新約聖書学者の田川建三氏の著作、「新約聖書 訳と註 ヨハネ福音書」を図書館で借りて来て読んでいる。
ちょうど自分なりにヨハネ福音書の考察(といえるほど偉そうなものではないけど)を終えたところだったので、とても興味深く読ませて頂いている。
田川氏によるとヨハネ福音書は、「一人の非常に独特の個性のある、いろいろ癖はあるがまことに面白い著者の作品が、後の編集者たちによって、正統主義的ドグマを表明する文章があちこちにはめ込まれていった」ものだという。
著者(使徒のヨハネではない)は、「イエスが神の子である、つまり、世を絶対的に超越した神的存在である」こと、それを「(パウロと違って)宗教理論、宗教信仰として言い立てるのではなく、神の子である者が本当に人間として我々の世界に姿を顕したのだ」ということが言いたかった。
そして「ペテロたちが形成したキリスト教の実態に対する極めて鋭い批判」、「ユダヤ教批判」なども。
まだ12章までしか読んでないけど、編集者たちが挿入したという部分は、言われてみると確かに「ドグマを表明する」もので、前後の文章とつながらなかったり、矛盾してたりもする。
これはかなり、目から鱗。
聖書が初期から、教義に合わせて改竄されてきたとなると・・・・・う~~~~ん。
ちょうど自分なりにヨハネ福音書の考察(といえるほど偉そうなものではないけど)を終えたところだったので、とても興味深く読ませて頂いている。
田川氏によるとヨハネ福音書は、「一人の非常に独特の個性のある、いろいろ癖はあるがまことに面白い著者の作品が、後の編集者たちによって、正統主義的ドグマを表明する文章があちこちにはめ込まれていった」ものだという。
著者(使徒のヨハネではない)は、「イエスが神の子である、つまり、世を絶対的に超越した神的存在である」こと、それを「(パウロと違って)宗教理論、宗教信仰として言い立てるのではなく、神の子である者が本当に人間として我々の世界に姿を顕したのだ」ということが言いたかった。
そして「ペテロたちが形成したキリスト教の実態に対する極めて鋭い批判」、「ユダヤ教批判」なども。
まだ12章までしか読んでないけど、編集者たちが挿入したという部分は、言われてみると確かに「ドグマを表明する」もので、前後の文章とつながらなかったり、矛盾してたりもする。
これはかなり、目から鱗。
聖書が初期から、教義に合わせて改竄されてきたとなると・・・・・う~~~~ん。