パウロの第二回宣教旅行半ば。(テサロニケ、べレア、アテネ)
(おそらくルカはフィリピに残り)パウロ、シラス、テモテら一行は、テサロニケ(マケドニア最大の港町)へ。
1~3節。テサロニケには会堂があり、そこで3度の安息日に聖書をもとにして、イエスの受難と復活を説明・解説する。ここの動詞は「陳列する、従来閉じられていたものを開いて人の前に並べる」の意味なので、新世界訳の「関連した事柄を挙げて証明」は意訳。
パウロは後に、テサ①2:2で「御存じのように、我々はすでにフィリポイ(フィリピ)において苦難にあい、屈辱をこうむってきたけれども、我らの神において勇気づけられて、多くの競争においてあなた方に神の福音を語ったのであった」と書いている。
4,5節。大勢が信者になったので、ユダヤ人の妬みを買い、ヤソンの家(パウロたちの宿家)が襲撃されるが、パウロたちは居なかった(偶然か避難したかは定かでない)。
6~9節。訴えの内容は、社会秩序を乱したことと、カエサルへの反逆。キリスト教への迫害は、ほぼこの2点。イエスへの訴えと同じ。
ヤソンたちから保証金を取って釈放。新世界訳の「十分の保証」とか「やっと去らせた」は大げさな意訳。
このいきさつゆえに、テサ①2:18でパウロがテサロニケに2度も行こうとしたのに「サタンが妨げた」という表現になったのかな(迫害が続いていたので、パウロが戻ったらますます大騒ぎになる)。
夜のうちにパウロとシラスは、べレアに送り出される(半強制的だったのかも)。
べレアでも会堂に行く。
11節。新世界訳の「気持ちがおおらか」。他の訳では「善良」「素直」「立派」「生まれが良く」など。もとは「素質(たち)が良い」のような意味。
新世界訳の「きわめて意欲的な態度で」。他の訳では「心から」「非常に熱心に」「非常な熱意で」「非常に積極的に」など。もとは「乗り気になって」のような意味。
新世界訳の「そのとおりかどうか~注意深く調べたのである」。他の訳では「果たしてそのとおりかどうか~調べていた」「果たしてそういうことなのかと~検討した」など。「注意深く」という語は意訳のための付け足し。
12節。多くが信者になったが、その後、べレア会衆がどうなったかは、記録が無いので分からない。消滅したのか、模範的で迫害も問題も特になかったので、パウロの書簡も必要なかったのか。
テサロニケからユダヤ人たちが追って来たので、シラスとテモテを残し、パウロはアテネに(警護されて?)送り届けられる。
アテネで二人を待つ間に、会堂やアゴラ(市の中央にある広場)で論じ合う。
16節。新世界訳の「内なる霊はいら立つようになった」。他の訳では「心に憤りを感じた」「心が怒りに燃えた」「憤慨した」「自分の中で霊が刺激された」など。
アレオパゴス(軍神アーレスの丘)に連れて行かれ、話す。
20節。新世界訳の「耳慣れない事柄を持ち込んでいる」。他の訳では「異なる事を我らの耳に入れる」「なんだか珍しいことをわれわれに聞かせている」「なんだか妙なことをわたし達の耳に入れている」「奇妙なことをわたしたちに聞かせている」「我々の耳に何か風変わりなことを聞かせておいでである」など。
21節。アテネの人たちが聞きたがった理由。時間を持て余してる裕福な人たちが、パウロの目新しい話に興味をもっただけ。知識を求めてるだけで、神を求めてる訳じゃない。
22~31節。アレオパゴスでのパウロの話。組織では、この話し方が宣教の模範とされてる(共通の土台を築く、聖書になじみが無いので聖書を用いないでその内容を話す、聞く人が認めている名言を用いる、など)。ところが実際には、幾人かの信者を得ただけで、結局アテネに会衆はできなかった。聞く側に問題があったともいえるだろうけど、ここでの宣教は失敗に終わってしまった。で、この後に行くコリントでは、パウロは反省して宣教の仕方を変えている(コリ①1:18~2章あたり・・・言い訳?w)。
ここでの教訓は、どんなに知識を駆使して上手に話しても、聖書(神の聖霊)を用いない宣教は失敗に終わる、ということなんじゃないかなとw。
27節。新世界訳は分かりにくい。他の訳は「それは、彼らが神を何とか手探りで探して見つけようと求めるようにさせるためなのです」「こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった」「これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです」など。
28節。新世界訳の「わたしたちは神によって命を持ち~」。他の訳では「われわれは神のうちに生き」「我らは神の中に生き」「神の中で私たちは生き~」など。
31節。新世界訳の「任命したひとりの人」。他の訳では「お選びになったかた」「定められたひとりの人」など。
