「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

7、早蕨 ⑤

2024年05月26日 08時11分54秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・秋であった。

帝は藤壺の間で、
女二の宮と碁を打っていられる。

日が暮れゆくままに、
時雨の風情も面白く、
人をお呼びになって、

「殿上には誰々がいるか」

と問われた。

お答えを聞かれて、

「中納言をこちらへ」

という仰せで、
薫は御前に参上した。

「のどかな時雨だが、
喪中ゆえ管弦の遊びも出来ぬ。
これがいちばんだ」

と帝は碁盤を取り寄せられて、
薫をおそば近くへ召される。

「よい賭物があるのだが」

帝の意味ありげなお言葉に、
薫はかしこまったが、
前々から風評を耳にしていた薫は、
それと悟った。

しかし、
軽々しく口を開かないでいる。

「今日はまず、
この花一枝を許すことにしよう」

(君に請ふ一枝の春を
折らんことを許せ)

古歌のおもむきによそえて、
それとなくほのめかされる。

薫はつつしみ深く辞退する、
という形にならなければ、
いけない。

庭先に下りて、
菊の花の枝を折り、
御前にささげつつ、
歌でお答えする。

<世のつねの
垣根ににほふ花ならば
心のままに折りて見ましを>

(これが世間並みの家の、
垣根に咲く一枝の花でしたら、
心のままに折りもしましょうが、
花一枝とはいえ、
貴い姫宮で私ごときは・・・)

「心深きさかしき進退よ」

帝は賞でられ、

<霜にあへず
枯れにし園の菊なれど
のこりの色は
あせずみあるかな>

(母宮に死に別れた姫だが、
一枝の花の色香はあせぬ)

と仰せられた。

それは(汝に許す)という仰せ。

薫は勿体ないことに、
と思いながら、それではと、
すぐはやって飛びつく気になれない。

(自分には向いていない。
女二の宮だけではない。
夕霧右大臣の六の君のことだって、
聞き過ごしてしまっている)

夕霧右大臣は、
この噂を聞き、

(なんと。
帝が薫を婿に取られる?
こちらこそ、めがけていたのに)

といらいらする。

(もはやこうなっては、
どうあっても匂宮を、
六の君に迎えねば。
すでに愛人がいられる宮とはいえ、
あれは本妻ではない)

夕霧は、
いまは匂宮との婚儀を、
母宮の明石中宮(夕霧の異母妹)に、
やかましくせまる。

中宮は夕霧に責められ、
怨まれて困ってしまわれる。

宮をお呼びになって、
さとされる。

「大臣がお気の毒です。
あなたを婿にと、
熱心になっていらっしゃるのに、
言い逃れてばかりいられるのは、
心無いお仕打ちです。
親王というのは、
ご後見次第で重い存在となり、
主上の御代譲りも、
遠からぬこと。
あなたも早く身を固めて、
下さらなくては。
あなたが好きなひとを、
二條院において、
大切にしていらっしゃるのは、
聞いていますが、
それはそれ、
これはこれ。
後ろ盾はお持ちにならなければ、
なりません」

中宮はいつになく、
きびしくいさめられる。

宮はもともと、
六の君にも心寄せられて、
いられることとて、
あたまから拒絶なさる、
ということはないが、
ただ、夕霧のかた苦しい邸に、
取りこまれてしまうのが、
気のりしないご様子。






          


(次回へ)

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