立ちとなって、
みんなが心一つに結ばれて、
今までになく親しんだ気がするね。
しかしこれからは淋しいなあ。
葬式よりあとが辛いね」
女房たちはみな泣いた。
「御方さまのご不幸は、
いってもかえらぬことでございますが、
殿さままでこのお邸からお出になって、
しまわれますのが・・・
もう、こちらにはご縁のない方におなりになります」
「縁がないことなど、
あるものか。
私を心浅い人間と思うのか。
いつまでも気長く私の誠意をみてほしい」
源氏は涙ぐみながら灯をみている。
今まででさえ源氏の来訪は間遠だったものを、
こうなればひとしおうとくなろうと、
女房たちは思った。
大臣の悲嘆はいうまでもなかった。
若君がいるのだから、
よもや源氏はこのまま見限る、
ということはあるまいと思うものの、
愛した娘婿と今は縁が切れた気がして、
辛くも残念にも思い、
泣くのだった。
源氏は久しぶりに御父の桐壺院に参上すると、
「たいそう面痩せしたではないか」
とご心配になって、
御前でお食事をとらせられた。
中宮の御殿に参上すると、
しばらくぶりなので、
女房たちは珍しがった。
中宮も命婦を取り次ぎにして、
お言葉を賜った。
つねの時でも、
物思わしさのただよう源氏なのに、
今は一層沈んだ様子に見える。
二條の邸では、
どの部屋も掃除がゆきとどき、
清らかに磨き立てて、
男たち女たちが源氏を待ちうけていた。
源氏はそれを見ると、
左大臣邸の人々の、
悲しみに沈んだ様子が思いだされ、
胸が痛む。
源氏は着物を着換えて、
西の対へ行った。
冬の衣更えの季節のこととて、
室内の調度から、女房、女童の衣装まで、
すっかり冬装束になって、
目がさめるよう。
源氏は、
乳母の少納言の配慮が行き届いているのに、
満足した。
紫の姫君は、
美しく身じまいをして坐っていた。
「おお、久しく会わぬうちに、
ぐっと大人びたねえ」
源氏が几帳をひきあげていうと、
姫君は恥じらう。
横顔、頭のかたち、
あの恋しい人にそっくりになってゆく、
源氏は嬉しくてならない。
「長く逢いに来ずごめんね。
許しておくれ」
「そんなこと・・・
お兄さまはたいそう悲しい目に、
おあいになったのですもの。
当り前よ。
おかわいそうなお兄さま。
どんなに悲しかったことでしょう」
悲愁にそそけていた心を、
やわらかにうるおしてくれるようであった。
「わたくしね、
おばあちゃまがお亡くなりになった時のこと、
思いだしていたの。
お兄さまもきっと、
あの時のわたくしのように悲しんでいらっしゃる、
と想像したら、お兄さまが、
おかわいそうでわたくしまで悲しくなって、
泣けてきたの」
そのさまを見る源氏は、
いとしくてならず、
思わず姫君を抱きしめる。
「ありがとう。
あなたになぐさめられて、
私は元気になった気がする。
これからはずっとこちらにいるからね、
却って私のことをうるさく思うかもしれない」
少納言は几帳のうしろでそれを聞き、
嬉しく思いつつも、
やはり心もとなかった。
源氏は正妻を失ったといっても、
身分高い恋人があちこちにあるので、
いつ葵の上に代わる女が現れないとも、
限らない。
源氏は二條邸にひきこもり、
まめやかな便りだけを、
左大臣邸に遣っていた。
外出もおっくうで、
どの女のところへもゆく気がしなかった。
いまは紫の姫君とともにいることが、
源氏の楽しみであった。



(次回へ)