(おそらくルカはフィリピに残り)パウロ、シラス、テモテら一行は、テサロニケ(マケドニア最大の港町)へ。
1~3節。テサロニケには会堂があり、そこで3度の安息日に聖書をもとにして、イエスの受難と復活を説明・解説する。ここの動詞は「陳列する、従来閉じられていたものを開いて人の前に並べる」の意味なので、新世界訳の「関連した事柄を挙げて証明」は意訳。
パウロは後に、テサ①2:2で「御存じのように、我々はすでにフィリポイ(フィリピ)において苦難にあい、屈辱をこうむってきたけれども、我らの神において勇気づけられて、多くの競争においてあなた方に神の福音を語ったのであった」と書いている。
4,5節。大勢が信者になったので、ユダヤ人の妬みを買い、ヤソンの家(パウロたちの宿家)が襲撃されるが、パウロたちは居なかった(偶然か避難したかは定かでない)。
6~9節。訴えの内容は、社会秩序を乱したことと、カエサルへの反逆。キリスト教への迫害は、ほぼこの2点。イエスへの訴えと同じ。
ヤソンたちから保証金を取って釈放。新世界訳の「十分の保証」とか「やっと去らせた」は大げさな意訳。
このいきさつゆえに、テサ①2:18でパウロがテサロニケに2度も行こうとしたのに「サタンが妨げた」という表現になったのかな(迫害が続いていたので、パウロが戻ったらますます大騒ぎになる)。
夜のうちにパウロとシラスは、べレアに送り出される(半強制的だったのかも)。
べレアでも会堂に行く。
11節。新世界訳の「気持ちがおおらか」。他の訳では「善良」「素直」「立派」「生まれが良く」など。もとは「素質(たち)が良い」のような意味。
新世界訳の「きわめて意欲的な態度で」。他の訳では「心から」「非常に熱心に」「非常な熱意で」「非常に積極的に」など。もとは「乗り気になって」のような意味。
新世界訳の「そのとおりかどうか~注意深く調べたのである」。他の訳では「果たしてそのとおりかどうか~調べていた」「果たしてそういうことなのかと~検討した」など。「注意深く」という語は意訳のための付け足し。
12節。多くが信者になったが、その後、べレア会衆がどうなったかは、記録が無いので分からない。消滅したのか、模範的で迫害も問題も特になかったので、パウロの書簡も必要なかったのか。
テサロニケからユダヤ人たちが追って来たので、シラスとテモテを残し、パウロはアテネに(警護されて?)送り届けられる。
アテネで二人を待つ間に、会堂やアゴラ(市の中央にある広場)で論じ合う。
16節。新世界訳の「内なる霊はいら立つようになった」。他の訳では「心に憤りを感じた」「心が怒りに燃えた」「憤慨した」「自分の中で霊が刺激された」など。
アレオパゴス(軍神アーレスの丘)に連れて行かれ、話す。
20節。新世界訳の「耳慣れない事柄を持ち込んでいる」。他の訳では「異なる事を我らの耳に入れる」「なんだか珍しいことをわれわれに聞かせている」「なんだか妙なことをわたし達の耳に入れている」「奇妙なことをわたしたちに聞かせている」「我々の耳に何か風変わりなことを聞かせておいでである」など。
21節。アテネの人たちが聞きたがった理由。時間を持て余してる裕福な人たちが、パウロの目新しい話に興味をもっただけ。知識を求めてるだけで、神を求めてる訳じゃない。
22~31節。アレオパゴスでのパウロの話。組織では、この話し方が宣教の模範とされてる(共通の土台を築く、聖書になじみが無いので聖書を用いないでその内容を話す、聞く人が認めている名言を用いる、など)。ところが実際には、幾人かの信者を得ただけで、結局アテネに会衆はできなかった。聞く側に問題があったともいえるだろうけど、ここでの宣教は失敗に終わってしまった。で、この後に行くコリントでは、パウロは反省して宣教の仕方を変えている(コリ①1:18~2章あたり・・・言い訳?w)。
ここでの教訓は、どんなに知識を駆使して上手に話しても、聖書(神の聖霊)を用いない宣教は失敗に終わる、ということなんじゃないかなとw。
27節。新世界訳は分かりにくい。他の訳は「それは、彼らが神を何とか手探りで探して見つけようと求めるようにさせるためなのです」「こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった」「これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです」など。
28節。新世界訳の「わたしたちは神によって命を持ち~」。他の訳では「われわれは神のうちに生き」「我らは神の中に生き」「神の中で私たちは生き~」など。
31節。新世界訳の「任命したひとりの人」。他の訳では「お選びになったかた」「定められたひとりの人」など。