「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「4」 ③

2024年09月13日 08時17分59秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・運の強い人が、
世の中を取り仕切っている間は、
人々が承服してつつがなく、
世は治まっていた

入道殿、
(兼家公は出家して、
亡くなられたので、
今はそう呼んでいる)
亡きあと、
政権の移り変わりが円滑に、
いくであろうかと、
みな内心はらはらしている

入道殿が関白を、
長男の道隆公に譲られた時も、
いろいろないきさつがあった

入道殿は、
藤原有国と平惟仲を、
重用されていた

病が重くなり、
関白を誰に譲ろうかと、
入道殿は二人の腹心に、
はかられると、

有国は、

「道兼の君こそ、
お譲りになるべきです
そもそも花山院をすかし奉って、
帝位を下ろし参らせたのは、
道兼の君のお手柄です
花山院のご退位あればこそ、
当今が帝位につかれ、
ご一族も栄えを、
手に入れられました
どうか、関白は道兼の君に」

といった

惟仲は反対して、

「しかし道兼の君は、
道隆の君のおん弟君、
弟が兄を越えることは、
よろしくございません
ここは道隆の君にこそ」

といった

それで道隆の君は、
父入道から関白を譲られ、
中の関白といわれるようになった

以来、道隆の君は、
有国を心よからず思われ、
ご自分が政権を執られると、
たちまち有国の官位を剥奪した

有国だけではなく、
その子の官位も奪われた

入道どのの葬儀や供養は、
はなやかにもいかめしかった

自邸、東三条邸の回廊や渡殿に、
喪の仮小屋がしつらえられ、
詮子皇太后はじめ、
殿ばらがたが籠られて、
しめやかに服喪された

入道どのが可愛がられた、
東宮、弾正の宮、帥の宮がた、
また庶腹の孫の道頼の君、
そして「蜻蛉日記」の夫人の、
生んだ道綱の君、

いかめしく追善供養なさった

道隆の君は本来なら、
長男で入道亡きあと、
氏の長者でもあり、
一族を統率して法要を、
行われる義務があるのに、
それよりもまず、

「定子女御を中宮に」

するため奔走していられた

世の人々、
一族の人々は、

「せめて故入道どのの、
ご法要を済ませられてからでも、
よかろうに」

と不快に思った

則光にいわせると、
その不快の思いの中には、

「道隆大臣のうしろに、
高二位一派がいる」

ということらしい

道隆公の北の方、
あの才気煥発の女房だった、
貴子の君の実家の人々である

貴子夫人の父君、高階成忠は、
いまも二位を贈られて、
高二位と呼ばれていた

六十八でまだ健在で、
一条帝の学問の師であるが、
則光にいわせると、

「食らえぬ爺さん」

ということである

「道隆大臣も、
あの爺さん一家に、
まといつかれているようじゃ、
あんまりぱっとしないなあ
世間の評判の悪いったらない」

「どうして?」

「嫉妬だなあ
妻の縁につながって、
親兄弟が出世していくなんて、
男の世界じゃ目の仇にされる
しかも、
いい家柄とか名門旧家なら、
世間も納得する
大体がよくない生まれだしなあ」

則光はごく普通の、
常識家なので、
彼のいうことは、
世の男たちの声を反映している

しかし私は、
則光が高階一家のワルクチを、
いうのは聞き辛かった

私は定子姫と、
その母君、貴子のおん方に、
好意を持っていた

入内された定子姫は、
御所の人気を一身に、
あつめていられるそうだ

まだ少年の帝とのおん仲も、
むつまじく、
定子姫とその女房たちの持つ、
明るくて花やかであけっぴろげな、
気風に染まっていったそうである

これは弁のおもとのもたらした、
噂である

しかし則光は、
そういう後宮の雰囲気よりも、

「あの爺さんは、
中の関白家(道隆公)から、
旨い汁を吸うため、
ゆるぎない礎を築こうと、
やっきになっている
定子姫を中宮に昇格させようと、
画策しているのも、
その一つの布石だ
定子中宮に男御子が生まれる、
そうすれば万々歳だろう
二の姫君は東宮に入内させるに、
ちがいない
姫君が多くて不自由しないのだから、
さぞ爺さん一家は、
あれこれ暗躍するだろう
それにつけても、
北の方が出しゃばるのが、
よろしくない」

則光は私と違って、
貴子のおん方に、
好意を持っていない

「なまじ学問のある女は困る
人々が耳を傾けるのは、
ひとえに道隆大臣への、
気配りなのだが、
それがあの北の方には、
自分への尊敬と、
思えるらしい
所詮、女は、
虎の威を借りて威張る、
狐にすぎない」

女が男の威を借りて、
威張っているだけなのだろうか

若いころの私なら、
たちまち言い返したに違いない

今の私はぐっとこらえて、
黙っている

権力という餌に、
むらがって嫉妬したり、
中傷したりしている男たちは、
女たちより出来が上、
というのだろうか?

私がひそかに書き続けている、
あの草子をわかってくれる男が、
この世のどこかにいるはず、
女の才や能力魅力を、
みとめてくれる世界が、
どこかにあるはず、
という想いにつながってゆく






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「4」 ② | トップ | 「4」 ④ »
最新の画像もっと見る

「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳」カテゴリの最新記事