聖なる書物を読んで

現役JW29年目

使徒たちの活動9~11章(追記あり)

2018-12-04 | 聖書
ここでは、キリスト教が異邦人に伝わって行った様子が描かれる。

9章では、サウロの改宗。(諸国民への使徒となる)
10章では、異邦人コルネリオの改宗。(ヨッパに居たペテロが呼ばれ、カエサレアに行って)
11章では、エルサレム会衆が異邦人の改宗を受け入れ、アンティオキアに初めて異邦人(無割礼)の交わる会衆が設立される。

9章。

3~9節。サウロの改宗は、弟子から教えられてという宣教の結果ではなく、イエスが光の中から直接話す(ダマスカスへの途上)という特殊なものだった。この出来事はこの書の中で3回も言及されてる(22:6~16,26:12~18)。ルカはパウロの使徒職を確立したかったんだろうな。
そして、学識のあるサウロが理論によってではなく、直接イエスの顕現によって回心に至ったことは興味深い。3日飲み食いしなかった間に、サウロはどれだけのことを考えたんだろう。

14~16節。「み名(イエス)を呼び求める者」「わたしの名(イエス)を・・携えていくための選びの器」「わたしの名(イエス)のために・・苦しみを受ける」。(21節「この名を呼び求める者たち」)
キリスト教は、エホバじゃなくイエスの名を担ってる。ここ大事。

17~18節。ダマスカスに居た弟子のアナニヤ(使徒ではない)が、サウロの上に手を置く。ここでは聖霊が下ることより、目から鱗のほうが強調されてる。サウロの中での変化を象徴してるようで、これも興味深い。

19~25節。サウロはすぐにダマスカスの会堂で、ユダヤ人たちに宣べ伝える。かなりな日数の後、ユダヤ人たちに殺害されそうになり、夜の間に城壁から籠でつり下げてもらってエルサレムへ。
サウロの改宗から最初のエルサレム行きまでに、3年間ある(ガラテア1:17,18)。この間にサウロはアラビアに行って、またダマスカスに戻って来てる。それがいつなのか、なぜなのかは分からない。

26,27節。サウロは「ペテロを訪ねるためにエルサレムに上り、彼のもとに15日間滞在した。他の使徒には会わず、主の兄弟ヤコブに会っただけ」と書いている(ガラテア1:18)。
弟子たち(サウロを恐れている)と交わろうとしているサウロを、ペテロたちに引き合わせたのはバルナバ。バルナバはサウロを知ってたのかなぁ。

28~30節。サウロはエルサレムでもヘレニストたちに宣教した結果、殺されそうになってタルソスに送り出されてる。(22:17~21によるとサウロ個人にも、エルサレムから出るように、という啓示があった)

31節。ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの平和な時期。サウロが去ったから? 

32~43節。ペテロが各地の聖なる者(すでに改宗してた)のところを回る(エルサレム会衆の権威を示すためだったりしてw)。アイネアをいやし、タビタをよみがえらせる。イエスがしていたやり方とよく似てる。「起きて自分の寝床を整えなさい」。皆を外に出して「タビタ、起きなさい(タビタ、クミ?w)」。

ここまでで、サウロは異邦人には宣べ伝えていないんだね。

10章。

14節。ペテロはこの時もまだ律法を守ってた。伝統や慣習を変えるのは難しい。イエスが「外から入って行ってその人を汚すことのできるものは何もない」(マルコ7:15)と言われたことは分かっていたはずなのに。そして諸国民に宣べ伝えなければならないことも分かっていたはずなのに。
エルサレム会衆はかなりユダヤ教におされてたのかもしれない。サウロが殺されそうになったのも、そのあたりが理由だったのかも(ユダヤ教を完全に捨て去った)。

11章。

2,3節。エルサレム会衆のユダヤ人は、ペテロが異邦人にバプテスマを施したことではなく、割礼を受けていない者たちの家に入って一緒に食事をしたことを咎めてる。なんと選民意識の根強さよ。
そして18節。ペテロの話を聞いて、神の偉大さの前で取り敢えずは黙るけど、この後も割礼の問題が論争になっていくんだよなぁ。

でもこれでなんとか、ユダヤ人も異邦人を迎える準備はできた。

20~21節。アンティオキアで異邦人への宣教が始まる。(これもヘレニストたちが行なったのであって、使徒たちではない)

22節。エルサレム会衆からアンティオキア会衆に遣わされたのは、バルナバ。ヘレニストだったからというのもあるだろうけど・・・なんで使徒たちじゃなかったんだろうね。・・・なんかね、バルナバさん、体よく追っ払われちゃったんじゃないかな、なんてね。目立ち過ぎ~(24節)みたいなw。まぁ使徒より目立ってるのは確かだよね。(土地を売って全額寄付し、食料分配の7人に選ばれ、サウロを助ける)

26節。バルナバはサウロを探し、タルソスからアンティオキアに連れて来る。二人はそこで1年間教える。弟子たちがクリスチャンと呼ばれたのは、ここアンティオキアが最初。
ふ~む・・エルサレムが最初ではないということは、エルサレムではイエスを前面に出すことはしてなかった(統治体みたいw)とか。・・まぁバルナバとパウロは、思いっきりユダヤ教を離れてイエスだけを宣べ伝えられただろうけど。

30節。救援のためにエルサレムへ上ったことは、ガラテア書の中には書かれていない。単に省略しただけかもしれないけど・・


組織が主張しているように、エルサレムに統治体があったという前提で読んでると、確かに統治体はあったと思えるようになってきた。伝統や慣習(人間の作った規則)に凝り固まった選民意識の塊が。ただそれは、今の統治体とは違って、人間的な弱さに起因するものなのかなとも思われる。



追記(田川建三氏の新約聖書 訳と註 ヨハネ福音書p474より)
ヘレニスト・クリスチャンはユダヤ教右翼によってえげつなく弾圧され、彼らの代表的な立場にあったステファノスは惨殺され、ほかのヘレニストたちもエルサレムにいられなくなって、亡命し、パレスチナの中でも、ユダヤ人勢力の薄いサマリアや、海岸のヘレニズム的諸都市に逃れた。そしておそらくそこから更に他の土地に、たとえばフェニキア海岸の諸都市にキリスト教を伝えたのも彼らであっただろう。つまり弾圧、亡命後の彼らの活動も目覚ましい物ではあったが、その最初にえげつない弾圧にさらされ、生命の危険にもさらされたということを忘れるわけにはいかない。そして、その時、エルサレム教会の「指導者」、つまり・・ペテロたち一派は何をしたか。何もしなかった。自分たちは「ヘレニスト」の信者たち(つまりユダヤ教のあり方、特に神殿を至上の場所として崇め奉る宗教体制を鋭く批判したが故に弾圧された人たち)とは関係がないとばかりに、この時、まったく何もせずに、手つかずに無事にエルサレムに根を張り続けていたではないか。つまり、イエスが何者であり、イエスを本気になって信じようとしたヘレニスト信者たちが何者であろうと、ペテロたちは無事おとなしくユダヤ教権力ににらまれないようにエルサレムに安住していたのである。