・私がその事件を知ったのは、
則光からだけれど、
今度の話は人より早く知り、
また信憑性もあった
なぜなら花山院が、
もめごとの中心になっていられたから
則光は昔から、
花山院派の人間である
私たちが興じていた、
十五日の小正月のあくる日の夜、
十六日に事件は起きた
故太政大臣、為光公の姫君が、
その原因である
その姫君、三の君は、
寝殿の上と申しあげて、
絶世の美女という評判
父大臣が亡くなられてのち、
内大臣の伊周(これちか)の君が、
寝殿の上に通っておられた
ところが、
花山院がその妹姫の四の君に、
執着されて申し込まれたが、
四の君は承知しなかった
何しろ花山院といえば、
女ぐせのお悪いことで有名で、
出家なさってしばらくは、
ご修行されたが、
やがてそれにも飽きて、
放埓無頼なご日常を、
くり返されるようになった
荒法師を手下に、
争いごとを好まれるやら、
女房の母娘ともども愛されて、
どちらにもお子ができ、
しかたないので、
父院の皇子になさるやら、
世間はその逸脱ぶりに、
はらはらしている
則光に言わせれば、
「何しろあの院が、
退位なさったおかげで、
故関白以下、
栄えてきたんだから、
その弱みがあるので、
誰も院をお止めすることなど、
できない
院ももう怖いものなど、
おありにならない」
花山院をだましてすかして、
無理やり退位させた、
故兼家の大臣のことを、
いっている
花山院の求婚に、
四の君側は困っていられた
これを内大臣・伊周の君が、
誤解なさって、
「四の君ではあるまい
あの癖の悪い院のことだ
きっと三の君を、
ねらっていられるらしい
どうしたらよかろう?」
と弟君の隆家の君に、
相談なさった
隆家中納言は、
「まかして下さい」
と引き受けられて、
腕の立つ侍を引き連れ、
花山院のお帰りを待ち伏せした
院は馬で四の君のもとから、
帰られるところであった
月の明るい晩で、
侍はてだれの者であったらしく、
射かけた矢は、
院のお袖を打ち抜いたという
院は肝をつぶされて、
お邸へやっとたどりつかれると、
しばらく放心状態になって、
おられた
単に威嚇のつもりであったろうが、
院の衝撃とお怒りは大きい
何しろ原因が原因だけに、
あまり名誉なことではないので、
院側も沈黙していられる、
ということである
「しかし、
翌日には道長の殿のお耳に、
入ったようだ
何しろ殿の情報源は、
すごいからな」
と則光はいう
私は信じられない
太上天皇に、
矢を射かけるなんて、
田舎侍のような・・・
それは事件の翌日に聞いた
と、もうそのあくる日は、
かなりの人が知り、
やがて急激に噂は広まってゆき、
収拾がつかなくなった
内大臣どのも中納言どのも、
いまは参内なさらない
中宮のお耳にも、
乳母の君がお入れしたのでは、
なかろうか
しかし中宮は、
つとめて何ごともなく、
振る舞っていらっしゃる
私は七日、八日と経つのに、
右大臣の道長の君が、
動かれる様子もないのが、
不気味である
何の動きも見えぬまま、
噂ばかり都じゅう、
跳梁していた
二十五日の除目の会議に、
伊周の君のお席は、
すでに取り払われていて、
なかったという
二月に入ると、
京の町じゅうに、
やたら武士たちが、
目につくようになった
里下りする道々、
騎馬武者たちが駆けてゆくので、
往来を止められることがある
そのあとを野次馬たちが、
追ってゆく
聞けば、
内大臣家の従者の家に、
兵馬が集められているというので、
検非違使が追捕に向かったそうな
都じゅう不安感がたれこめ、
誰も彼も落ち着かない
宙に浮いた伊周の君たちの、
処遇を固唾をのんで待っている
道長公は、
どうなさるおつもりなのか
殿上人や上達部の口は固い
経房の君も、
進退に慎重に、
なっていらっしゃるのか、
梅壺の周辺にすら、
足を向けられない
こうしてみると、
伊周の君たちは、
ほんとうに孤立していられる、
というのがわかった
こういう窮地を救うべく、
道長の君との間に立って、
斡旋調停して下さる方は、
いないのであろうか
上卿たちは、
口をふさいで目を閉じて、
沈黙していられる
則光に言わせれば、
「憎まれてきた一家だから、
自業自得と思っている人々が、
多いんじゃないか」
ということだ
それでもまだ、
最終的な決着は出ていないので、
私たちは望みをつないでいたが、
二十一日に勅命が出たという
内大臣・伊周、
中納言・隆家の罪科を、
決定せよというもので、
あるらしい
その勅命が伝えられたとき、
一座の公卿たちは思わず、
「おお・・・」
と感慨の声を発しられた、
ということだ
とうとうここまで、
追い詰められてしまわれなすった
道隆公薨去一年にして・・・
明法博士が、
罪を勘案しているというが、
結論はまだ出ない
誰か主上と道長の君に、
お取りなしをして下さる方は、
いないのであろうか
中宮は主上に、
そういう政治向きのお話は、
なさらないのであろうか
二月二十五日、
中宮は職の御曹司を、
退出なさった
神事があるため、
服喪中の中宮は遠慮して、
避けられるわけである
今年は疫病こそ、
下火になったけれど、
物の値が上がり、
飢饉がまた襲うのではないか、
といい話はちっともない
その上に、
内大臣どのらは、
どうなるのであろうかという、
不安で人々は何も手につかない
一の人争いに、
いずれ決着がつくだろうとは、
故道隆公が亡くなられたときからの、
予想であったが、
こんな形でそれがもたらされるとは、
思っても見ぬことであった
(次回へ)