「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

7、早蕨 ⑥

2024年05月27日 07時57分12秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・帝の姫君、
女二の宮の服喪も終えられた。

帝は薫の申し込みを、
心待ちにしていられる。

薫はのっぴきならぬところへ、
追い詰められた。

知らぬ顔でいるのも、
帝に対してご無礼であろう。

薫は女二の宮を頂きたい趣を、
人伝てに申し上げることになった。

帝はただちにお許しになって、
ご婚儀の日取りまで、
お心づもりなさったと聞いた。

薫はそれを知っても、
心は晴れない。

(身分の低い女でもいい、
あのひとと少しでも、
面影が似ているひとはいないものか)

また浮かぶのは、
亡き大君の面影。

匂宮のほうのご婚儀も、
着々とすすんでいた。

夕霧右大臣は、
秋・八月に結婚式をと、
急がせている。

その噂は二條院にも聞こえた。

中の君は胸をつかれた。

(やっぱり・・・
宮は権勢あるお邸の婿君に、
なられる。
こんなことがいつかはくる、
と思っていた。
もうおしまいだ。
まったく縁が切れてしまう、
というようなお扱いは、
なさらぬとしても、
わたくしなど数にも入らぬ身、
人の物笑いになるかもしれない。
宇治へ帰りたい・・・)

と悲しかったが、
宮にそんなそぶりを見せるのも、
はしたないようで、
じっとこらえて何も知らない風を、
よそおっていた。

宮はこのごろ、
常にもまして中の君に、
おやさしい。

実は中の君は、
この五月ごろから、
懐妊していたのであった。

気分がすぐれず、
食も細く横になってばかりいる。

宮はまだ、
身重の人の様子など、
ご存じないので、

「どうしたの?
もしかしてお子でも出来たの。
暑さのせいかと思ったけれど」

などといわれるが、
中の君ははかばかしく返事もしない。

女房たちも遠慮して、
宮のお耳に入れないので、
宮はご存じない。

宮のほうは、
一日一日近づく婚儀のことを、
どうしても中の君に、
おっしゃれない。

心苦しくいじらしく、
お口に出来ぬお気持ちだった。

宮はこのごろ、
時々内裏で御宿直で、
泊まられるようになった。

中の君を、
二條院へ迎えられてから、
外泊などなさったことがないのに。

というのも、
六の君(夕霧の娘)と結婚したら、
これからはあちらへ泊まる夜も、
重なるであろう。

夜離れの辛さを、
少しでも慣れさせてあげようと、
宮は思われるのであった。

しかしそんな男の愛情も、
女にとってはただ辛い仕打ち、
としか思えなかった。

薫もご婚儀の噂を聞いて、
動揺していた。

宮のことだから、
新しい女にお心が移るのでは、
と思うにつけても、

(なんで中の君を、
宮に取り持ってしまったのか)

誰を怨むこともできない。
みなわが心からのせいだ。

霧の立ちこめる朝、
露じめりした朝顔が咲く。

格子を上げたまま、
うたたねをしていた薫は、
人を呼んで、
二條院へ行く車の用意を、
いいつけると、
宮は昨夜は宮中で宿直という。

「それでいい。
対のお方のお見舞いだから」

薫は庭に下りて、
露のこぼれる朝顔を折った。

二條院の人々を驚かせないように、
そっと入ると、
女房たちはもう起きていた。

女房にすすめられて、
中の君は御簾の向こうに来た。

「お具合はいかがですか」

薫はさながら兄のように、
やさしくいたわる。

中の君は沈んで返事をしない。

携えてきた朝顔の花を、
御簾の下から差し入れて、

「露をこぼさず、
持ってきました。
朝顔の花を。
亡きひとは、
あなたを私に托したのに、
かたみとして、いって」

中の君は涙を抑えかねて、
やっといった。

「お願いがございます」

「何なりと」

薫は緊張する。

「わたくしを宇治へ、
連れていって下さいまし」






          


(了)

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